『人面草紙』ひゐきたちによるいろいろな考察と想像『人面草紙』ひゐき



●凡例----2018年5月23日

『人面草紙』(じんめんぞうし)とは、湯本豪一さんのコレクションとして現在1点確認されている肉筆作品である。2017年、湯本豪一『古今妖怪累累』にその内容の一部が収録されたが、描かれているその内容の特異さから、2017年7月末には(7月26日に発売された)もう早々、妖怪仝友会の間にも贔屓連中が増えていった。
ここでは、おもにツイッターなどで展開された『人面草紙』についての考察や想像、そしてあそびの部分を後の世のために記録しておく。▼印を文頭につけた小文字の発言はツイッターでなされた文言の引用である。

〔編纂・妖怪仝友会〕 設置----2018年5月23日 最終更新----2018年10月4日

●『人面草紙』考察----2017年7月から2018年5月までの蓄積

呼称について…

『人面草紙』に登場する特徴的な登場人物たちを総じてひゐきたちは「人面」と呼ぶ。
特殊な形状のもの(提灯・風鈴・湯のみ・輪郭線が二重になってる・さかさまな輪郭・四角い・反転パーツ合成)などもあるが、おおよそ平凡な人間風味に描かれていない登場人物については「人面」とひゐき間では称されている。
輪郭線が二重になっている人面に「二重人面」、人面の石像に「石の人面也」、七言詩をしたためた脇の書き印に「人・面」、あねさんの家の御神灯に「志んめん」(じんめん)と実際に書き込みがあることから考えると作者自身も実際にこの特徴ある形状の存在の総称を「人面」としていたことも断片的に判明しているが、「人面」がどういう存在なのかは分からない。

きづいた面について…

『人面草紙』に登場する「人面」たちの顔は、かぼちゃ(氷厘亭氷泉説)まつたけ(こぐろう説)をモチーフにして輪郭がデザインされたのではないかとの考察が挙げられている。かぼちゃ・まつたけいずれも本作品内に登場する描写からの推理である(かぼちゃは描かれている形が顔の輪郭と似ている点、まつたけはきのこ状に描かれた人面も存在することや紙面に捺された印章にまつたけの図もある点など)
またナメイオ先生は、かぶって遊ぶ「大頭のおもちゃ」の形状がモチーフなのでは、ともおっしゃっていたが、登場している人面たちが実際に「大頭のおもちゃ」をかぶっていたり、つくっていたりする場面もあり、どうなってるんだかわけがわからないと評している。

『人面草紙』にはおだんご(キチンとひと串に4つがささったもの)の登場率が非常に高く、ほぼどの丁においても散見出来る。作者あるいは周辺人物の好物、あるいは特徴づけるにふさわしい食品だったことが推測できる。
おだんごは主としてあんこや黒蜜(あやめだんご)などではないようで、常にまっしろいものが描かれている。ただし、絵としてそのように描かれているだけであって、実際どのような味付けのものか示したりしているのかどうかは未詳。
ほかにしばしば登場する食べ物の絵には、菓子台や菓子盆に盛られたおまんじゅうのようなものも見られる。

遊芸に関する事項が多く記されている。芝居・見世物・茶の湯・舞踊・角力・千社札・生け花などが描写され、いずれも人面たちがそれをたのしんでいる様子が描かれている。ナメイオ先生などによって指摘されているが、柳橋の「万八楼」など実在の席などで人面たちが遊んでいる様子も描かれている。(しかもその場面では平凡な人間たちも同席して描かれている)
両国などの地名の書き込みも見られることから、『人面草紙』の舞台は主として江戸や関東地方であることがわかる。火消しの「よ」組はしばしば登場していることから作者と関係があると考えられるが、町内の者なのか同好の趣味などの交流を通じての関係なのかはよくわからない。(よ組の管理区域は神田)

田植えや煤掃き・節分・梅見・お鏡餅・羽根つき・初午・桃の節句など年中行事の様相も見ることが出来る。

登場している人面たちの形状はさまざまである。その他大勢として書き込まれている群衆などには個性がみられない場合もあるが、巻を通じて個性の定まった人面も何体か存在しており、描き分けがあることを見て取れる。

いっぽう、『人面草紙』には普通の描写の人間も登場している。ただしどのような描き分けのポイントがあるのかはわからない。妖怪も登場しているが、顔が人面で描かれているものが多い。(妖怪といっても、興行や行事の中で人間が扮しているものと見られるので、演者を示して描かれているものかも知れない)

人面の顔の目の部分は2本ラインで面相が描かれてるデザインがほぼすべてに用いられている汎用のものだが、表情をつける際に上のラインを眉のように上下させたり顰ませたりはしないのが公式デザインらしい、という観察がされている。上のラインが眉では無い、というわけでは無いようだが、だいたい表情をつける際は上のラインのさらにうえに線が生じて描かれてるので、2本ラインは一切動かない感じである。mayumiさんはいくつか人面のなかで上のラインが明らかに太目に描かれているものを確認しており、その点から上のラインはいちおう眉を示している線であろうと指摘している。

ほほにさされている色ざしは、ある人面とない人面とが存在しているが、量からいえば圧倒的にほほに色のさされていないもののほうが数は多いようである。例えば大人数の人面が描き込まれている角力の場面を描いた丁を例にみてみると、誰もほほに色ざしはされていない。

頭髪がある人面は少数派のようで、性別を示す際や特定の人物の特徴を示す際に、髪のような線が添えられたり髷がのせられたりしている場合に描かれることが多い。一般的に考えて徳川時代の男性らであれば大半の人面がちょんまげをキチンと描かれててもよいとも言えるが、そうではないことを考えると大勢いる人面たちは描写を省略されたものか。
ただ、頭髪については頭頂から1本の毛がピンと立っているような描写の人面は子供の髪型を示して描かれているのではないかとも見受けられる。初午のころを描いたとおぼしき場面(太鼓を叩いてる人面がいることからも推測が出来る)に登場する地口行灯のひとつ「桃食三人ガキ八人」(桃栗三年柿八年)に描かれている8人の子供の人面たちにはそのような髪型の人面が多い。(全員では無い)

