2020年のアマビエ解説について――アマビエ2020A/B

2020.05.01 氷厘亭氷泉 

2020年2月下旬以後、情報認知が爆発拡大したアマビエについて、こちらに特別ページをあつらえてみました。

2020年3月〜4月にかけて拡散したアマビエは、用いられる本質や解説の内容がこれまでとは違うかたちに変動した結果、《アマビエ2020》と呼び分けても良い「別の性質をもった存在」であると言えます。
しかし、大規模にその存在を拡大させる手助けとなった「報道メディア」上での取り扱い方については、基礎認識などの違いなどから生じるとみられる問題点が、やや多く見られます。

まずは、これまでのアマビエと現時のアマビエがどのように異なったものであるかを、つづいてそれが「解説」される際にどのように問題を浮かべてしまうのかについて、申し述べたいと思います。

本ページは、おもに妖怪仝友会『大佐用』に掲載した内容をまとめて構成したものである。
→ vol.190「アマビエ2020A/B」(2020.3.13)
→ vol.192「朝陽館漫筆の鳥」(2020.4.13)
→ vol.193「アマビエ2020B/C」(2020.4.29)

アマビエ2020という呼称は、NENさんの「アマビエの性質がどんどん変わっていく……。もしかして今いるアマビエはアマビエ(2020)とかそういう別妖怪なのでは?」(2020.3.8 PM10:36)というツイートを参考に膨らませたもの。

1.アマビエ2020になっちゃった

基本的に、2020年2月末以後に拡大をしたアマビエも発端は2019年あるいは2020年2月までのアマビエと、違いは特に無かったと言えます。

それは、これまでもアマビエを、「数あるうちの妖怪の一個」あるいは「むかしの絵に出て来る存在の一体」として、ごく普通に描いてた人々が、今回の流れの《振り出し》として存在してるからです。

モトモト他作品なり図書なりでアマビエについての知識をそれぞれ持った上で、アマビエに付与されてた要素のうちの一角であるところの――病をまぬがれることが出来る――という部分を抽出して、「今は流行病がつづいて大変だから、こういう時季に描く妖怪画題としては良いのではないか」といった動機から描かれはじめているわけですから、本来ならばそこで特に変動は無いのですが、その後の拡大が広すぎたことによって、特殊なことになってしまったと考えられそうです。

ごくせまい範囲での選択肢のうちのひとつでしかなかった――

「(妖怪を描く場合)アマビエの絵を《疫病退散》の意味合いを持たせた画題として描く」

――と、いう行為が拡大してゆく過程で――

「アマビエは《疫病退散》の妖怪らしいので描く」

――と、少し認識が転がって固定化されだした状態になったあたりが、現状に到るまでの変動を含めて考えれば《アマビエ2020》の生じたみきわめポイントだったと言えます。

疫病に効くみたいな要素のある妖怪って何があるかナ」と「画題」を探す発想がそもそも出発行動にあり、「この妖怪は疫病を鎮撫させると昔の人に信じられて描かれてた」から描いたわけでは無いのである。
アマビエを画題としてつぶやきはじめた振り出し発端としては、大蛇堂さん、しげおか秀満さんなどの名前が挙げられている。それ以前にも2月27日に小山田浩史さんが日頃から用いてた民俗学バトルカード画像のアマビコアマビエを出しつつ「アマビコやアマビエがインターネッツ上に復活したりしないだろうか」(2020.2.27 AM0:25)などと茶にしていた。
アマビエが画題として出る以前には角大師源為朝なども出ており、こちらもいくつかイラストがツイートされていた。アマビエも多くある画題のうちのひとつでしか無かったわけである。のちには手洗鬼なども挙がって描かれている。
このような、日頃妖怪を描いている層(ひょーせんなども含めた)の「画題」選択などは平生から様々に行われてるものであり、特別めずらしいものではない。拡散・普及されたことのほうがめずらしいわけである。

