妖怪に大きな進化が加わった主な時代は足利代と徳川代ですが、さらに多様な進化を深めていったのは現代(20世紀初期以後)と称される鬼質時代です。 現代の中でも、20世紀後半以後にあたる「びろーん紀」と「わいら紀」には、現在の妖怪に直接関係のある進化、あるいは特殊な発達をとげたものが最も多く発生しています。
その「びろーん紀」と「わいら紀」に顕著な進化、独自の発達をとげた妖怪たちの中から、おもだったものをそれぞれ18種類よりぬいたものが「怪奇十八番」と「新古十八種」です。
ここではまず、現在の妖怪に直接関係のある進化、あるいは特殊な発達をとげたものが最も多く発生しているという「びろーん紀」と「わいら紀」の特徴の一端を知ってもらうため、そのおおまかな概要と、個々の妖怪の特徴の解説を記しています。
怪奇十八番の概要と解説
くびかじり│ずんべら│くびれおに│みつめやづら│おおかむろ│ちくき│わらいおんな│かねくい│をうに│
がしゃどくろ│もろくび│あかじた│うみばけ│おおどくろ│うわん│はらだし│もののけ│びろ〜ん│
新古十八種の概要と解説
わいら│かげおんな│こなきばばあ│みみだけのようかい│うみうし│つちころび│うみろくろくび│ぬりかべ│
やまぶどうのむすめ│もぞこい│くろいつぼのけもの│めくい│のっぺらぼう│うめどろぼう│やまかみ│
かたあしじょろう│いしかじり│ぬらりひょん│
びろーん紀(Biron period)は、それまで画像細胞しか持っていなかった妖怪たちが色々な進化をとげた点が顕著ですが、それ以外にもこの時代を起点にして発生進化をした妖怪も見受けられています。これらの進化は1960年代から1970年代にかけて発生し、現在にそのままつづいているものも存在しています。
もともとは画像だけの妖怪でしたが、秋のお彼岸ごろに墓場に出没して、生首をかじる恐ろしい妖怪に進化しました。当初は「首無しのまま埋められた人間がなったもの」という解説(1972,1987)でしたが、後年さらに分化したものも発生していて、「食べ物を食べさせてもらえなかった人間がなったもの」という「くびかじり」(1981"世界の妖怪全百科")も別に確認されています。
地面の中に住んでいる影のような姿のもので、人間が歩いてくると舌をのばして食べちゃう(1972)といいます。発生源がどこにあるのかはまだわかっていませんが、地面の中から飛び出してくる黒い姿の「ずんべら」(1968"世界の妖怪・ゆうれい勢ぞろい")が初期のものとして確認されています。
徳川代ごろに外来していますが、本来の「首くくりをすすめる」では無く「入水をすすめる」という生態をもった進化(1972)がこの時代に顕著に見られます。それにともなって入水して死んだひとの霊鬼に分化しており、一部が「できき(溺鬼)」と混在してしまっています。
8つの生首がまとまってる妖怪で、そのうちの3つにだけ目の玉が1個ずつついてるというもので、人間にむかって「目玉をよこせ」といって来る(1972,1987)と言われています。短期間ですが「みつめはっき(三目八鬼)」という名前のものも確認(1978)されています。
もともとは画像のみの妖怪でしたが、からだの首から下が骸骨になっているという美少女の姿に進化(1972)しており、するどい爪で人間をやつ裂きにして脳みそを食べたりすると言われています。これとは無関係に大きな坊主姿(1968"世界の妖怪・ゆうれい勢ぞろい")に進化した「おおかむろ」も存在していて、それぞれは全く別の進化をたどっています。
竹やぶの中にいるという竹の妖怪(1972)で、竹やたけのこを盗みに来る人間を襲うと言われています。
もともとは画像のみの妖怪でしたが、この妖怪が発する笑い声につられて笑ってしまうと、どんどん巨大になっていって家をぶっ壊してしまう(1972,1987)という進化を果たしています。「けらけらおんな」の名前では「振り返ると顔が豹変して血を吸う」という別の進化(1978)を遂げていて、進化は複雑です。
もともとは画像のみの妖怪でしたが、取り憑かれると赤螺屋な性格になる妖怪として進化(1978)をしています。強欲な人間の金をのこらず食べてしまう(1980)とも言われています。
もともとは画像のみの妖怪でしたが、谷川に住んでいる妖怪として進化(1978)しています。谷川の水を飲みに下りて来た人間を喰べてしまうと言われていましたが、髪の毛のみを喰べる生態(1980,1987)に途中から変化しています。