作者について…ハクテルス洗い粉の引き札の絵

作者については不詳の域を脱していない。手書き題簽などに「斎藤月岑」とある点が唯一の手がかりだが湯本豪一さんは『古今妖怪累累』の解題では実質の画者は月岑では無いのではないかという説をとっている。いっぽう、氷厘亭氷泉さんなどは月岑説を採っている。実際、斎藤月岑の画技に関する情報は乏しくわからない部分が多いが、2018年5月22日に捜査確認をした「ハクテルス」という南蛮渡来風の洗い粉の引き札(天保5年の年号干支が記されているのでそのころの引き札だと考えられる)に紅毛美女の絵を描いているが、その描写からみると手本(西洋画あるいはその写し)を用いての絵筆は達者だったようには見受けられる。ただ、普段の筆致がどのようなものだったのか追跡の余地はある。(ハクテルスの引き札の画は左の画像)

人物描写については人面以外にもふつうのすがたの人間たちを描いているほか、単純な奥行きのある屋台描写も描けている点から、専業とはしていなくとも、ある程度は描ける腕前のある人物の手によるものであると見られるが、画面を埋め尽くす傾向や文字による描写の少ない点など、、月岑であった場合、なぜ絵主体の形式で日記を描いたのか、といった疑問点は生ずる。――ただ、月岑であろうと別の誰かが作者であろうと、表現としてはおもしろいものであり(特に平凡な人間も織り交ざって存在している点――人間を描く技量が下手でこのようなかたちしか描けないワケではないということ)どのようにしてこの形式の作品となったかの部分についての興味は尽きない。

作品中、場面を区切る箇所に子持ちの雲形の線が引かれていることが多いが、この表現は古い絵草紙によく見られるものである。ただし、後年になって式亭三馬や山東京伝、柳亭種彦なども自身の絵草紙で「なつかしい表現」として場面転換演出に用いており、出版物のなかにあるそのような「部品」にも親しみのある層の人物が作者であることは少なくとも確かなようである。
また、麻の葉・紗綾形・石畳・分銅つなぎ・七宝つなぎ・おもちゃづくしといった模様、南蛮渡り風味の幾何学模様など、装飾的な模様の描き込みがたびたび見られる点も特徴であるが、手控えとして精緻に摸写をした等といった様子の描写ではなく、おおまかな描きぶりではある。(おもちゃづくしの模様の中に「かぼちゃ」や「おだんご」をまぜて遊んでいたりする)

いろいろな場所に墨で「斎藤」(文字のみ)「おのべ」(字の左右に団子と松茸の絵)という印章がおされているが意図はよくわからない。

作品について…

『人面草紙』については、人面たち以外にも平凡な人類がふつうに描かれても登場してること、描かれた事象は生活の風景などが多く物語的な要素が稀薄である点などから作者あるいはその周辺の特定の人物をそれぞれ特定デザインの「人面」に当てはめて描いた絵日記のようなものではないかと考える面が大筋のものである。人面たちのなかには特定の個性的な部品をもって描かれて登場してるものがいる点(とんぼを結んでつけてる人面や、巨大な髷の武家風の人面、よ組の人面など)が「特定の周囲の人物」をあてはめているのではないか、とする根拠である。
河鍋暁斎の絵日記には、家族や親友など極一部の特定の人物が通常の人間ではない特殊なデザインで描かれたり、贈られたり買ったりした酒樽などを妖怪のかたちにして描いたりなどの表現があり、『人面草紙』もそのような絵日記だったとすれば特異すぎる作品というわけではない。だが、「作者について」で触れたように、特殊なデザインの人面と普通の人間を多量に織り交ぜた形は大きな特長として他の作品と較べた際に特筆できると思われる。

ほかに紀伊国亭むじなさんは『ヴィオニッチ手稿』のようなもの、あるいは人面たちがいると見えてしまった人物の手による記録――などの茶説を述べている。

●『人面草紙』ひゐきたちによる文化活動

『人面草紙』の人面たちがおだんごを好んでいるという点から、「(生活の上で団子を食べる機会が発生して)団子を食べたら人面の絵を描く」という行動が行われ始めた。

●ひゐき初日ころの様子----2017年7月31日

2017年7月31日にかかれた人面の絵。斎藤月岑説を打ち出して描かれている。 Rebisさんによる『人面草紙』の人面は妖怪なんですかね? といった話題(曰く「今妖怪界で一番ホットな話題は「『人面草紙』の”人面”は妖怪かどうか?」そうであろう…皆の衆…?」)が端緒となり大体みんな買い揃いつつあった面々の間で『人面草紙』のいろいろが見合わされていった。

▼Rebis▼人面(*仮称)のヤバいところはあれと一緒に普通の人間が描かれてることなんですよね。つまり人面はああいうデフォルメで人間が描かれた人間…ではないわけだ。
▼紀伊国亭むじな▼「るいるい」の人面。 絵は何も怖くないのに、何故か怖いのは、絵の中の人々が誰も人面を「怖がっていない」からではないか。
▼紀伊国亭むじな▼作者は人面が人間に混じっているのを知ってしまったのでは…?
▼氷厘亭氷泉▼2017年7月は斎藤月岑がただのお江戸の年表おじさんから、ヤバい「人面」を無限に描いてたかも知れないおじさんというアビリティを増やしてしまったことに深い罪が生じた 聖書にしるすべきである。
▼氷厘亭氷泉▼『人面草紙』人間もでてくるけど妖怪もでてくるのよね。(241p)薬研でばけものをおろすところ、「どっこいさ ――とか出で来る。人面は妖怪はキライなのかな?
▼Rebis▼ところが鬼や豆腐小僧の姿をした人面もいるんですよね…本当に不思議な連中ですわ
▼氷厘亭氷泉▼『人面草紙』をじっくり見たいよいこたちは『古今妖怪累累』を買ってチェックして、どんどん人面を描こう (ひょーせんは斎藤月岑が描いてる説を押しだす)
▼氷厘亭氷泉▼人面草紙、鈴ヶ森やってるところのうしろに「藪のうしろより駱駝顔をだすところ」ってのがあるあたり(らくだの筆法はしっかりしてる)年代測定の一助になる感じある(幡随院を上演してて駱駝が居る年)
▼氷厘亭氷泉▼あと、二重人面が「おいらは団子が」って言ってたり、お堂の中に入ってる人面が団子もってたり、各丁に斎藤の印といっしょにおされてる「おのべ」?ってはんこにもキノコとダンゴが描かれてる点を考えると『人面草紙』のビッグキーワードは団子であることは外せない。
▼氷厘亭氷泉▼『人面草紙』、画面を区切る空間処理にはふつうの直線以外に、雲形の子持ち枠を多用したりしてるあたりは、柳亭種彦とかが絵草紙の絵につかったみたいに、わざとアンティークな絵草紙の技法を使ってる(あるいはそれを真似してる)というあたりもいえますネ。