2.疫病退散の妖怪であると伝わる

《疫病退散の妖怪、アマビエの絵を描く》というかたちが時好に適し、その結果として広い層に伝播したことは、誰もが認識できると思います。

また、そこでのイメージが「疫病退散の妖怪」のみに特化して《アマビエ2020》と言えるような存在に変動したことこそが、時好に適したポイントだったとも言えます。そこには、「画題」として抽出される以前のアマビエには通常ひとセットでついてまわっていた――

「予言をしたという迷信めいた噂と共にかわらばんにされて売られたりしてた」

――というアマビエのいちばん大きな先行認識要素は、剃り落とされたり変性したりして、単なる《疫病退散の妖怪、アマビエについての豆ちしき》のような位置に下落しています。それもそのハズ、大多数の《疫病退散の妖怪、アマビエの絵を描く》=作品をつくって出す行為には、本質としては必要のない「解説」部分だからです。

つまり、《アマビエ2020》は、疫病退散の祈願をふくめて描く「画題」というかたちで時好に乗ったのであって、基本的に主となる部分はそれぞれの「作品」でしかないわけです。

ここではアマビエが「妖怪」であることは特別な意味合いではなく、ねこやうさぎ、にこにこ顔のついた花や星を絵として描いたりするのとスタートラインとして「画題」が一般層にも並ぶことが出来たというダケで、おたふくひょっとこを描いたりするのと本質としては差は無いわけです。

ここでいう「疫病」も、「流行病」全般から「新型コロナウィルス」に特化したイメージのようにとりあつかわれるようになった傾向が一般にある。
アマビコアマビエアリエなどといった妖怪の関係性や立ち位置については2000年代以後、湯本豪一『明治妖怪新聞』(1999)などを起点として考察が進められており、基本認識がアマビエ単体にしか存在しなかった1990年代とはモトモト大きい隔たりがある。

しかし、いっぽうで2020年3月上旬からあと、つまり《アマビエ2020》の拡散自体がTwitter上で目に見えるようになってから生じた別の流れがあります。それが、《疫病退散の妖怪であると伝わるアマビエ》といったかたちの「解説」です。

これは主に、《アマビエ2020》がTwitterで数がふくれあがった結果として生じた、現象に対する「解説」で次第に形成されたもので、『J-CASTニュース』に2020年3月8日に掲載された「妖怪「アマビエ」のイラストがSNSで人気 伝承に脚光「疫病が流行れば私の絵を見せよ」」などの記事はそんな「解説」の走りとなったものです。

最大の特徴は、《疫病退散の妖怪、アマビエ》というかたちで《アマビエ2020》を説明するのではなく、《疫病退散の妖怪、アマビエ》という基本認識でかわらばんに描かれたモトモトのアマビエのほう(かわらばんには、弘化3年(1846年)という書き入れがあるので、いうならば《アマビエ1846》)を解説しはじめてしまってる点です。たとえば――

この瓦版によると、何やら海に夜ごと光るものがあり、役人が調査に赴くと、奇妙な妖怪が姿を現した。

妖怪は、

「私は海中に住む『アマビエ』である」

と名乗り、

「もし疫病が流行るようなことがあれば、私を描いた絵を人々に見せよ」

と告げて、再び海の中に消えたという。 J-CASTニュース「「妖怪「アマビエ」のイラストがSNSで人気 伝承に脚光「疫病が流行れば私の絵を見せよ」」

――と、かわらばん(《アマビエ1846》)の内容を逐一現代語訳までしてるのに、あいだに入るほんの少しの文字数でしかない「豊年になるぞ」などの予言要素をわざわざ意図的に抜いてたりしています。また、その上で――

以前から一部の妖怪ファンの間では知られていたアマビエが、一気に注目を集めるようになったのは2020年2月の末ごろから。新型コロナウイルスの流行に、どこか息苦しい空気が漂うなか、瓦版にある伝承に注目し、アマビエの絵をツイッターなどに投稿する動きが、自然発生的に始まったのである。 J-CASTニュース「「妖怪「アマビエ」のイラストがSNSで人気 伝承に脚光「疫病が流行れば私の絵を見せよ」」

