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はんこ

鳥山石燕百石乳|画図百器徒然袋

(序・石燕)

『画図百器徒然袋』のみっつめの序文は鳥山石燕による自序です。本作の填詞のほとんどに出て来ることば「夢のうちに思いぬ」の設定理由がキチンと記載されているのがこの序文で、百鬼夜行の絵を眺めたあとに見た「夢」のなかに出て来た妖怪たちを描いた――という基本設定が述べられています。
「夢」を基本設定に用いた結果として、縁起の良い巻頭の序開きと巻末の押戻しの役目に、本作では「宝船」が採用されてもいます。

まえへつぎへ

▼中山班象(斑象)
土佐家の百鬼夜行の絵を石燕のもとに持参して見せてくれた人物です。班象の持って来た「小冊」が、どのような構成だったのかは詳しく知ることがかないませんが、本作に登場する妖怪たちの顔触れを踏まえると、太陽で終わるタイプと黒雲で終わるタイプの行列がひとつにミックスされて描かれている構成の百鬼夜行の絵であったことは考えられます。

(2026.05.14)――
中山斑象(中山斑象)は、文人・俳人で、雪中庵蓼太の門人。2世斑象(班象)。石中堂、班象坊(斑象坊)とも。中山方鳩の名前で記した七草粥についての本『七種菜粥考』(1813)でも知られます。班象≒斑象の表記はやや曖昧で、斑象のほうが精確なようですが、『七種菜粥考』の跋(時雨窓菅雅)では明確に「石中堂班象」と記載があります。
初世の班象(斑象)は、1779年に歿していますので、「中山」ともあることから、石燕の言及しているのは2世斑象(班象)かと見られます。

▼土佐
土佐家は、『百鬼夜行絵巻』を描いて来た画家たちの家として知られていました。

▼予が先頃出す夜行に等し
予(石燕)が先ごろ出版した百鬼夜行の版本たちとおなじような中身の作品だ――といった意味。石燕が土佐家の百鬼夜行の絵を、このときまで知っていたのか、まったく知らずに過ごして来たのかについてはハッキリしません。
あるいは、太陽で終わるタイプと黒雲で終わるタイプの行列、どちらか一方のみを知ってはいたものの、両者がミックスされた構成の百鬼夜行の絵を見たのがはじめてだったのかも知れません。その場合、片方の構成に登場する妖怪たちについては、完全に未見であったと言うことが可能なため、そこに「触発された」とも言えます。

▼又例痴おこりて
「痴」は、ばかげた行動。

▼絵なろふ童をあつめて是を見るに
「絵なろふ童」は、石燕のもとに絵を習いに来ている子供たち。石燕たちが参加していた、武士を中心とした狂歌のあつまりが毎年つくっていた本のなかには、石燕と門人たちの「絵」が多数掲載されており、そのなかには子供な門人が何人も確認出来ますから、そのようなちいさな門人たちが、この序での「童」に相当するのでしょう。

▼睡眠しきりなれば
絵を眺めながら石燕は居眠りをしてしまいます。ここから先に書かれている序文の内容が、『百器徒然袋』の構成上の基本設定になっている「夢」にあたります。

▼旧たる家居に至りぬ
いつの間にか、夢のなかで石燕はふるびた建物にたどりつきます。「壁おち軒あらはにして」など、ぼろぼろな様子も描写されますが「やんごとなき御所にもや」とも書かれており、がたついてはいるものの、立派な古御所であることが想像されます。
このあたりの描写を踏まえて、石燕が眺めていた百鬼夜行は福原京の屋敷からはじまるタイプの構成の作品なのではないのかという推測も存在しますが、そのタイプの絵巻物に描かれている編成では、妖怪の数が足りないので、どうも簡単には決め手とならないようです。

▼調度うごめきおどりはしるがごとくなれば
調度品たちが動き、踊り、走り出すようだった。

▼木々の姿 山のたたずまいも怪しげに
このあたりは本とはあまり連動してはおらず、文字の表現としてのみ登場します。

▼夢見しままをゑがきつれづれ袋とはなしぬのみ
「是一睡の夢にして」とも書かれており、「夢」のなかで見聞きしたものだった、という設定がここで示されます。


up.2026.05.11

▼中山班象(斑象)…◆牧野望東『俳家人名辞書』曰「班象 一世。石中庵、はじめ平舎と号す。吏登門。安永八年十一月廿五日歿す」「班象 二世。中山氏、通称甚五右衛門。石中堂。後に班象坊、方鳩と号す。蓼太門。江戸の人。著書 遊湘記」◆中山方鳩『七種菜粥考』(時雨窓菅雅・跋)「中山方鳩叟はそのかみ雪中庵蓼太翁に学びて蕉門のはいかいに遊び石中堂班象と呼て今はこの道ゆかぬ人にもしらるる名とはなりける也」
▼七種菜粥考…七草粥についての考証をまとめたものぞ。中山方鳩の名前はむしろこの本を通じて、よく知られているのぢゃ
▼時雨窓菅雅…◆牧野望東『俳家人名辞書』曰「菅雅 三世時雨窓、潮音斎、吾牛斎と号す。完来門。駿州に住す。文政元年九月廿七日歿す、深川要津寺に葬る」