おだんごが重要要素であろうという推察はすでにこの時点でおこなわれている。これがのちに「おだんごを食べたら」に繋がってゆくのだった。また、こぐろうさんによる『人面草紙』紹介ツイートは相当数のリツイート数にのぼったりもした。

▼紀伊国亭むじな▼最後のページの人面御殿がかなり怖い。我々の世界は既にじんめんにの(手記はここで終わっている)
▼氷厘亭氷泉▼大玻璃観とかみたいな絵草紙のなかにでてくるカッチョイイ空想上のお城みたいなのとかがやっぱり想定上にはあるのかな。人面のおしろ。

『北雪美談時代鏡』に登場するお城

人面御殿と呼ばれているのは、『古今妖怪累累』の『人面草紙』掲載ページのいちばん奥に載っている巨大建築物の屋根が人面の顔で描かれている建築物のことである。屋根のデザインとしてはかなり徳川時代の常識を打ち破っている感じではあるが、実際『北雪美談時代鏡』の終盤近くに登場する城(上に掲載した図)などを見てみると屋根の部分を除いた屋台部分などは想像としてもそこまで破綻しすぎのものではないといえなくもない。

▼こぐろう▼累々の『人面草紙』って、そもそも本当に江戸文政頃の作品なのでしょうか…?
▼こぐろう▼『人面草紙』の人面ども、差している傘にまで人面が現れていたり、人面の上に更に人面の大頭張り子を被ってたり、浦島太郎や豆腐小僧や幽霊の姿をしていたりで、何でもありが多すぎてクラクラしてくる。
▼紀伊国亭むじな▼人面草紙、日本のヴォイニッチ手稿説。
▼tera▼へその町のぬうりひょんといい魔像といい人面といい、今年は深く探ると謎の勢力に消されそうな妖怪が豊富で(日記はここで終わっている)
▼氷厘亭氷泉▼田植えしてる人面のよこにいる「二重人面」ってやつの概念がヤバすぎて、たぶんこれだけで5時間は語れる。
▼氷厘亭氷泉▼人面、こまかくじっくり眺めてるとキャラクターがある程度決まってるようなのもあるので(「よ」組の字がついてるやつとか極楽蜻蛉な髷のひととか巨大髷+巨大刀なお武家とか確実に人間でかかれてるおかみさんとか)日記的な記号なのかなとは読めた。
▼氷厘亭氷泉▼あと、凧あげとおままごとしてる横でビッグまり遊びしてる人面の着物の模様に団子とカボチャがあるけど、力持ちの見世物のかさねてある差し上げものの中にあるカボチャとかを見ても、カボチャのデザインは人面の顔の形状とにてて、作者の形状把握というかかたちの描き方の研究参考にはなります。
▼こぐろう▼人面のビジュアルイメージ、自分は椎茸松茸とかの茸も入ってるかなあと思ったんですよね。所々にそれを思わせる描き方があるし。
▼氷厘亭氷泉▼きのこイメージは入ってる予想はキノコとダンゴの印章の存在からも肯定できまスネ
▼氷厘亭氷泉▼お相撲の行事にもたせたり、火消しの衆に蹴り飛ばされてるのが団子売り(想像上の棒手振り販売形式?)だったり、団子が好きすぎる異常性から考えると、キノコもだいすきなハズ。という論理。

『人面草紙』に描かれている人面たちの顔のかたちは何を意図したもの、イメージしたものなのかについての部分も早速語られていた。主として『人面草紙』に描き込まれているものからの推理が図られており、この部分から現段階での人面を考察・想像する際のキーワードが出揃ったといえよう。

●妖界東西新聞----2017年9月10日

『妖界東西新聞』(2017年9月10日号・「木は林に、化けるものは人面ひきに」)では、人面とかぼちゃの説を応用した絵が掲載された。

『妖界東西新聞』「木は林に、化けるものは人面ひきに」


(以下、2018年6月9日追加公開分)

●妖怪アワード----2017年12月31日

2017年の妖怪アワードでは「今年の偉人」という表彰に「斎藤月岑」が選ばれた。実質は『人面草紙』の表彰であった。
妖怪アワード委員の式水下流さんによって制作された副賞の「人面金牌」は、神田司町の月岑の旧宅跡を示す碑のもとで後日授与式をコッソリ執り行った。(碑の上に金牌を置くことで月岑の家に行って渡した、ということにした)
妖怪アワード2017を斎藤月岑に贈った

●嘘字づくし----2018年6月9日

徳川時代以前の俗用国字の話題からtera氏が山東京伝『怪談摸摸夢字彙』にある妖怪に関する嘘字をアップしたことに端を発して、嘘字づくしあそびが過熱。そのなかで『人面草紙』の人面の嘘字もかたちづくられたりした。
おだんごが好きな人面という点からの発想で、団の字が凸の字に変形されているカラクリ。

『妖界東西新聞』「木は林に、化けるものは人面ひきに」


(以下、2018年10月3日追加公開分)

