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しらぬい

鳥山石燕百石乳|今昔画図続百鬼

しらぬひ


不知火

「しらぬい」には、『日本書紀』の内容に即した填詞[かきいれ]が添えられています。

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■みかどの御座船をご案内

石燕は、舳先にさがりを垂らし白い帆をおおきくふくらませて海の上をすすむ立派な御座船のすこし先にふわふわと浮かぶ「しらぬい」を描ています。御座船の近く以外にも、もっと遠くにもうひとつ、別の「しらぬい」が飛んでいるのも確認出来ます。

海の向こうに見える山並みは輪郭線を用いずに筆でそのままかたちを置く筆致で描かれており、やまと絵な雰囲気に仕上げられています。

■火の国の名前の由来

『書言字考節用集』(巻2・乾坤門下)でも「不知火」は「しらぬひ」として掲載されており、割注にも「筑紫」のものであること、日本紀(『日本書紀』のこと)に記載されているものであることが示されています。

『日本書紀』(景行天皇18年)や『風土記』(肥前国・肥後国)に記録のあるもので、九州に景行天皇が船でやって来たときに、暗い夜空のした、ふしぎな火が行き先を照らしてくれたと言い、このことから「火の国」という呼び方が出来たとされます。

『諸国里人談』(巻3・光火部)には豊後国の甲浦[かんのうら]の後の森から出る火の玉で、おなじく松山から出る火の玉と闘うようにぶつかりあう――といったはなしが載っており、「つくしのしらぬ火」(筑紫の不知火)とも明示しており、おなじ「不知火」を意図はしているようではあるものの、石燕が描いている『日本書紀』にあるような様子とは、また別個の叙述なようです。

▼不知火
「しらぬい」は、見ひらきでいっしょに描かれている「こせんじょうのひ」とは火の妖怪同士として描かれています。「しらぬい」は「海」の代表で、水陸でいえば「水」の側にあたります。

▼筑紫[つくし]の海にもゆる火ありて 景行天皇の御船[みふね]を迎[むかへ]しとかや
『日本書紀』にある景行天皇の船の行く手を照らしたとされる「不知火」の故事を引いたものです。

▼歌にも しらぬひのつくしとつづけたり
和歌で用いられている枕詞[まくらことば]についてを述べています。

「筑紫」にかかる枕詞として用いられており、モチロンその由来は『日本書紀』の「不知火」の故事にあります。


up.2026.06.30

■不知火…書言字考節用集、諸国里人談




▼妖怪と人間が同画面内に描かれている例は、『画図百鬼夜行』から『画図百器徒然袋』までを通しても本当に数えるほどしか描かれていないのぢゃ
▼日本書紀…◆『日本書紀』(景行天皇18年)曰「従葦北発 船到火国 於是日没也 夜冥不知著岸 遥視火光」
▼火の国…これに由来して「肥の国」となり、そののち肥前と肥後に分割されたぞ
▼筑紫…九州のこと


▼景行天皇…みかどは「くまそ」(熊襲・熊襲贈唹・球磨贈於)征伐のために九州にやって来ていたのぢゃ
▼枕詞…『万葉集』の段階でも「しらぬひつくしのくにに」などと「不知火」と「筑紫国」はいっしょに書かれるものとして歌われておるぞ