人面御殿と呼ばれているのは、『古今妖怪累累』の『人面草紙』掲載ページのいちばん奥に載っている巨大建築物の屋根が人面の顔で描かれている建築物のことである。屋根のデザインとしてはかなり徳川時代の常識を打ち破っている感じではあるが、実際『北雪美談時代鏡』の終盤近くに登場する城(上に掲載した図)などを見てみると屋根の部分を除いた屋台部分などは想像としてもそこまで破綻しすぎのものではないといえなくもない。
▼こぐろう▼累々の『人面草紙』って、そもそも本当に江戸文政頃の作品なのでしょうか…?
▼こぐろう▼『人面草紙』の人面ども、差している傘にまで人面が現れていたり、人面の上に更に人面の大頭張り子を被ってたり、浦島太郎や豆腐小僧や幽霊の姿をしていたりで、何でもありが多すぎてクラクラしてくる。
▼紀伊国亭むじな▼人面草紙、日本のヴォイニッチ手稿説。
▼tera▼へその町のぬうりひょんといい魔像といい人面といい、今年は深く探ると謎の勢力に消されそうな妖怪が豊富で(日記はここで終わっている)
▼氷厘亭氷泉▼田植えしてる人面のよこにいる「二重人面」ってやつの概念がヤバすぎて、たぶんこれだけで5時間は語れる。
▼氷厘亭氷泉▼人面、こまかくじっくり眺めてるとキャラクターがある程度決まってるようなのもあるので(「よ」組の字がついてるやつとか極楽蜻蛉な髷のひととか巨大髷+巨大刀なお武家とか確実に人間でかかれてるおかみさんとか)日記的な記号なのかなとは読めた。
▼氷厘亭氷泉▼あと、凧あげとおままごとしてる横でビッグまり遊びしてる人面の着物の模様に団子とカボチャがあるけど、力持ちの見世物のかさねてある差し上げものの中にあるカボチャとかを見ても、カボチャのデザインは人面の顔の形状とにてて、作者の形状把握というかかたちの描き方の研究参考にはなります。
▼こぐろう▼人面のビジュアルイメージ、自分は椎茸松茸とかの茸も入ってるかなあと思ったんですよね。所々にそれを思わせる描き方があるし。
▼氷厘亭氷泉▼きのこイメージは入ってる予想はキノコとダンゴの印章の存在からも肯定できまスネ
▼氷厘亭氷泉▼お相撲の行事にもたせたり、火消しの衆に蹴り飛ばされてるのが団子売り(想像上の棒手振り販売形式?)だったり、団子が好きすぎる異常性から考えると、キノコもだいすきなハズ。という論理。
『人面草紙』に描かれている人面たちの顔のかたちは何を意図したもの、イメージしたものなのかについての部分も早速語られていた。主として『人面草紙』に描き込まれているものからの推理が図られており、この部分から現段階での人面を考察・想像する際のキーワードが出揃ったといえよう。
3冊あったという部分を視野に入れれば、少なくとも同内容な肉筆冊子はまだほかにも宇内に存在するかも知れぬと言うことは出来、今後それが発見あるいは確認される日がおとずれるかも知れぬ。
日記での人面の登場にはある程度の傾向がみられ、それらは『人面草紙』でかなり派手に様々な人物な事物を「人面化」させて描いてたものと比べると、非情に温順で、日記事項に登場する周囲の近しい人物――具体的にいえば家族にのみ、その手法が使われてる。モトモト絵が少ない日記なので膨大な日記全体での登場例は合計してもゆびを5本折るくらいなのですが、すべて登場するときは人面のかたちで描かれており、代表は初めの妻であったおれん及び後妻のおまちで、他にも子供たちや親族とおぼしきひとが人面デザインに投影され、それぞれの特徴を持たせつつ描いてます。(ハッキリと誰なのかが分かる描き分けをしてるのは、『人面草紙』に登場する特定個性のある人面たちにも通じる描き方といえるのかも知れない)