●『人面草紙』考察2----2018年5月から2018年9月までの蓄積

人面ひゐきの間で進められていった『人面草紙』の考察については、おおよその線は本ページのはじめの考察のまとめで記したとおり、2017年から斎藤月岑=人面草紙の作者説について情報の校勘が行われていった。

月岑史料のすきま…

第一のポイントは、『人面草紙』が別人の手による巻末書き入れのとおり「文政十年」の作であると仮定した場合、斎藤月岑が晩年まで日々書きつづけてた日記(現在、『斎藤月岑日記』として岩波書店から全10巻構成で公刊されている)が天保元年がいちばん最初のもの(書式や文字の大きさなどが一定してない点などから、『斎藤月岑日記』の解説でも天保初年が日記のスタートであろうと考察されてる)であることを考えれば、『人面草紙』で書かれている日記めいた事項が、文政年間の月岑の実際の日常であったのかどうか現時点では比較可能な史料が存在しなく、他の本人資料との確認作業は困難であるということがハッキリした。

谷口月窓のもとで絵を習ったり、日野荊山の塾などに通ってたり、すでに父(斎藤幸孝)が文政15年に歿してたことから町名主の仕事も相続して働いてたことなどは推測できる部分ではあるが、文政年間は月岑の事蹟の空白期間にあたる。この第一のポイントについては、月岑本人の記録史料が乏しいゆえ、今後はさらに外堀をうめることが肝要である。

初代のもちぬし…

第二のポイントは、9月13日に公開した『大佐用』vol.154「初代人面草紙マニア」などでも記述したように、集古会などで活躍してた林若樹(はやしわかき 1875-1938)が既に明治〜昭和にかけて『人面草紙』と称する斎藤月岑が描いたとされる冊子本を所蔵してたことである。氷厘亭氷泉さんが森銑三の著書(『斎藤月岑日記鈔』)に林若樹の所蔵事実が記載されてたのを確認した後、それを受けたこぐろうさんの資料確認捜査により『人面草紙』(「かぼちゃ一代記」とも古書として販売された際に称されてたようである)を林若樹は3冊本として所蔵してたようである。(現在、湯本豪一さんの所蔵となっている『人面草紙』の題簽に「二ノ内」とあることを考えると3冊あったということも納得は出来る)

3冊あったという部分を視野に入れれば、少なくとも同内容な肉筆冊子はまだほかにも宇内に存在するかも知れぬと言うことは出来、今後それが発見あるいは確認される日がおとずれるかも知れぬ。

人面草紙の人面いがいの人面…

第三のポイントとして、以前に考察をまとめた際に「作品について」で挙げておいた「特殊なデザインの人面と普通の人間を多量に織り交ぜた形」については、『斎藤月岑日記』のなかにも『人面草紙』とまったく同様な形状の人面たちが天保年間から月岑の最晩年に近い明治7年までときどきではあるものの描かれていることが改めて総確認されました。(絵が日記に描き込まれるのは、そう頻繁なことではなく、全体総量からするとモトモトの比率がかなり少ない)

日記での人面の登場にはある程度の傾向がみられ、それらは『人面草紙』でかなり派手に様々な人物な事物を「人面化」させて描いてたものと比べると、非情に温順で、日記事項に登場する周囲の近しい人物――具体的にいえば家族にのみ、その手法が使われてる。モトモト絵が少ない日記なので膨大な日記全体での登場例は合計してもゆびを5本折るくらいなのですが、すべて登場するときは人面のかたちで描かれており、代表は初めの妻であったおれん及び後妻のおまちで、他にも子供たちや親族とおぼしきひとが人面デザインに投影され、それぞれの特徴を持たせつつ描いてます。(ハッキリと誰なのかが分かる描き分けをしてるのは、『人面草紙』に登場する特定個性のある人面たちにも通じる描き方といえるのかも知れない)

森銑三は、林若樹たちとの交流からハッキリ斎藤月岑『人面草紙』の存在について知っており、『斎藤月岑日記鈔』においても人面草紙とそっくりなタッチが出て来る部分の絵については、凸型の顔を描いており人面草紙というものではそれを大量に描いてるがどうしてなのかはよくワカラナイ……などハッキリそれを踏まえた指摘をとってます。

以上の三つのポイントを合算すると…

「斎藤月岑によって『人面草紙』が描かれた」という推定は、月岑が日記にも20歳代から晩年に至るまで人面を描きつづけてたこと、明治時代に林若樹が月岑の作品として『人面草紙』を買ってたこと、などからほぼ点と点とがまとまって来たといえる。

ただし文政年間にまでさかのぼって日記や同時期に執筆された記録や人面の例は、まで完璧に引きだすことが可能ではない点からいうと、斎藤月岑が明確に人面を描くようになった年代や動機づけについては、未詳の霧がまだ深く残ることになります。

『人面草紙』が20代前半に描かれたとすればいちばん年代が近いといえる天保年間の日記に月岑は、団扇売りや火消しといったまちのひとびと、渡辺曙雪・長谷川雪旦といった知人などであってもキチンと人類のすがたで描いてる。1回だけ能狂言の面に人面めかしたものを使って描いてる以外は、後年に至っても芝居や見世物の主役や見物客も人類で描写され、『人面草紙』のような埋めつくすがごとき人面の多用はまったくもって見られない。つまり、前述のように日記ではほぼ家族のみを人面として描いてるのだが、はじめの妻であるおれんと祝言をあげたのは天保に入ってからと考えられており、その点でいっても月岑の「家族」も史料同様に文政年間は空白部分が多いのである。(文政年間には月岑の祖父・父は既に故人であり、母(ゑい)、祖母、叔母(ゆき)、ふたりいる姉が確実に存在してた人物としてのちの資料から確認は出来る)現在確認されてる『人面草紙』の中に、具体的な月岑の家族といえる存在が登場してるのかどうかは今後も読解が必要となってくる部分ではある。

