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『大佐用』

一騎夜行のだいたいの中身

大通俗一騎夜行(1780)は、後絵本紀(Upper Ehon period)以後、おおく見られるようになる「人間の社会(この時代だとブルジョワジーな商家や武家)に見られる題材を、妖怪たちの視点に移して書いた戯文」で、鳥山石燕の門人のひとりで『画図百鬼夜行』(1776)などの補助をしていた志水燕十によって書かれています。

ほとんどは文章で埋められていて、妖怪の画像は特に重要な位置にたっていません。(10点ある挿絵の中に妖怪の画像は1点だけです)『画図百鬼夜行』(1776)などにくらべると現代(Contemporary)以後の進化に影響を全くおとしていませんが、文章の中には18世紀後半の江戸のブルジョワジーな商家や武家などのあいだで取り沙汰されていた流行が垣間見られて、この時代(後絵本紀ももんじい紀 Upper Ehon period / Momonzian)に妖怪たちに添加された言葉遊びや連想の要素を少しうかがい知ることの出来る直接の資料のひとつです。


巻之一「大通俗を謗て樽を枕とす」

「吉原で通人ぶりたいなぁ」と考える野良息子な若者・鍵屋野良蔵は、まず当時あちこちで開かれてた詩歌・連誹・香・茶・生花・盆石などの会に入りびたって先生気取り。家の裏にあった蹴鞠場をつぶして凝りに凝った別荘を建てたところ、そこに近所に越してきた笠野衛守という浪人がやって来て、商家と武家のブルジョワっぷりを談論しますが、やがてお酒が進んでふたりとも眠り込んでしまいます。

両国の見世物で人気をあつめていた鬼娘(1778 はやる)や、先生である鳥山石燕の絵本『画図百鬼夜行』(1776)の話題が登場します。


巻之一「人界に因る見越入道」

眠ってしまった野良蔵と衛守のもとに「みこしにゅうどう」が現われて、詩歌の会での難癖のつけあいや地蔵娘(水茶屋や隠売の娘)に没頭しちゃう事の愚かさ儚なさをしゃべって消えて行きます。

「化物の随一見越入道」という表現が書かれていて、見越入道が妖怪たちの親玉のひとつと見られていた前絵本紀(Lower Ehon period)からの進化が、まだ保たれている事がわかります。「青鷺が帯の上へ泊ると見越さるる」という解説もあって、見越入道が青鷺の化け種目の一つと見られてた事を記しています。


巻之二「勝負を競ふ狐火」

「きつねび」が現われて、富くじであぶく銭を当てたがったり、カルタばくちに凝ってしまったりして、ついには財布が火の車に転落した生活になっちゃう人間のことをしゃべって消えて行きます。

寺で博奕の会がひらかれてたり、カルタの役の呼び名が書かれていたりします。転落な生活のことを「化物[ばけもの]とも妖怪[ようくわい]とも言べき」と狐火に言わせていますが、当時の妖怪たちの呼び方の実例として注意。


巻之二「文の手に葉を飾る幽霊」

「ゆうれい」が現われて、吉原や岡場所などでの遊女との裏表についてのことをしゃべって消えて行きます。

芝居では「ヒウドロドロ」という音で幽霊が出て来るのが定番だから、消える時は「ドロドロヒウ」で消えるだろうという古い小噺が活用されてます。


巻之三「殺生を戒しむる河童」

「かっぱ」が現われて、高い持参金で婿をひっぱりこむ嫁は我々より上手だし、珍しい鳥を見せる孔雀茶屋や、変わった毛の色を競って売買されてた鼠などの流行に対して、畜生道に落ちるよとしゃべって消えていきます。

「もう一方の化物大将」と解説されていて18世紀から19世紀にかけての絵本の世界での河童の地位の向上がうかがえます。


巻之三「威猛に詈る天狗」

「てんぐ」が現われて、このころ江戸で流行っていた侠(きゃん)なひとたちの言葉づかいや服装、所作の最尖端(大広袖、黒塗の下駄など)を弁じて消えていきます。

『画図百鬼夜行』(1776)で天狗は鳥のかたち(前絵巻紀 Lower Emaki period から見られる形)で描かれていますが、こちらでは「皃[かほ]赤く木の葉の衣に両[ふたつ]の翅[つばさ]生じ鼻高し」という赤い顔で鼻の高いかたちを描写しています。全編にわたり天狗が侠な江戸ッ子の口調でしゃべっています。


巻之四「遊芸を閨の花にする姑獲鳥」

「うぶめ」が現われて、少女が遊女に変化していく時のいろいろや、遊女の間のはやりもの、遊女の故事などをしゃべりますが、そのうちに抱いてる赤ちゃんが泣き出してしまい、話をやめます。

当時の吉原などの遊女がつけたがっていた化粧品(ゑんがん香、雪月花)や服装、また猫や鼠を飼うのが流行っていたことなどが姑獲鳥のことばの中に描き出されています。


巻之四「十露盤の桁をはづるる皿屋敷」

泣いてる赤ちゃんに子守唄をうたって寝かしつけると「うぶめ」は『播州皿屋敷』などに出て来る家宝の皿を割った罪で殺されて幽霊になってしまう「おきく」の話を語り、しゃべりおわると本(石燕のもの)の中へ消えてゆきます。

割ってしまった皿に描かれている絵が『源氏物語』の宇治十帖の絵だったという設定の話になっていて、それをもとにして最後は僧侶がうまいこと引導をつけてお菊を成仏させます。


巻之五「狒々現世の楽を悟す」

「ひひ」が現われて、茶や生花などの会での道具への無駄な凝りようや、付け焼刃の趣味に対して難じたりして、消えてゆきます。

狒々など山に住む怪獣が、鉄砲や弓などをふせぐために体に松やにをつけて固める生態が記されており、このころの伝承や演芸などでの享受がうかがえます。


巻之五「猛き心を和らぐる鬼の兼言」

「おに」が現われて、鬼に関するいろんな故事や俗説をしゃべっていき、最後には本屋(雪花堂)が声だけで登場し、後編につづくという旨を告げます。

絵には女のすがたの鬼が描かれていて、両国に出ていた鬼娘のことを受けている事がうかがえます。「平兼盛があだちが原の黒塚と詠しは源重之が妹のことを聞及ぶ」と安達が原の鬼婆の話のもととなった和歌の話題についても書いており、演芸と無関係に、その伝承の由来をきちんと見ていた視点が徳川代にもちゃんとあった事を示しています。この『大通俗一騎夜行』の版元の雪花堂(遠州屋弥七)は『画図百鬼夜行』(1776)などをはじめとした鳥山石燕の絵本を多く出していました。ただし、この『大通俗一騎夜行』の後編は出版されなかったようです。

唯一、妖怪を描いている絵には特に署名がないため、志水燕十によるものと思われます。ただし『画図百鬼夜行』(1776)の絵をそのままというわけでもなく、三ッ目の鬼などには他のかたちが見られます。