森銑三は、林若樹たちとの交流からハッキリ斎藤月岑『人面草紙』の存在について知っており、『斎藤月岑日記鈔』においても人面草紙とそっくりなタッチが出て来る部分の絵については、凸型の顔を描いており人面草紙というものではそれを大量に描いてるがどうしてなのかはよくワカラナイ……などハッキリそれを踏まえた指摘をとってます。
ただし文政年間にまでさかのぼって日記や同時期に執筆された記録や人面の例は、まで完璧に引きだすことが可能ではない点からいうと、斎藤月岑が明確に人面を描くようになった年代や動機づけについては、未詳の霧がまだ深く残ることになります。
『人面草紙』が20代前半に描かれたとすればいちばん年代が近いといえる天保年間の日記に月岑は、団扇売りや火消しといったまちのひとびと、渡辺曙雪・長谷川雪旦といった知人などであってもキチンと人類のすがたで描いてる。1回だけ能狂言の面に人面めかしたものを使って描いてる以外は、後年に至っても芝居や見世物の主役や見物客も人類で描写され、『人面草紙』のような埋めつくすがごとき人面の多用はまったくもって見られない。つまり、前述のように日記ではほぼ家族のみを人面として描いてるのだが、はじめの妻であるおれんと祝言をあげたのは天保に入ってからと考えられており、その点でいっても月岑の「家族」も史料同様に文政年間は空白部分が多いのである。(文政年間には月岑の祖父・父は既に故人であり、母(ゑい)、祖母、叔母(ゆき)、ふたりいる姉が確実に存在してた人物としてのちの資料から確認は出来る)現在確認されてる『人面草紙』の中に、具体的な月岑の家族といえる存在が登場してるのかどうかは今後も読解が必要となってくる部分ではある。
「人面草紙の人面」ではない方角つまり「月岑日記の人面」についてですが、『斎藤月岑日記』での月岑の絵の特徴として目についたものに、おたふくの描き方があります、月岑が日記中で二度ほど(天保2年と明治3年)お酉さまのえんぎ物のおかめを描き込んでるのですが、それが非常に特徴のあるかたち。
人面を見慣れてる目からすると「おたふくの絵なんて、人面の輪郭をつかって描いたほうがいいのでは」と思ってしまうのですが、なぜかかたくなにおかめの三平二満なフェイスはしっかりと描きたいようで、いずれの天保の例でもそれから30年くらいあいだのある明治の例でもおなじかたち(下あごをしっかりでっぱらせた形状)で描いてます。
そこで『人面草紙』を確認してみると、こちらでもおたふくはこのかたちで描かれてるのでした。
こまかい箇所ではあるものの、絵の描き手の特徴部分として月岑は「おたふくは人面の輪郭では描かない」という部分があり、それが『人面草紙』でもそのように描かれてるというところを確認出来るとすれば、やはり人面のデザインというのはかなり冷静な判断意識のもとに用いられてた部分もあったといえるのかも知れません。(使うものと使わないものが決まってた、というよりも、使って描くものが決まってた、とするほうが妥当か)
天保元年の『斎藤月岑日記』の内容をいくつか挙げてみる。
▼1/9 できものが出来て歩けない
▼1/24 小網町の名主に嫁いだ姉が泊まりに来る
▼2/11 おしげ坊(小網町の娘・月岑の姪にあたる)がくる
▼2/15 『当世下手談義』借りる
▼2/25 久次郎(小網町の姉の息子。10月16日に月岑・おれん夫婦の養子となる)2才の誕生日
▼3/22 おばあさんとおっかさんお寺参り
たとえばこの間に日記に絵は1本も出て来ない。家族が登場してても気軽に絵がポイポイ気ままに描きつらねられてるような様子は月岑日記には無い。『人面草紙』にある特異な群像・密集した絵との作品と結びつきづらい点はそのへんにもある。実際月岑の日記はかなり簡素な書き方であって、ほとんどはただ短い文章による記録があるのみである。会った人なども名前が書き留められてる程度で、その日にあった要件や用事などが具体的に書かれてる例は少ない。(名主としてのあまり代わり映えもない定期的な事務雑務なども多いことは要因ではあろう)