巨大な骸骨の妖怪で、野で死んだ人々の骨があつまって生まれた(1968"世界の妖怪・ゆうれい勢ぞろい")と言われていましたが、画像細胞を持つようになり(1972)進化をすすめました。もともとの姿には飛び出がちの目の玉があったのですが、骸骨の画像細胞(19c)にその要素がなかったために「緑色の目」に変わり、以後は次第に退化していってしまいました。この進化と退化の関係は鬼質研究の上で重要なものと見られています。
長くのびる首をもつ妖怪で、その首がふたつある(1968"世界の妖怪・ゆうれい勢ぞろい")と言われていましたが、画像細胞を持つようになり(1972)進化をすすめました。もともとの姿にはなかったのですが、画像細胞(19c)として入った「ろくろくび」の頭に骸骨の飾りがついていたため、以後は全てその姿に変化しています。
もともとは画像のみの妖怪でしたが、夕暮れに黒雲とともに舞い降りてきて人間をさらう妖怪として進化(1978,1980)しています。しかし、家の者がまきあげられてしまった家は栄える事が多い、という独自の発達(1987)も果たしており、水飢饉のときに水門をあける妖怪(1974"東北怪談の旅")という進化とは全く別の経路をたどっています。
もともとは画像のみの妖怪で、実際の画像には「うみばけ」という名前がついていますが「体が魚に似ている河童」としてのみ紹介(1987)されています。確認されている妖怪の中にはこのように資料の不足から個体認識が進んでいないものもあり、その分類は大きな課題のひとつになっています。
巨大な骸骨の妖怪で、海の上に現われて船をつかまえては動けなくさせて人間を干からびさせてしまう(1972,1987)と言われています。
もともとは画像だけの妖怪でしたが、夕暮れの荒れ寺の近くを歩いていると「うわん」と叫んで来るので、これに「うわん」と言い返さないと墓場にひきずり込まれてしまう、という妖怪に発達(1972,1987)しています。進化の最初期(1968"世界の妖怪・ゆうれい勢ぞろい")から「うわんの言い返し」と「墓場のぬしである」という要素は遺されています。
お腹の真ん中に顔がついているという妖怪で、これが現われたらお酒などをすすめると「はらだしおどり」という愉快な踊りをしてくれて、この踊りをみた人間は幸運になったりイイこころもちになったりする(1972,1987)と言われています。画像細胞だけだった妖怪が進化したものなのかは厳密には不明で、正確な発生源がどこにあるのかはまだわかっていません。
人間に取り憑いて病気にしたりする古くからの「もののけ」とは別に、独特の発達を遂げている概念で、古くなったり霊力をもったりした道具が化けて妖怪になったもの、あるいはその道具の妖怪に取り憑いてる霊など(1972,1987)をさしているようです。
もともとは画像だけの妖怪でしたが、実際の画像には「ぬれぼとけ」という名前がついていますが「ぬりぼとけ」が仏さまに化けようとして失敗をしてなったもの(1972,1987)という形で進化をしていて、ぷるぷるしたしっぽで人間の首などをさわってびっくりさせたりすると言われています。
わいら紀(Waira period)は、びろーん紀に見られた進化に加えて伝承細胞をもつ妖怪たちにも特殊な発達をとげたもの、新たに発生進化をした妖怪たちが出現しています。時代区分の由来になっている通り、この時代に著名な進化をとげた「わいら」を目撃したという人間(野田元斎)の名前を冠して「元斎十八種」とも呼ばれています。
もともとは画像だけの妖怪でしたが、山の中に出るよくわからない大きな妖怪で、雄は土色で雌は赤色、山麓には下りて来ない、という生態に進化(1976)をしており、野田元斎という人間がこれがもぐらを食べているのを見たという事が言われています。もぐらを食べるという生態はもう少し古い時代(1929"妖怪画談全集")に発生しています。びろーん紀にも別の進化をとげていますが、こちらの進化のほうが現在の「わいら」への影響が強いと見られています。
影の姿をしている妖怪で、これが出る場所というのは他のいろいろ妖怪も出没する(1976)と言われています。丸亀の城にこれが出没して怪事がうちつづいた時は大黒銀兵衛という武士が城の障子をすべて外させて、これを追い払ったんだとか。
山の中に出るという妖怪で、泣いている赤ちゃんの姿をしていますがその顔は老婆(1974)というものですが、和井内行松というひとが山道で迷ったときに出遭った「こなきばばあ」は、かぼちゃの姿に変わったりしたと言います。
耳だけがまるごと何体も何体も歩いて行列してた(1969)という妖怪で、まわりのひとの驚いた声はすべてこの妖怪の耳の穴に吸われてしまったと言います。