――と、その《振り出し》発生が、一部分を抽出して疫病退散としての「画題」として特化させたもの(《アマビエ2020》)であることをかなり曖昧にしてしまって、現在話題となってるのは《疫病退散の妖怪であると伝わるアマビエ》である、と読み取れてしまう内容の「解説」が形成されてます。

掲載時期の近い、2020年3月12日の『時事ドットコムニュース』「疫病退散」の妖怪人気 江戸時代と心理同じ?―新型コロナ」にも、同様の傾向は見られ――

新型コロナウイルスの感染拡大が続く中、江戸時代に流行し、疫病退散に御利益があると信じられた妖怪「アマビエ」が人気だ。 時事ドットコムニュース「疫病退散」の妖怪人気 江戸時代と心理同じ?―新型コロナ」

――と、《アマビエ2020》がそのまま《アマビエ1846》の基礎認識にすりかわってしまったまま、文章がはじまっていたりもします。

このような《疫病退散の妖怪であると伝わるアマビエ》という基本認識で構成のすべてが進んでしまう「解説」は、《アマビエ2020》からまた一歩、いうなれば《アマビエ2020B》という、さらに別ものになってしまったものと言えるでしょう。

アマビエは『Wikipedia』にも単体記事が以前から存在しており、かわらばんの内容なども掲載されていた。《アマビエ2020》が拡散される過程で、そこを中心に多くのひとに情報が参照されやすかったことも一般に大きく広まる援けになったことは大きいだろう。
弘化3年という記載はかわらばんの本文中にはなく、あくまでも本文とは関係なく書き入れられてた文字に拠るもの。
アマビエ1846》が「解説」で深堀りばかりされてしまうことによって「伝わる」の部分は「江戸時代からそう伝わってるんだ〜」という感想しか一般には浮かばなくなるわけである。
この記事を自然に読めば「一部の妖怪ファンの間では知られていたアマビエ」が「瓦版にある伝承に注目」されることで「自然発生的に」画題として人気になった、ということになってくるが、ここでいうところの「一部の妖怪ファン」あたりの層がモトモト起点となってる部分が根本的に欠けてるわけである。◆ごく普通に描かれてたアマビエ→◆疫病退散の意味合いを持たせた妖怪画題として描くアマビエへの特化→◆《アマビエ2020》への変化――という流れは水たまりに蚊がわくような具合に「自然発生」させることは難しいのである。
このような「解説」の流れは、Twitterで散見できるかというと、こちらは少し異なっており、どちらかと言えば「かわらばんのなかではアマビエは、写せと言ってるダケで、病気をまぬがれる・治すとはひとことも確約をしてない」といった内容の「解説」のほうが多く出現している。これも、どちらかといえばアマビエ単体のみにしぼって特化をした見方から、今シーズンに新しくつくられた「解説」で、かわらばんなどになって売られたりしてた予言をする他の例などと並べてみると見え方の変わって来るものである。ただし、そもそも「まゆつばな野郎かも知れんナ」とアマビエを見てる側面(も含んでるこのあたりはアマビエ2020Bからは意識的にかなり剃り落とされている)と言えば、こちらのほうが明治時代の新聞社や徳川時代の人々の目などには、より近いかも知れない。

3.アマビエ2020Aとアマビエ2020B

● 《アマビエ2020A》は、《疫病退散の妖怪、アマビエの絵を描く》ことで生まれる「作品」と、その一般への爆発拡大。
● 《アマビエ2020B》は、《疫病退散の妖怪であると伝わるアマビエ》という基本認識でなされる「解説」。

まとめなおしてみると、以上のように分類出来てきます。
このふたつは、一見すると何も差異がないようにも見えますがひとつダケ異なる要素があります。それは2020年に《アマビエ2020》というべき特化――

「病をまぬがれる」という要素をアマビエから抽出して、疫病退散のための「画題」としてスタートさせた

――が、変動として生じた結果であるということを、必要とするか・しないかというところです。

手早く言えば、《アマビエ2020B》はそれを必要とするものであるクセに、まったく言及することなくのんのんと息をしてるといったシロモノです。

アマビエ2020A》は、結局のところ「作品」でしかないので、アマビエという妖怪の「病をまぬがれる」という 要素に着目すれば別の場面、別の時世でも堂々成立が可能なのですが、《アマビエ2020B》は、そもそもここでいう《アマビエ2020A》=《疫病退散の妖怪に特化されたアマビエ》を「解説」するために発生してしまってるものでしかないため、今年ここで《アマビエ2020》としてとりあつかわれ方が変動した、という部分の記述をイチバンおろそかにしてしまってることは最大の穴なのです。