同年の10月の出来事をいくつかみてみると、
▼10/1 このせつ寺院で墓をみがくやつがいる。その出没地を版行して売った者が捕まった。
▼10/2 鍛冶町の山吹で火の用心についての寄合い。
▼10/3 よ組の平吉が遠島ご赦免のお礼に来た。
▼10/8 小石川のおばさん来る。
▼10/10 よ組の平吉が島帰り祝いのおこわを炊いて持って来た。
鍛冶町の山という料理屋は寄り合い用の場所として月岑日記には頻出する店である。よ組は火消したちとして『人面草紙』にもしばしばいろいろな人面が出て来るが、たとえばこの天保元年に島ながしから帰って来たよ組の頭取の平吉が、人面草紙に出て来るよ組人面のどれなのかナとかを詰めてったりするのが、今後も読解していかないとイケナイ部分だ。
▼10/15 おれん、小網町の家へゆく。
▼10/16 久次郎を養子にもらう。
▼10/18 おっかさんと霊岸島の姉と久次郎、雑司ヶ谷の鬼子母神へおまいり。
▼10/19 月岑、久次郎をつれて雑司ヶ谷に「つなわたり」の興行を見物。
▼10/22 鍛冶町の山吹で食類商人の寄合いがあり、行く。
▼10/27 鍛冶町の山吹で朝に寄合い。
10月からいくつか採ってみたがこれらにも一切絵はついていない。日記に絵が描き込まれてるのは11月20日に久次郎のためにあつらえた迷子札のついたきんちゃく袋が出来上がったときのものであるが、袋がどういうかたちのものかを示してるだけにすぎず、普通のスケッチである。以後、天保2年4月27日、おれんさんがそうめんをうまいうまいと言いながら食べてるすがたを人面デザインで描くときまで日記には絵は描き込まれてない。月岑日記における絵の登場率、さらにその中に人面デザインが出没する割合は、だいたいこんな調子であると理解してもらえば間違いは無い。
日記1冊はだいたい1年間が充てられるが、無論そのなかには1年間ほとんど絵もなく人面もいないというものもある。しかし上述したように、日記には初期(天保)から末期(明治)にかけ、人面デザインそのものは存在してるため、月岑の人生のなかのほとんどの時間に存在はしてたことは知れます。
人面の具体的な使用例が確認出来るのは、まだ月岑日記だけだが、日記での絵の描かれる機会そのものがあまりにも低いので「頻度」の計算はつきづらく、日記以外の斎藤月岑による肉筆資料なども傍証としては欲しいところではある。
そこから派生してまず第一に「だんごを食べたので人面草紙の人面かきます」という遊びが生まれた。
その古例は2017年10月4日の氷厘亭氷泉さんによるもので、「だんごを食べたら人面草紙かかねば」と食した団子と共に人面を描いたものを画像ツイートしている。それと流れをおなじくしてteraさんの『TYZ』の2017年10月に描かれた表紙絵(「万聖百物語」)にも人面が描き込まれ、「みんなが人面で盛り上がっててくやしいから僕も紛れ込ませたヨ。団子も食べた」(2017年10月8日)とつぶやきコメントをしている。
▼氷厘亭氷泉▼おだんご食べたので人面草紙の人面描きました。(2018年5月2日)
▼tera▼甘味の評価基準に「食べたあと人面を描けるか」が含まれてる文化圏(2018年5月6日)
▼猫屋敷▼おだんご食べたら人面を描くという謎風習(2018年5月19日)
▼こぐろう▼食後に坊っちゃんだんごを食べたので、自分に代わって誰か坊っちゃん人面を描いてください。(他力本願)(2018年5月24日)