越前の国の海の中に住んでるという牛のような角をもっている大きな妖怪(1969)で、夫を退治された海牛の女房が人間の姿に化けて、夫の仇討ちをしようとしたものの、仇である武士に惚れて子供をもうけてしまうという話。この「うみうし」はびろーん紀に多少ちがった進化をしていて、背中から血を吹いて海を赤く染める(1972"日本妖怪図鑑")とされていますが、これは夫の「うみうし」が退治された時の描写が誤解されたものです。
山の中に出る妖怪で、土色の毛糸のまりのようなものがころころころがりながら出て来る(1976)そうで、広島のあたりに出たと言われています。人間が来ると近寄って来て、袖や裾から体にまつわりついて肩のあたりに吸いついたりして来ますが、しばらくするといつの間にやら消えているんだとか。 もともと伝承されている「つちころび」とは少し違うもので、独特の発達が見られます。
海の中からニューッと首をのばして出て来た(1976)という妖怪で、阿波の国に出たと言われています。通常の「ろくろくび」との進化の関係はあまりよくわかっていません。
四国の山道に出たという壁ぬりの道具を持った娘の姿をしている妖怪で、壁をぬっている動作をしているけども何も見えない、けども気がつくとあたり一面を見えない壁でぬりこめられていて進もうにも進めなくなってしまう(1976)というもの。九州に伝わる「ぬりかべ」との関係はあまりよくわかっていませんが、別の妖怪として紹介されているため、おなじものではないと考えられています。
食べ終えた山ぶどうの種を、囲炉裏の灰の中に捨てると夜中にお祭りのような装束を着た小さなひとびとが現われる(1976)というもの。飛騨の国のある山家でこれを目の当たりにしたある旅人は、その中から娘をひとりもらって来たんだとか。
夕暮れ時などに人に取り憑いて、もの悲しい気分をつくりだす(1976)という妖怪で、仙台に出たというもの。「もぞこい」というのはお国の言葉で「かわいそう」とか「不憫」といった意味合いがあるそうですが、発生源がどこにあるのかはまだわかっていません。
あるお婆さんが道で黒い壷を拾ったので、中身をのぞいてみると黄金がびっしり。これを引きずって持って帰るのですが、たしかめるたびに中身の黄金は銀、鉄、瓦石に変わってしまいます。家の戸口で再びのぞいてみると今度はきのこ。するときのこが飛びあがり、馬みたいなかたちのよくわらない獣に化けてどこかに駆けて消えていってしまった(1976)というもの。お婆さんは「この年になってはじめておかしな獣を見た」と満足して寝たんだとか。
お墓などから死体の目玉を取ってきて、それをみがいたりキレイにしたりしては集めて楽しんでいる(1974)という妖怪。呼び名には食うという言葉が入っていますが、実際に目玉を食べる事はないそうです。江戸の医師がこの「めくい」の蔵から目玉を取って来るという話が紹介されていますが、この話と「しょうじのめ(障子の目)」に出て来る障子に出て来た目の妖怪をすべて採って江戸の眼医者に売り飛ばしたという話(1974)の関連については、まだ解明されていません。
伝承などにも見られる顔に目鼻口がないのっぺらぼうとした顔の妖怪ですが、わいら紀には美味しい食べ物や料理をさしだすと何も無い顔に鼻、目、口が浮かび上がって来る(1974)という独自の進化をとげている「のっぺらぼう」が確認されています。
梅が実るころに木からまるごと実を消してしまうという妖怪(1976)で、これに襲われた家には秋になると決まってぴったり100粒、美味しい梅干が置かれていたと言います。
深い山の中に出て来る長い髪の毛をなびかせた首だけの妖怪(1976)で、山鳥をむやみやたらに狩る人間の手を突然動かなくさせたりして、いましめると言います。
一本足の娘の姿をした妖怪(1976)で、昔はたいそう賑わったけど今は全く寂れてしまったというような土地に現われたと言います。 三河の国の伝承にある「かたあしじょうろう」とは全く別のものです。
普通の男の姿をしていて、茶店などに腰をかけて石をばりばりかじってる(1976)という妖怪。特定のひと以外には石を食べているようには見えないらしく、それを目撃した人間が石を食べてる事とたずねたりすると、「見えましたか」などと言って石に変わって転がって行ってしまったとか。
画像だけの「ぬらりひょん」や海に出る「ぬらりひょん」とは全く別に、真っ青な顔をした大きな妖怪(1976)に進化していて、夕暮れ頃に人里はなれた静かな山家で何かせわしい事が起きたりすると現われる、と言われています。紀伊の国の山奥に隠棲していた太田信衛という老学者のもとにお殿様が訪れた時に現われたとか。
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