●人面とおたふく----2018年9月28日

おたふく月岑日記と人面草紙でおなじデザインだ 「人面草紙の人面」ではない方角つまり「月岑日記の人面」についてですが、『斎藤月岑日記』での月岑の絵の特徴として目についたものに、おたふくの描き方があります、月岑が日記中で二度ほど(天保2年と明治3年)お酉さまのえんぎ物のおかめを描き込んでるのですが、それが非常に特徴のあるかたち。

人面を見慣れてる目からすると「おたふくの絵なんて、人面の輪郭をつかって描いたほうがいいのでは」と思ってしまうのですが、なぜかかたくなにおかめの三平二満なフェイスはしっかりと描きたいようで、いずれの天保の例でもそれから30年くらいあいだのある明治の例でもおなじかたち(下あごをしっかりでっぱらせた形状)で描いてます。

そこで『人面草紙』を確認してみると、こちらでもおたふくはこのかたちで描かれてるのでした。

こまかい箇所ではあるものの、絵の描き手の特徴部分として月岑は「おたふくは人面の輪郭では描かない」という部分があり、それが『人面草紙』でもそのように描かれてるというところを確認出来るとすれば、やはり人面のデザインというのはかなり冷静な判断意識のもとに用いられてた部分もあったといえるのかも知れません。(使うものと使わないものが決まってた、というよりも、使って描くものが決まってた、とするほうが妥当か)

●凸型----2018年9月

森銑三が『斎藤月岑日記鈔』で人面草紙の人面や月岑日記の人面のことを凸型と称してたので、「凸型」で人面についてを文章形容するのがうっすらと定着をはじめだした。

●月岑日記と人面草紙----2018年10月3日

天保元年の『斎藤月岑日記』の内容をいくつか挙げてみる。

▼1/9 できものが出来て歩けない
▼1/24 小網町の名主に嫁いだ姉が泊まりに来る
▼2/11 おしげ坊(小網町の娘・月岑の姪にあたる)がくる
▼2/15 『当世下手談義』借りる
▼2/25 久次郎(小網町の姉の息子。10月16日に月岑・おれん夫婦の養子となる)2才の誕生日
▼3/22 おばあさんとおっかさんお寺参り

たとえばこの間に日記に絵は1本も出て来ない。家族が登場してても気軽に絵がポイポイ気ままに描きつらねられてるような様子は月岑日記には無い。『人面草紙』にある特異な群像・密集した絵との作品と結びつきづらい点はそのへんにもある。実際月岑の日記はかなり簡素な書き方であって、ほとんどはただ短い文章による記録があるのみである。会った人なども名前が書き留められてる程度で、その日にあった要件や用事などが具体的に書かれてる例は少ない。(名主としてのあまり代わり映えもない定期的な事務雑務なども多いことは要因ではあろう)

同年の10月の出来事をいくつかみてみると、

▼10/1 このせつ寺院で墓をみがくやつがいる。その出没地を版行して売った者が捕まった。
▼10/2 鍛冶町の山吹で火の用心についての寄合い。
▼10/3 よ組の平吉が遠島ご赦免のお礼に来た。
▼10/8 小石川のおばさん来る。
▼10/10 よ組の平吉が島帰り祝いのおこわを炊いて持って来た。

鍛冶町の山という料理屋は寄り合い用の場所として月岑日記には頻出する店である。よ組は火消したちとして『人面草紙』にもしばしばいろいろな人面が出て来るが、たとえばこの天保元年に島ながしから帰って来たよ組の頭取の平吉が、人面草紙に出て来るよ組人面のどれなのかナとかを詰めてったりするのが、今後も読解していかないとイケナイ部分だ。

▼10/15 おれん、小網町の家へゆく。
▼10/16 久次郎を養子にもらう。
▼10/18 おっかさんと霊岸島の姉と久次郎、雑司ヶ谷の鬼子母神へおまいり。
▼10/19 月岑、久次郎をつれて雑司ヶ谷に「つなわたり」の興行を見物。
▼10/22 鍛冶町の山吹で食類商人の寄合いがあり、行く。
▼10/27 鍛冶町の山吹で朝に寄合い。

10月からいくつか採ってみたがこれらにも一切絵はついていない。日記に絵が描き込まれてるのは11月20日に久次郎のためにあつらえた迷子札のついたきんちゃく袋が出来上がったときのものであるが、袋がどういうかたちのものかを示してるだけにすぎず、普通のスケッチである。以後、天保2年4月27日、おれんさんがそうめんをうまいうまいと言いながら食べてるすがたを人面デザインで描くときまで日記には絵は描き込まれてない。月岑日記における絵の登場率、さらにその中に人面デザインが出没する割合は、だいたいこんな調子であると理解してもらえば間違いは無い。

日記1冊はだいたい1年間が充てられるが、無論そのなかには1年間ほとんど絵もなく人面もいないというものもある。しかし上述したように、日記には初期(天保)から末期(明治)にかけ、人面デザインそのものは存在してるため、月岑の人生のなかのほとんどの時間に存在はしてたことは知れます。

人面の具体的な使用例が確認出来るのは、まだ月岑日記だけだが、日記での絵の描かれる機会そのものがあまりにも低いので「頻度」の計算はつきづらく、日記以外の斎藤月岑による肉筆資料なども傍証としては欲しいところではある。

●おだんごと人面(『人面草紙』ひゐきたちによる文化活動 つゞき)----2017年〜2018年

『人面草紙』の作中におだんごが大量に登場していることは2017年7月から指摘されているとおり、人面=団子という認識は人面ひゐき達のあいだにも自然とつくられていった。(こぐろうさんなどはきのこ食べる説も推輓している)

おだんご食べたので人面草紙の人面描いた そこから派生してまず第一に「だんごを食べたので人面草紙の人面かきます」という遊びが生まれた。

その古例は2017年10月4日の氷厘亭氷泉さんによるもので、「だんごを食べたら人面草紙かかねば」と食した団子と共に人面を描いたものを画像ツイートしている。それと流れをおなじくしてteraさんの『TYZ』の2017年10月に描かれた表紙絵(「万聖百物語」)にも人面が描き込まれ、「みんなが人面で盛り上がっててくやしいから僕も紛れ込ませたヨ。団子も食べた」(2017年10月8日)とつぶやきコメントをしている。