▼氷厘亭氷泉▼よもぎんご食べたので『人面草紙』の人面かきました。(2018年9月6日 註・「よもぎんご」は「よもぎだんご」というパッケージの字配りがそうよめるようなデザインだったことによる戯称)
▼氷厘亭氷泉▼おだんご食べたので『人面草紙』の人面描きました。尾花もさもさ。 (2018年9月25日)
▼氷厘亭氷泉▼きのうもおだんご食べたので人面草紙の人面……を松山恵子の落下傘スカートみたいに描きました(2018年9月25日)
だんごを食べたら人面を描くというあそびは、存在していたが実際それほど団子を日頃食べるかというとそんなに頻度の高いことでは無かったため、そこまで登場確率は高く無かった。しかし、2018年8月27日に「人面草紙のじんめん」ツイッターアカウントが活動開始して以後は(詳細は『大佐用』vol.153「人面草紙から団子」などでも記載)だんごの絵文字をやりとりすることが流行したりしはじめ、2018年8月末からは式水下流さんや小山田浩史さん、Mrs.ロブ・ゾンビちゃんなどをはじめとして「団子を購入して写真に撮影する」というあそびのほうが多くとられるようになった。人面草紙アカウントが「ねへ」という語尾を次第に強調していったこともあり、団子撮影写真に「……ねへ」という語尾がつけられるのも通常運転となった。
▼ぜんらまる▼じんめん病諸症状
・目に映るすべての顔が細目下膨れ(?)に見える
・三色団子を好み、また他人に押し付けるようになる
・語尾に「ねへ」とつける(2018年9月4日)
▼三芳庵▼台風だけど、お団子だよねへ。(2018年9月4日)
▼紀伊国亭 むじな▼みんな台風にそなへて団子を買おうねへ…(2018年9月4日)
▼渡辺福助▼こんな台風の日はお団子だねへ。(2018年9月4日)
▼Mrs.ロブ・ゾンビちゃん▼久しぶりに三色団子が売っていたねへ(2018年9月7日)
▼小山田浩史▼今日は三色団子が買えてしまったんだねへ (侵食が進んできた顔で) (2018年9月8日)
▼K&A▼都内のファミリーマートはお団子置いてる確率が高いねへ。(2018年9月10日)
▼gm▼草団子だねへ(2018年9月22日)
▼塗り佶▼蚤の市でもお団子食べちゃうんだねへ(2018年9月22日)
塗り佶さんは、2018年9月に人面の立体人形を制作した(左官屋さんなすがたの人面)おだんごを持ったかたちの立体化は世界最速である。お月見用にも同じ左官屋さんな人面を描いたていねいな切り絵(すかしの仕掛け入り)をつくっておられた。
▼ぷらんと▼図らずも人面っぽいものを見てしまったのでお団子も食べました (2018年8月28日 註…鈴虫寺でお茶をいれてくれる湯のみの絵に描いてある絵の顔が人面にかなり近かったことを指したもの。このページのまとめを受けてぷらんとさん追加していわく――「お寺の人曰く「(人面なんて)そんなこと知らないし考えたこともなかった」」)
▼Mrs.ロブ・ゾンビちゃん▼ういろうがじんめんにやられた……五平餅はなんとしてでも死守せねば……。(2018年9月7日 註…桂つかささんがお土産に持参したういろうの個別包装に人面の顔を手描きして添えてらしたことを受けて)
▼Mrs.ロブ・ゾンビちゃん▼ぶどうゼリーもじんめんに……。(2018年9月7日 註…ぶどうゼリーの容器に人面の顏を描いておられた)
▼式水下流▼かぶせてみたら現代感と言うか未来感がでたねへ(2018年9月9日 註…ゼリーを食べたあとのぶどうゼリーの容器)
桂つかささんは、2018年8月30日に自身を人面に仕立てたドット絵を制作したりしている。また所属する怪作戦のグッズとしてデザイン・頒布してる「妖怪シール」のなかにも人面を用いたものをつくってる。
▼吉井徹▼アイスの実は丸い……アイス団子といえる……団子と言えば?(2018年9月2日)