その《アマビエ2020B》の穴が、そのように認識されづらい原因は、《アマビエ2020A》によって、ごく普通のアマビエに対する基本認識が、《疫病退散の妖怪》という特化部分のみに洗練されてしまってるからで、そこが原因となって、「報道メディア」での「解説」が《アマビエ2020B》になってしまうという悪循環が発生してるのではなかろうか、というのが近々やや多く見られる問題点です。

たとえば、2020年4月19日に放送された『日曜美術館』(Eテレ・「疫病をこえて 人は何を描いてきたか」)では、ここでいうところの《アマビエ2020》についてを取り上げてたのですが、そのVTRのナレーションでは――

その姿を描けば新型コロナウイルス対策になるとされ若者の人気を集めています 日曜美術館「疫病をこえて 人は何を描いてきたか」
妖怪ファンのあいだで疫病を防ぐとされていたアマビエ 日曜美術館「疫病をこえて 人は何を描いてきたか」

――など、明らかに《アマビエ2020B》な傾向の言動が目立ちました。また、3月上旬の段階から今回のアマビエの流れについて、予言要素などが欠けており過去のものとは人々の間でとりあつかわれてる性質そのものが変動している、という旨も指摘してる長野栄俊さんをインタビューゲストとして出演させてるにもかかわらず、そういう《アマビエ2020》な面についてでは無く、アマビエアマビコたちの誤記例かもである――という《アマビエ1846》についてを拡張するための豆ちしき方面でしか活用されておらず、この点も、非常に《アマビエ2020B》な基礎認識で構成されているということを感じた点でもありました。

また、「若者の人気を集めています 」などといった変な切り口の語り方でアマビエ2020についてを括っている点も、一見アマビエ2020Aを解説してるようで解説してない完全に曖昧なものとなっており、何も具体的な例示がされなかった「妖怪ファン」という存在の言及と同様に、《アマビエ2020B》を下敷きにしつつ、そこから一歩も進んでない基礎認識でしかない構成が透けてみえるものでした。

このような、《アマビエ2020B》なタイプの「解説」について言えることはただひとつです。

それは、ほんの少しの文字を記事なり構成なりのなかに加えるダケで済むことであって、《疫病退散の妖怪であると伝わるアマビエ》と済ましてしまう箇所を《疫病退散の妖怪であると2020年に言われるようになったアマビエ》とするダケです。

アマビエ2020Bは、極端にいえば「流行の解説」として成立するものであり、アマビエ2020があらたに生じたことや、アマビエ2020Aの個々の具体的な「作品」を見ることに注力されるべきなのだが、ほとんどそうなっていない点が特徴となっている。 理解や解説はアマビエ2020A側に当初から明確に存在している分、その乖離は大きい。
→ 蠱毒大佐の妖怪数奇チャンネル「突然大人気!病避け?アマビエ」(2020.3.21。アマビエ2020A側の解説例。アマビエ2020の変動について動画の最後で触れている)
基本となっている「病をまぬがれる」という要素そのものも、厳密にいえば同様な例とみられるアマビコアリエなどの絵紙についての考察に基づく知識が無ければ深まっていなかった要素である。
アマビエ2020Bは、内容の流れをアマビエ1846がどのような資料なのかを豆ちしき的に掘り下げてゆく方向性でしか進行させることの出来ない点に特徴がみられる。そこでは「画題」としてさまざまなひとが選択肢のゼロラインにアマビエという「絵」を得たという、現代からの見方そのものが失われている。
「妖怪ファンのあいだで疫病を防ぐとされていたアマビエ」というナレーションは、J-CASTニュースの記事(「「妖怪「アマビエ」のイラストがSNSで人気 伝承に脚光「疫病が流行れば私の絵を見せよ」」)に登場した「以前から一部の妖怪ファンの間では知られていたアマビエが」という文をそのまま受けて構成したものと見えるが、その妖怪ファンという存在をまったく明らかにしておらず、アマビエ2020の振り出しとなっているハズの、彼らのいうところの「妖怪ファン」の作品を一切調査の振り出しとはしていない。このあたりは「妖怪」というものに対しての理解がどうこうとかいうはなし以前に取材・観察態度そのものに疑問がもたれる点もある。
長野栄俊さんの記事「【ふーぽコラム】新型コロナ封じで流行中の妖怪「アマビエ」の正体とは? 本気のアマビエ研究者がわかりやすく解説します!」(2020.3.11)は、海彦アマビコ)たちをキチンと主軸に据えていることもあって、メディア記事としては最も早い段階で予言要素が欠けてる点などを含め、アマビエ2020な様相が生じていることを理解させる解説がなされている。
今回のSNS上でのアマビエ大流行からは”予言”の要素が抜け落ちており、護符の面のみで拡散しているようだ。」(◆【ふーぽコラム】新型コロナ封じで流行中の妖怪「アマビエ」の正体とは? 本気のアマビエ研究者がわかりやすく解説します!)