▼氷厘亭氷泉▼おだんご食べたので人面草紙の人面描きました。(2018年5月2日)
▼tera▼甘味の評価基準に「食べたあと人面を描けるか」が含まれてる文化圏(2018年5月6日)
▼猫屋敷▼おだんご食べたら人面を描くという謎風習(2018年5月19日)
▼こぐろう▼食後に坊っちゃんだんごを食べたので、自分に代わって誰か坊っちゃん人面を描いてください。(他力本願)(2018年5月24日)
▼氷厘亭氷泉▼よもぎんご食べたので『人面草紙』の人面かきました。(2018年9月6日 註・「よもぎんご」は「よもぎだんご」というパッケージの字配りがそうよめるようなデザインだったことによる戯称)
▼氷厘亭氷泉▼おだんご食べたので『人面草紙』の人面描きました。尾花もさもさ。 (2018年9月25日)
▼氷厘亭氷泉▼きのうもおだんご食べたので人面草紙の人面……を松山恵子の落下傘スカートみたいに描きました(2018年9月25日)

だんごを食べたら人面を描くというあそびは、存在していたが実際それほど団子を日頃食べるかというとそんなに頻度の高いことでは無かったため、そこまで登場確率は高く無かった。しかし、2018年8月27日に「人面草紙のじんめん」ツイッターアカウントが活動開始して以後は(詳細は『大佐用』vol.153「人面草紙から団子」などでも記載)だんごの絵文字をやりとりすることが流行したりしはじめ、2018年8月末からは式水下流さんや小山田浩史さん、Mrs.ロブ・ゾンビちゃんなどをはじめとして「団子を購入して写真に撮影する」というあそびのほうが多くとられるようになった。人面草紙アカウントが「ねへ」という語尾を次第に強調していったこともあり、団子撮影写真に「……ねへ」という語尾がつけられるのも通常運転となった。

▼ぜんらまる▼じんめん病諸症状
・目に映るすべての顔が細目下膨れ(?)に見える
・三色団子を好み、また他人に押し付けるようになる
・語尾に「ねへ」とつける(2018年9月4日)
▼三芳庵▼台風だけど、お団子だよねへ。(2018年9月4日)
▼紀伊国亭 むじな▼みんな台風にそなへて団子を買おうねへ…(2018年9月4日)
▼渡辺福助▼こんな台風の日はお団子だねへ。(2018年9月4日)
▼Mrs.ロブ・ゾンビちゃん▼久しぶりに三色団子が売っていたねへ(2018年9月7日)
▼小山田浩史▼今日は三色団子が買えてしまったんだねへ (侵食が進んできた顔で) (2018年9月8日)
▼K&A▼都内のファミリーマートはお団子置いてる確率が高いねへ。(2018年9月10日)
▼gm▼草団子だねへ(2018年9月22日)
▼塗り佶▼蚤の市でもお団子食べちゃうんだねへ(2018年9月22日)

塗り佶さんは、2018年9月に人面の立体人形を制作した(左官屋さんなすがたの人面)おだんごを持ったかたちの立体化は世界最速である。お月見用にも同じ左官屋さんな人面を描いたていねいな切り絵(すかしの仕掛け入り)をつくっておられた。

▼ぷらんと▼図らずも人面っぽいものを見てしまったのでお団子も食べました (2018年8月28日 註…鈴虫寺でお茶をいれてくれる湯のみの絵に描いてある絵の顔が人面にかなり近かったことを指したもの。このページのまとめを受けてぷらんとさん追加していわく――「お寺の人曰く「(人面なんて)そんなこと知らないし考えたこともなかった」」)

ぷらんとさんがみた人面みたいな面相の湯のみ

▼Mrs.ロブ・ゾンビちゃん▼ういろうがじんめんにやられた……五平餅はなんとしてでも死守せねば……。(2018年9月7日 註…桂つかささんがお土産に持参したういろうの個別包装に人面の顔を手描きして添えてらしたことを受けて)
▼Mrs.ロブ・ゾンビちゃん▼ぶどうゼリーもじんめんに……。(2018年9月7日 註…ぶどうゼリーの容器に人面の顏を描いておられた)
▼式水下流▼かぶせてみたら現代感と言うか未来感がでたねへ(2018年9月9日 註…ゼリーを食べたあとのぶどうゼリーの容器)

桂つかささんによるういろ人面

ぶどうゼリーの人面

桂つかささんは、2018年8月30日に自身を人面に仕立てたドット絵を制作したりしている。また所属する怪作戦のグッズとしてデザイン・頒布してる「妖怪シール」のなかにも人面を用いたものをつくってる。

▼吉井徹▼アイスの実は丸い……アイス団子といえる……団子と言えば?(2018年9月2日)
▼氷厘亭氷泉▼吉井さんのクーラー爆発したのかナ?(2018年9月2日)

▼好翁▼団子はやっぱり磯辺か餡子だな(三色団子を食べた感想)(2018年9月4日)
▼tera▼実を言うと地球はもうだめです。 突然こんなこと言ってごめんね。 でも本当です。 18日後にものすごく十五夜があります。 それが団子の合図です。 程なく大きめの団子が来るので 気をつけて。 それがやんだら、少しだけ間をおいて 団子がきます(2018年9月6日)

▼K&A▼ここ最近のTLに見る「団子」+「ねへ」率に戦慄してる。(2018年9月12日)
▼tera▼人面に頭脳を侵略された河童「尻子玉はお団子だったんだねへ…」(2018年9月15日)
▼ふしぎあん▼お団子みたいなカマボコだねへ。飲み物を添へるとふぁるこんらんちみたいだねへ。(2018年9月30日)