▼氷厘亭氷泉▼吉井さんのクーラー爆発したのかナ?(2018年9月2日)
▼好翁▼団子はやっぱり磯辺か餡子だな(三色団子を食べた感想)(2018年9月4日)
▼tera▼実を言うと地球はもうだめです。 突然こんなこと言ってごめんね。 でも本当です。 18日後にものすごく十五夜があります。 それが団子の合図です。 程なく大きめの団子が来るので 気をつけて。 それがやんだら、少しだけ間をおいて 団子がきます(2018年9月6日)
▼K&A▼ここ最近のTLに見る「団子」+「ねへ」率に戦慄してる。(2018年9月12日)
▼tera▼人面に頭脳を侵略された河童「尻子玉はお団子だったんだねへ…」(2018年9月15日)
▼ふしぎあん▼お団子みたいなカマボコだねへ。飲み物を添へるとふぁるこんらんちみたいだねへ。(2018年9月30日)
▼rh▼
人面瘡のことをつぶやいたことはあるが人面についてつぶやいた覚えはないいつの間にか人面アカウントにフォローされてた(通知はなかったが‥‥?)(2018年9月8日)
▼小山田浩史▼入手した団子の画像をアップするといいね!がついたりRTされたりするSNS、よく考えてみるとなにかおかしい…… ウッ、頭が痛い……!(2018年9月8日)
▼ぜんらまる▼みんなもっとウィンナーの画像あげようねへ(2018年9月8日)
▼氷厘亭氷泉▼まだ自我がのこっているな、だんごをながしこめ(2018年9月8日)
▼gm▼思考が団子に侵されてるねへ…(2018年9月8日)
▼gm▼人面はお団子から作られた人間かもしれないねへ(2018年9月10日)
▼gm▼人面の呪いが強力すぎておだんご中毒からは逃れられそうにないねへ…(2018年10月4日 註…あんこのおだんごの写真をあげつつ)
▼ぜんらまる▼TLで串団子流行りすぎている。次のブームは糖尿病か?(2018年9月6日)
▼御田鍬;▼妖怪絵草紙 湯本豪一コレクション(2018年8月21日)
▼tera▼人面草紙の全貌がまだ公開されていなかった頃を近所の小学生に語る古老として未来を生きたいね(2018年8月21日)
▼tera▼「わしが若い頃は団子食うて人面描くと狂人扱いされたもんじゃ……」(2018年8月21日)
▼紀伊国亭むじな▼タイムスリップした妖怪ぐるい「人面草紙が出版されるゾ」GESSHIN「は!?」(2018年8月21日)
▼ぷらんと▼なんかでかいマザー人面みたいなのが見えるな(2018年9月3日 『妖怪絵草紙』新公開部分にいた花魁の人面を見て)
▼久佐馬野景▼ある日気付いたら人面のフォロー欄のアイコンがみんな人面草紙になっているやつだ……(こわい)(2018年8月27日)
人面草紙アカウント活動開始直後の久佐馬野景さんの危惧は現実のものとなったのだった。
▼氷厘亭氷泉▼全裸人面アイコンで「だんごむし」って言いだすぜんらまるさん、偶然にも月岑値がはねあがってしまっている。(2018年8月30日 註・だんごむしのおもちゃのガシャポン設置店をぜんらまるさんが探してた)
▼ぷらんと▼そろそろいつもの界隈の2/3くらいは人面になってる感じがする(2018年9月4日)
▼こぐろう▼人面の国で確認された、一つ目蝸牛の変異体。団子や茸を主食とするらしいねへ。(2018年9月8日――こぐろうさんのきのこ説がキチンと「人面蝸牛」には反映されている)
▼小山田浩史▼人面犬はやっぱりアレなんで鬼のような人面、その名も鬼人面にアイコンを変えたんだねへ。 こいつは団子じゃなくて饅頭が好きらしいねへ (さらに別方向に侵食がすすんだ顔) (2018年9月8日)
▼きゃの十三▼皆がアイコンを人面にしてるならボクもアイコンを人面にするぅ~!! (2018年9月13日)