厚生労働省は「若者の皆様へ」として4月上旬から情報普及のキャラクターにアマビエを用いており、画像や動画などで広報をしているが、「疫病から人々を守るとされる妖怪「アマビエ」をモチーフに」などとその「解説」は、ややアマビエ2020B寄りである(「守るとされるようになった」などの書き方では決してない)アマビエ2020以外のアマビエ全体イメージも含めて考えたりすると、財務省が『源平盛衰記』に出て来る貴狐天王を広報キャラクターにするような感覚なのだが、どうなのだろうか。

4.まとめ

「作品」として描かれたり造られたりしたものの「画題」が「妖怪」であるからといって、それ自体が何か特殊なものであったりするわけでは決してありません。
伝承だのヘチマだのといった文言は、「画題」に何が使われてるのかよりも、その「画題」をどうしてその作者たちが選択肢として得たのか、身近としたのか、などのほうに進んでゆくのが普通のはなしでしょう。

今回のアマビエの加熱は、たまたまこのような時局と重なったことによって、多数のいろいろなひとに「画題」の選択肢のゼロラインにアマビエがやっと行き届きはじめたというダケのことでしかありません。

ですので、その分だけあたらしく選択肢を得たばかりの人々に対してそれはアマビエ2020という特化変動をほどこされた状態のアマビエであるという「解説」――つまり、《2020年にあたらしく抽出されたかたちの「画題」である》という箇所を、もっと強調しても損するところは何も無いと思います。(むしろ、その「解説」をアマビエ2020B式にアマビエ1846のみに進めてしまうのは、「最強の妖怪は空亡だよ、『百鬼夜行絵巻』の最後に出て来るこの絵それです」などと途中に存在する変動に言及することなく「報道メディア」が「解説」しだすのと何も変わりはないでしょう)

3月中旬時点で、どのような「解説」が登場するのか悪い方向にワクワクしていたものの、実際そのとおりな構成のものが多く見られたので、このような特集ページを改めてあつらえて置く気になったのですが、果たして分かりやすいか、分かりづらいかは未知数であるし、海外でもどのような認識に伝ってるのかどうかは心配ダ、というところが目下の心配どころです。

基本的に、アマビエが2020年に《疫病退散の妖怪》として要素特化したりすることについては、それについて「それは間違った伝承だ」などと指弾する気は全くない。2020年に《疫病退散の妖怪》として《あまびえさま》となった、ぐらいの勢いでクラスチェンジ版をつくりたいほどである。問題はアマビエが2020年に《疫病退散の妖怪》として要素特化している事実について、触れずに「解説」しつつ、それを昔からのアマビエの要素であるとしてしまうような構成の「報道」や「記事」である。これはむしろ、さらに大きな「(2020年ごろにはこう言われてるが〜)それは間違った伝承だ」という勢力を生み出してしまうダケだからである。

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