『今昔画図続百鬼』では巻頭に石燕の自序もあります。頑庵からもらった序文は、ドチラかといえば前編や石燕の画技に対しての賛辞なので、コチラは後編が発売されることになったことについての内容が展開されています。
頑庵の文章が「漢文」であったのに対して、石燕は「百鬼夜行」を「もものおによるゆく」などと表現するような、完全なる「和文」で執筆しています。
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▼ももの鬼のよる行さま
「もものおにのよるゆく」は「百鬼夜行」のやまとことば読み。土佐家あるいは狩野家を中心に描き継がれて来た『百鬼夜行絵巻』をはじめとした、妖怪たちを描いた絵画作品のことをさしています。
▼ふるき世よりつたへて
古くから伝えられて来ている――ということ。
『百鬼夜行絵巻』は、言い伝えとしては土佐経隆[とさつねたか]や土佐行秀[とさゆきひで]のころから描かれているとされていたので、「かなり古来から描かれて来たもの」だという仮託設定が存在していました。
▼上手どものうつしたる 家々にひめをける
狩野家あるいは土佐家などをはじめとした画家の家々に伝えられて来た、むかしの絵画の名手たちによる妖怪絵巻物たちのこと。
土佐・狩野・住吉・板谷などのほかにも、実際、英[はなぶさ]や鶴沢、菱川、宮川(勝川)をはじめとした画家たちのあいだにも彼らが土佐・狩野で学んだときに習得をした絵巻物に由来する妖怪絵巻物たちやデザインが多数伝えられているので、そのような画家の「家々」に秘め置かれていた絵巻物はかなりの数が存在していたことは容易に考えることが出来ます。
▼人の需[もとめ]にて をろかなる筆にも写し
「おろかなる筆」は、自分の絵についての謙遜の表現。石燕は依頼によって、そのような妖怪絵巻物の絵をモトにして描いたということを明示しています。
これは、肉筆画あるいは、前編でもある『画図百鬼夜行』のことをさしているようです。石燕は狩野系統の絵巻物で描かれて来た画像妖怪たちのデザインを実際、多数用いているので、意識的に先輩表現を活かして来ていることを裏付けることの可能な記述でもあります。
▼目に見えぬ鬼のかほ
実際に見て写して描くということの出来ない鬼(妖怪)たちの顔。
▼じちにはいたらめど
実際のものとは、ほど遠いけれども。
▼めづらかに けうときかたちども
へんなかたちたち。いろいろなかたちのデザインの画像妖怪たちのこと。
▼たはぶれの手に又こころみ侍りぬ
「戯れの手」で「拙筆」などの意味。また前につづいて「後編」としてこの『今昔画図続百鬼』のための絵を描いたということ。
▼かかる絵
画像妖怪たちを描いた絵画。
▼誠の鬼などのあらはれいでば
ほんとうの鬼(妖怪)たちが親し気に感じて、遊びに来てしまうかも知れない――といったこと。
「竜」を非常に好んでいた葉公[しょうこう]の前に、実際にほんものの「竜」が遊びにやって来たら葉公は恐れおののいて倒れてしまったという「葉公好竜」の故事を引いたもの。
▼何がし
だれそれさん。葉公のこと。
▼書の林のあるじ
「ふみのはやし」は「書林」のやまとことば読みで、本屋さんのこと。ここでは、本書をはじめとした石燕の画譜たちを制作した版元の出雲寺和泉掾と遠州屋弥七のうちのドチラかの主人。
▼さきのとしの一巻につがんと
「さきのとし」は、以前の年。「ひとまき」は本のことを示していて、『画図百鬼夜行』の後編としての企画。
▼せちに乞侍れば
「せちにこい」は、しきりに求めてくる――ということ。
モトモト、前編の奥付の段階から「後編 近刻」という予告の文字はあったので、石燕が絵を描いていたのを見て「続編の企画が出来た」というわけではないとは言えますから、このあたりも謙譲の表現だと言えそうです。
▼いなみがたくて
ことわりづらくて。
このあたりも謙譲の表現であって、出版に関して触れた序の文章としては、よくある常套のことばです。
▼上る
版木に彫って印刷のための製版をすること。
▼鳥山石燕 みづから毫を月窓のもとにとる
毫は「ふで」のこと、文章の全体が「和文」で構成されているので「ふでを」とよむのが普通だと考えられます。
石燕の号のひとつには「月窓」もあり、ここに記載している「月窓」も号を意識したものだと言えます。
up.2026.06.21


▼土佐経隆…鎌倉時代の画家。土佐経隆による原図を摸写したものだとされる『百鬼夜行絵巻』が存在するが、古いものであるということを強調するための仮託であって、鳥羽僧正をあてはめるのと大して変わらぬものぢゃ