▼氷厘亭氷泉▼みんなが人面アイコンなの、蠱毒祭の1週間よりも狂った世界観なんですね(2018年9月13日)
▼幣束▼ちょっと海外行って戻ってきたらアイコンが人面になってる人が何人もいてナニがあったんですかね…(2018年9月1日)
▼白澤▼いや、少しTwitter見ないうちにみなさんのアイコンがおかしくなってません?焼きあがった餅みたいな輪郭になってるんですけど…(2018年9月17日)
▼幣束▼買ってきたんだねへ30%引きだったんだねへ(2018年9月20日 註…『妖怪絵草紙』と秋の三色を買ってらっしゃる写真とともに)
▼氷厘亭氷泉▼人面アイコンのやつらが並んでる狂気空間(2018年9月28日)
▼小山田浩史▼近くで「どの人面アイコンの方ですか?」などという挨拶が交わされていて室温が高い(2018年9月29日――註・池袋のジュンク堂で行われた『妖怪絵草紙』出版記念トークショー会場でのこと。実際1列目と2例目が半分くらいそんな感じであった)
▼烏山奏春▼今日はやけに静かだなと思ったら、湯本先生のイベントか。(2018年9月28日)
▼tera▼みんな脳に団子を注入されている頃だろう(2018年9月28日)
▼吉井徹▼戻ったけど、人面は心の中で生き続けるんだねへ(2018年9月25日)
お月見の晩をさかいに、あるいは『妖怪絵草紙』を購入・入手後にアイコンを戻す者が多く、2018年10月にはほぼみんな以前のアイコンになった。アイコンが人面であろうがなかろうが人面ひゐき達は人面と触れ合って居り、mayumiさんなどは人面草紙の人面と河童を登場させた幻灯(人面草紙な時代感覚で言えば都楽など演ってた「うつし絵」)を制作したりしている。
ぷらんとさんはいろいろな妖怪たち(画像妖怪たちについて強い)の絵を描いてアップしてゆく「独断と偏見で選ぶ妖怪紹介」のなかで、人面を描いており、これは2017年10月6日の作品でこのような連作のなかに組み込む行動としては、かなり早い部類のものであった。人面ひゐきの解釈として7月以来形成されてた「おだんご好き」という性質から、3体描かれた人面のうち、中央の青い着物の人面がおだんごを持っており食べてようとしている。
氷厘亭氷泉さんは『妖界東西新聞』で人面を用いたが、「和漢百魅缶」への掲載は2018年9月28日に通算5600体目記念+『妖怪絵草紙』発売トークイベント記念として人面を掲載した。こちらは人面ひゐきの間で既に確認事項となっていた「月岑日記の人面」がリデザイン元として用いられている。
『人面草紙かぼちゃの巻』というアクションゲームが制作・公開された。人面をプレイヤーキャラに据えたもので、フリーゲームとして配布されている。
『アクションゲームツクールMV』のアーリーアクセス版で制作されており、同ゲームの公式サイトでもツクラー(ツクールシリーズユーザー)による制作例として人面の名がどかどかと掲載された。ゲーム中には、こぐろうさんが人面アイコン用につくった人面蝸牛が登場する等、人面ひゐき達の想像したあらたな人面要素も多数ちりばめられている。
『大佐用』vol.155に縮摸して掲載されたもので、人面ひゐきによって人面がよせがきされた記念の短冊。各地から池袋(ジュンク堂で行われた『妖怪絵草紙』出版記念トークショー会場)につどった人面ひゐきの面々(の一部)が筆を染めている。
当日は他に記念千社札が制作されており(氷厘亭氷泉さんによるもの)染筆者に配られたほか、湯本豪一さんに札の原画と共に贈られた。千社札のほうは、「大入」の入の字が人面のようになっていた。
