もどる

おうまがとき

鳥山石燕百石乳|今昔画図続百鬼

おうまがとき

逢魔時・王莽時

「おうまがとき」には、王莽[おうもう]が語源であるというこじつけな内容も盛り込んだ填詞[かきいれ]が添えられています。

まえへつぎへ

■もくもくとうごめくあやしい雲

石燕は、黄昏[たそがれ]どき・夕暮れどきをしめす「おうまがとき」ということばを画題として、日没の空を移動してゆく妖怪たちの群れを描いています。画面の右から左に向かって進む画像妖怪たちは、いろいろなかたちにデザインされていますが、いずれも、もくもくとした雲のような形状の輪郭線で統一されて描かれています。

「おうまがとき」の妖怪たちのなかには、「てんぐ」の持っていそうな羽団扇や、『西遊記』に出て来そうな芭蕉扇のような小道具を手に持ったものたちも描かれています。

また、右から4体めの妖怪のあたまからふわふわ出ている雲の上には宝珠のようなものも見られます。画中の題材が「まがまがしい」ものダケに堕していないのは、ヤハリ「巻頭」の絵であるという祝儀性からでしょうか。

画中には「からす」たちも多数飛び交っています。「からす」たちは下巻の最後の見ひらきの絵「ひので」にも「暮れ/明け」の対として繋がって登場しており、まずはじまりに「暮れ」の「おうまがとき」が来ることで、妖怪たちの本がはじまることを象徴させています。

■お月さまか夕陽か

画面の左手にはまんまるい存在が空中に描かれていますが、これが顔を出しはじめたお月さまであるのか、暮れ沈む寸前の夕陽であるのかはあまりハッキリしません。

ただし、「ひので」の側には色板の処理が入って、ハッキリと朝の紅旭な「日」であることがわかる――ということを対比して考えると、色板の処理の特にないコチラは「月」と見ることのほうが自然でしょうか。

■薄暗い街や寺

「おうまがとき」の妖怪たちの闊歩する真下には、街と寺とがしずかに眠っています。人間がほとんど描き込まれていないのは、『画図百鬼夜行』にはじまる石燕の妖怪の絵の特徴のひとつですが、ここでも人間の存在などが描き込まれることは排除された画面づくりがなされています。

寺には大きな塔も見受けられ、画面のちょうど真ん中には大きな松[まつ]の木も描かれています。

▼逢魔時
「おうまがとき」は、見ひらきをまるごと使った画面で描かれています。

夕暮れどきを示す「おうまがとき」あるいは「おうまとき」とは「大禍時・大魔時」などの字があてられて来たほか、 「王莽時」という字もあてられて来ましたが、いずれも音が先行していての、後からの「あて字」の範疇でしかないようです。

▼黄昏[たそがれ]をいふ 百魅の生ずる時なり
「百魅」はたくさんの妖怪変化たち。

▼世俗 小児を外にいだす事を禁[いまし]む
小さな子供たちを外に出すことを注意しています――といったこと。日が暮れたらおうちの外から出てはいけません。

▼一説に王莽時[わうまがとき]とかけり
「おうまがとき」の字を「王莽時」と書くことについてを引き出しています。

実際、『書言字考節用集』(巻2・時候門)での「おうまがとき」(をまがどき)は「王莽時」の文字が掲載されてます。

▼昼夜のさかひを両漢の間に比してかくいふならん
漢の王莽[おうもう]は、漢の平帝[へいてい]に対して反乱を起こして自身が「新」の王者として君臨しますが、すぐに滅ぼされてまた漢の世になった――という内容をしめしていいます。

ホンの短い期間、王莽が天下に君臨していた「新」が前漢と後漢のあいだにあることを、「おうまがとき」が昼と夜のすきまの時間帯であることに重ねたこじつけで、おもしろがっているわけです。

この「王莽時」のこじつけそのものは、林羅山の文章などにも見られるので、17世紀ごろから既にあった定型なのだと見られています。


up.2026.06.21

■逢魔時
■王莽時…書言字考節用集




▼雲…稲田篤信・田中直日『鳥山石燕画図百鬼夜行』(1992)の「おうまがとき」の解説では、この様子を『百鬼夜行絵巻』の最後に描かれる雲たちに似ていることを既に指摘しているぞ
▼芭蕉扇…石燕は『水滸伝』を画題にした『水滸百潜覧』を1777年に既に刊行したり、『西遊記』を題材にした画譜『通俗画図勢勇談』も1784年に出版したりしているので、特に違和感のない小道具ぢゃ



▼見ひらき…『画図百鬼夜行』でも巻頭の「こだま」は見ひらきの大きな画面でしたので、それを踏襲したはじまり方なのぢゃ
▼平帝…よく読まれていた軍談の『通俗西漢紀事』や『通俗東漢紀事』などでは、王莽が長生不老の薬だと偽って毒酒をむりやり飲ませたので平帝は弑された、と語られるのぢゃ。◆『通俗西漢紀事』(巻10)曰「此は是[これ]仙家の霊酒 長生不老の薬水なり 人[ひと]纔[わづか]に之を嘗むる時は四時の邪気を祓ひ諸[もろもろ]の災害なくして無窮の寿を保つ」◆『通俗東漢紀事』(巻1)曰「王莽 已[すで]に平帝を毒害し 孺子を廃して漢の天下を奪ひ宝位を竊[ぬす]みしだに」
▼新…王莽の建てた「新」は、「周」の制度に復古しようとした新政を布いたが約15年しか保たれなかったのぢゃ
▼前漢…西漢。高帝から平帝までの王朝
▼後漢…東漢。光武帝が再興させた王朝
▼林羅山…『羅山林先生文集』(巻65・随筆1)曰「国俗謂 黄昏為王莽時 言昼前前漢夜後漢也 以日気已没夜気未萌故也 然則名王莽時也」