▼rh▼ 人面瘡のことをつぶやいたことはあるが人面についてつぶやいた覚えはないいつの間にか人面アカウントにフォローされてた(通知はなかったが‥‥?)(2018年9月8日)
▼小山田浩史▼入手した団子の画像をアップするといいね!がついたりRTされたりするSNS、よく考えてみるとなにかおかしい…… ウッ、頭が痛い……!(2018年9月8日)
▼ぜんらまる▼みんなもっとウィンナーの画像あげようねへ(2018年9月8日)
▼氷厘亭氷泉▼まだ自我がのこっているな、だんごをながしこめ(2018年9月8日)
▼gm▼思考が団子に侵されてるねへ…(2018年9月8日)
▼gm▼人面はお団子から作られた人間かもしれないねへ(2018年9月10日) ▼gm▼人面の呪いが強力すぎておだんご中毒からは逃れられそうにないねへ…(2018年10月4日 註…あんこのおだんごの写真をあげつつ)

▼ぜんらまる▼TLで串団子流行りすぎている。次のブームは糖尿病か?(2018年9月6日)

●人面アイコン----2018年9月の特異現象だったねへ

2018年夏、9月20日に発売される『妖怪絵草紙』(パイインターナショナル)に『人面草紙』が全収録されるという報せを人面ひゐき達に初めにもたらしたのは御田鍬;さんであった。その時季とに合わせてか、人面草紙アカウントが「お月見には何かが起こるねへ……」といった旨のツイートを吐き出し、8月末日以後、人面ひゐき達は中秋の名月の日が近づくにつれ、つぎつぎとアイコンを人面の画像へと替えるといった特異現象が起こった。(人面ひゐき同士が多く出没した場合、タイムラインのほとんどに人面が居並ぶ場合もあったりしてやや混迷を極める場合もあった。――ただし、すべての面々がアイコンを人面に替えたわけでもない)

▼御田鍬;▼妖怪絵草紙 湯本豪一コレクション(2018年8月21日)
▼tera▼人面草紙の全貌がまだ公開されていなかった頃を近所の小学生に語る古老として未来を生きたいね(2018年8月21日)
▼tera▼「わしが若い頃は団子食うて人面描くと狂人扱いされたもんじゃ……」(2018年8月21日)
▼紀伊国亭むじな▼タイムスリップした妖怪ぐるい「人面草紙が出版されるゾ」GESSHIN「は!?」(2018年8月21日)
▼ぷらんと▼なんかでかいマザー人面みたいなのが見えるな(2018年9月3日 『妖怪絵草紙』新公開部分にいた花魁の人面を見て)
▼久佐馬野景▼ある日気付いたら人面のフォロー欄のアイコンがみんな人面草紙になっているやつだ……(こわい)(2018年8月27日)

人面草紙アカウント活動開始直後の久佐馬野景さんの危惧は現実のものとなったのだった。

▼氷厘亭氷泉▼全裸人面アイコンで「だんごむし」って言いだすぜんらまるさん、偶然にも月岑値がはねあがってしまっている。(2018年8月30日 註・だんごむしのおもちゃのガシャポン設置店をぜんらまるさんが探してた)
▼ぷらんと▼そろそろいつもの界隈の2/3くらいは人面になってる感じがする(2018年9月4日) ▼こぐろう▼人面の国で確認された、一つ目蝸牛の変異体。団子や茸を主食とするらしいねへ。(2018年9月8日――こぐろうさんのきのこ説がキチンと「人面蝸牛」には反映されている)
▼小山田浩史▼人面犬はやっぱりアレなんで鬼のような人面、その名も鬼人面にアイコンを変えたんだねへ。 こいつは団子じゃなくて饅頭が好きらしいねへ (さらに別方向に侵食がすすんだ顔) (2018年9月8日)
▼きゃの十三▼皆がアイコンを人面にしてるならボクもアイコンを人面にするぅ〜!! (2018年9月13日)
▼氷厘亭氷泉▼みんなが人面アイコンなの、蠱毒祭の1週間よりも狂った世界観なんですね(2018年9月13日)

▼幣束▼ちょっと海外行って戻ってきたらアイコンが人面になってる人が何人もいてナニがあったんですかね…(2018年9月1日)
▼白澤▼いや、少しTwitter見ないうちにみなさんのアイコンがおかしくなってません?焼きあがった餅みたいな輪郭になってるんですけど…(2018年9月17日)

▼幣束▼買ってきたんだねへ30%引きだったんだねへ(2018年9月20日 註…『妖怪絵草紙』と秋の三色を買ってらっしゃる写真とともに)

▼氷厘亭氷泉▼人面アイコンのやつらが並んでる狂気空間(2018年9月28日)
▼小山田浩史▼近くで「どの人面アイコンの方ですか?」などという挨拶が交わされていて室温が高い(2018年9月29日――註・池袋のジュンク堂で行われた『妖怪絵草紙』出版記念トークショー会場でのこと。実際1列目と2例目が半分くらいそんな感じであった)

▼烏山奏春▼今日はやけに静かだなと思ったら、湯本先生のイベントか。(2018年9月28日)
▼tera▼みんな脳に団子を注入されている頃だろう(2018年9月28日)

▼吉井徹▼戻ったけど、人面は心の中で生き続けるんだねへ(2018年9月25日)

お月見の晩をさかいに、あるいは『妖怪絵草紙』を購入・入手後にアイコンを戻す者が多く、2018年10月にはほぼみんな以前のアイコンになった。アイコンが人面であろうがなかろうが人面ひゐき達は人面と触れ合って居り、mayumiさんなどは人面草紙の人面と河童を登場させた幻灯(人面草紙な時代感覚で言えば都楽など演ってた「うつし絵」)を制作したりしている。

●人面をひとつの項目として編入させる

ぷらんとさんはいろいろな妖怪たち(画像妖怪たちについて強い)の絵を描いてアップしてゆく「独断と偏見で選ぶ妖怪紹介」のなかで、人面を描いており、これは2017年10月6日の作品でこのような連作のなかに組み込む行動としては、かなり早い部類のものであった。人面ひゐきの解釈として7月以来形成されてた「おだんご好き」という性質から、3体描かれた人面のうち、中央の青い着物の人面がおだんごを持っており食べてようとしている。