短冊への染筆第一号はきゃの十三さんで、じぶんの人面アイコンとして9月中に用いてた自作の人面イラストとおなじ人面を描いてる。gmさんによる人面の脇には「戻れないねへ」と書き添えられている。これは『妖怪絵草紙』の帯に用いられてた「見たらもう戻れないねえ」「そうだねえ」という人面語(?)で、帯のデザインが知られて以後、人面ひゐき達のあいだでも団子を買った写真をアップしたり、アイコンが人面化したりした際に用いられたりするなどした。
『妖怪絵草紙』入手後の御田鍬;さんによる指摘ポイントで、通常のレベルよりもやや過剰気味に文字解説が絵のまわりに書き入れとして存在してること。(『鎌倉ものがたり』などの西岸良平作品における過剰気味な注記の文字を「西岸ナビ」と称していることに寄せたもの)
▼御田鍬;▼藪の後ろより駱駝かしらをいだすところ(西岸風月岑ナビ)(2018年9月23日)
▼氷厘亭氷泉▼「桔梗だよ」っていうナビはたしかにヤバイ。これはかんぜんに西岸ナビですね……。(みたすきいハカセの指摘がじわじわわかる) ――唐土の景色・桔梗・富士山などなどは実景というよりもそういう画題の「絵」の手控えと考えほうがスッキリくる。(2018年9月27日)
『人面草紙』該当箇所は『妖怪絵草紙』のページ数でいえば、らくだは112ページ、ききょうは99ページに掲載されてる。このような少々過剰気味な箇所は他にもいくつかあり挙げてみれば次のようなものもあった。
▼ほていさま(御田鍬;さんいわく「横に名前表示があるのにさらに顔面に書いてる」)――87ページ
▼此所軒下斗たたきなり(軒下の部分の地面がたたきであることを明細にナビ)――89ページ
▼とび石(とび石そのものの上に書き入れられてる上に横の石にも「同」と月岑ナビ)――98ページ
▼さんぼう也(おかがみもちの台というのは見ればわかる否定のしどころがないのにナビ)――128ページ
▼ぶたい(みたまま)――134ページ
▼船頭せんどう船頭船頭船頭(船頭さんの着物のがらが文字。着物のがらと見ればそういうものとしてもよいのでこれは少々異質だが、意味としてはナビ)――147ページ
▼李逵(水滸伝の登場人物。扮装らしいが布袋と同様に名前表示があるのに着物にもさらに書き込んでる。同丁の「百まなこ」も同様に着物にナビ目的の書入れがあるがそっちは表示の重複は無い)――149ページ
▼とうもろこしにほんならべてある(絵でみればわかる過剰ナビ、しかもとうもろこしはかなり巧く描かれている)――153ページ
▼[是よりつぎへつづく][前のつづき](これは純粋にナビゲーション目的の書入れである。合巻で多用されているものであり、雲型の枠線同様に絵草紙を意識している演出)――180・183ページ
▼とびいしあり(お屋敷の庭の描写であるがとび石には何か月岑は造詣興味が深かったのかナビしている、ただしこちらは石に書入れて無い)――182ページ
▼かばやき・なべやき(とうもろこしと同趣。この丁には蒲焼以外にも食べ物が描かれてるが――御田鍬;さんいわく「月岑のデッサン」――他のすいか・団子・のりまき・大根おろしには無い、基準は明確ではない)――193ページ
『斎藤月岑日記』などにはそこまで過剰なものは見えたりはしないが、斎藤月岑の編著気質を考えればあったとしてもそこまで変な部分ではないともいえる。ただ、そちらを比重として大きくとれば『人面草紙』は純粋にストーリー展開を構想したうえで執筆したものである側面は薄くなり、絵日記や手控え帳のような役割としての要素が濃かった冊子であるとも考えることが出来る。いっぽうで絵草紙めかした次のみひらきへり「つづく」をいきなり用いてみたり、空白の多い箇所や明らかに長期間にわたって少しずつ蓄積させつつ描いてる様子がうかがえる点があったり、どちらなのかいまひとつ決め手に欠ける。