氷厘亭氷泉さんは『妖界東西新聞』で人面を用いたが、「和漢百魅缶」への掲載は2018年9月28日に通算5600体目記念+『妖怪絵草紙』発売トークイベント記念として人面を掲載した。こちらは人面ひゐきの間で既に確認事項となっていた「月岑日記の人面」がリデザイン元として用いられている。

和漢百魅缶 じんめん 人面

●人面草紙かぼちゃの巻----2018年9月25日

人面草紙かぼちゃの巻』というアクションゲームが制作・公開された。人面をプレイヤーキャラに据えたもので、フリーゲームとして配布されている。

人面草紙かぼちゃの巻

『アクションゲームツクールMV』のアーリーアクセス版で制作されており、同ゲームの公式サイトでもツクラー(ツクールシリーズユーザー)による制作例として人面の名がどかどかと掲載された。ゲーム中には、こぐろうさんが人面アイコン用につくった人面蝸牛が登場する等、人面ひゐき達の想像したあらたな人面要素も多数ちりばめられている。

●人面草紙開板祝諸士与勢雅喜----2018年9月28日

人面草紙開板祝諸士与勢雅喜

『大佐用』vol.155に縮摸して掲載されたもので、人面ひゐきによって人面がよせがきされた記念の短冊。各地から池袋(ジュンク堂で行われた『妖怪絵草紙』出版記念トークショー会場)につどった人面ひゐきの面々(の一部)が筆を染めている。

当日は他に記念千社札が制作されており(氷厘亭氷泉さんによるもの)染筆者に配られたほか、湯本豪一さんに札の原画と共に贈られた。千社札のほうは、「大入」の入の字が人面のようになっていた。

短冊への染筆第一号はきゃの十三さんで、じぶんの人面アイコンとして9月中に用いてた自作の人面イラストとおなじ人面を描いてる。gmさんによる人面の脇には「戻れないねへ」と書き添えられている。これは『妖怪絵草紙』の帯に用いられてた「見たらもう戻れないねえ」「そうだねえ」という人面語(?)で、帯のデザインが知られて以後、人面ひゐき達のあいだでも団子を買った写真をアップしたり、アイコンが人面化したりした際に用いられたりするなどした。

●月岑ナビ

『妖怪絵草紙』入手後の御田鍬;さんによる指摘ポイントで、通常のレベルよりもやや過剰気味に文字解説が絵のまわりに書き入れとして存在してること。(『鎌倉ものがたり』などの西岸良平作品における過剰気味な注記の文字を「西岸ナビ」と称していることに寄せたもの)

▼御田鍬;▼藪の後ろより駱駝かしらをいだすところ(西岸風月岑ナビ)(2018年9月23日)
▼氷厘亭氷泉▼「桔梗だよ」っていうナビはたしかにヤバイ。これはかんぜんに西岸ナビですね……。(みたすきいハカセの指摘がじわじわわかる) ――唐土の景色・桔梗・富士山などなどは実景というよりもそういう画題の「絵」の手控えと考えほうがスッキリくる。(2018年9月27日)

『人面草紙』該当箇所は『妖怪絵草紙』のページ数でいえば、らくだは112ページ、ききょうは99ページに掲載されてる。このような少々過剰気味な箇所は他にもいくつかあり挙げてみれば次のようなものもあった。

▼ほていさま(御田鍬;さんいわく「横に名前表示があるのにさらに顔面に書いてる」)――87ページ
▼此所軒下斗たたきなり(軒下の部分の地面がたたきであることを明細にナビ)――89ページ
▼とび石(とび石そのものの上に書き入れられてる上に横の石にも「同」と月岑ナビ)――98ページ
▼さんぼう也(おかがみもちの台というのは見ればわかる否定のしどころがないのにナビ)――128ページ
▼ぶたい(みたまま)――134ページ
▼船頭せんどう船頭船頭船頭(船頭さんの着物のがらが文字。着物のがらと見ればそういうものとしてもよいのでこれは少々異質だが、意味としてはナビ)――147ページ
▼李逵(水滸伝の登場人物。扮装らしいが布袋と同様に名前表示があるのに着物にもさらに書き込んでる。同丁の「百まなこ」も同様に着物にナビ目的の書入れがあるがそっちは表示の重複は無い)――149ページ
▼とうもろこしにほんならべてある(絵でみればわかる過剰ナビ、しかもとうもろこしはかなり巧く描かれている)――153ページ
▼[是よりつぎへつづく][前のつづき](これは純粋にナビゲーション目的の書入れである。合巻で多用されているものであり、雲型の枠線同様に絵草紙を意識している演出)――180・183ページ
▼とびいしあり(お屋敷の庭の描写であるがとび石には何か月岑は造詣興味が深かったのかナビしている、ただしこちらは石に書入れて無い)――182ページ
▼かばやき・なべやき(とうもろこしと同趣。この丁には蒲焼以外にも食べ物が描かれてるが――御田鍬;さんいわく「月岑のデッサン」――他のすいか・団子・のりまき・大根おろしには無い、基準は明確ではない)――193ページ

『斎藤月岑日記』などにはそこまで過剰なものは見えたりはしないが、斎藤月岑の編著気質を考えればあったとしてもそこまで変な部分ではないともいえる。ただ、そちらを比重として大きくとれば『人面草紙』は純粋にストーリー展開を構想したうえで執筆したものである側面は薄くなり、絵日記や手控え帳のような役割としての要素が濃かった冊子であるとも考えることが出来る。いっぽうで絵草紙めかした次のみひらきへり「つづく」をいきなり用いてみたり、空白の多い箇所や明らかに長期間にわたって少しずつ蓄積させつつ描いてる様子がうかがえる点があったり、どちらなのかいまひとつ決め手に欠ける。