本書『妖怪要説 鬼質学紺珠』は、妖怪たちの分類・進化の歴史について読み解くための基礎となる鬼質分類および鬼質時代についてまとめた、妖界初の鬼質学についての手引書である。
妖怪の中には大きく分けて2つの成分が含有されて存在しており、その多寡を分類の指標の第一としているのが鬼質分類である。
成分のまず1つは伝承、もう1つは画像である。
伝承(伝承成分を多く含んだ妖怪を伝承妖怪とも称す)は伝説・民話・俗信・巷説・知識などに見えるもの、画像(同じくこれを画像妖怪とも称する)は絵画・物語・詩歌・戯曲・諧謔などに現われるもので、多寡を分類の指標としていると言ったように、個々の妖怪がどの程度それに依って存在しているかを分類の見分けどころとしている。伝承側の成分が多ければ伝承、画像側の成分が多ければ画像といった分類方法である。
伝承妖怪は文明技術あるいは思想宗教と共に変化してゆくことが多いが、その大部分はそこまで激しい変化が起こることはない。いっぽう画像妖怪は常にさまざまな進化の要素を含みつつ細かい変化を見せており、時代の変革の主体となっては伝承への影響も強く持ち続けて来ている。
ただし、近代(Modern era)以後は文明技術そのものの入れ替わりが激しく、それに連れて変化してゆく妖怪と、古くからの様相を保つ妖怪とに対する認識のされ方に均衡の崩れが生じている。前者が画像、後者が伝承であるという構図に一般では捉えられつつもあるのだが、伝承には現代以後の要素を採り込んだ変化や進化があるのに対して、画像には基本的な部分の進化が広汎には見られないという捻転箇所もあり、20世紀以後、これはひとつの大きな懸念となりつつある。
▼伝承・画像という名称は、対象の一角を取り上げた程度のものであり、伝承は口承、画像は図像のみを指しているわけではない。
▼日本の妖界で、伝承妖怪が明確に分類として切り出されたのは圓國紀(En-Koku period)である。もともとそれ以前から考察の上でのふたつの概念が混淆されることは機会としては少なかったのだが、切り出しが行われた結果、こちらのみが「妖怪」であるという俗解も現われるに至ったので若干混乱がある。
妖怪たちについて、大きな変化・進化・分化が見られる箇所を基準に歴史をいくつかに区分したものが鬼質時代である。
時代区分については、あくまでも現時点からさかのぼることの出来る範囲などが限られて来ることによって生じる束縛や、往来することの可能な資料の数などによって仮に示すことの出来るものであり、今後の進展や発見によって、その看板を書き替えたりしてゆくこと前提であるので、この時点での仮のまとめあげに過ぎぬ。
今後も更に知識を深め、改善をつづけてゆくことで、その精度は増してゆくであろうし、国際的な整合を加味してゆくことによって万国各地の進化時代区分を複数の現代鬼質(Contemporary)へそれぞれ結びつけてゆくことも可能であろう。
鬼質時代区分は以下のようなものである。その基本となる区分の発生は、多くは技術や媒体の変化がその基準となっている。妖界では以前の時代の妖怪たちが混在しながら進化をつづけているので、発生の開始点や分化の顕在点を標準の目安にしているが、鎌倉代(Kanakura era)以前は、鬼質学的証拠に乏しい時代であるため、あまり明確な分類は出来ぬ状況である。
(鬼質時代区分表)
代 | 紀 | 世 |
現代(Contemporary) |
空亡紀(Soranasi period) | |
口裂紀(Kutisake period) | ||
わいら紀(Waira period) | ||
びろーん紀(Biron period) | ||
ぬらりひょん紀(Nurarihyon period) | ||
近代(Modern era) |
新おとぎ紀(Upper Otogi period) | |
圓國紀(En-Koku period) | ||
開化紀(Kaika period) | ||
徳川代(Tokugaea era) |
後絵本紀(Upper Ehon period) |
しゅもく世(Shumokuan) |
野風世(Nokazean) | ||
ももんじい世(Momonzian) | ||
新著聞紀(Upper Chomon period) | ||
院本紀(Maruhon period) | ||
前絵本紀(Lower Ehon period) | ||
明清紀(Ming-Qing period) | ||
後絵巻紀(Upper Emaki period) | ||
足利代(Ashikaga era) |
おとぎ紀(Otogi period) |
はなし世(Hanasian) |
おとぎ世(Otogian) | ||
猿楽紀(Sarugaku period) | ||
軍談紀(Gundan period) | ||
鎌倉代(Kamakura era) |
著聞紀(Chomon period) | |
前絵巻紀(Lower Emaki period) | ||
平安代(Heian era) |
化鳥紀(Kecho period) | |
霊異紀(Ryo-iki period) | ||
大和代(Yamato era) |
鎮護国家紀(Tingo-kokka period) | |
寺つつき紀(Teratutuki period) | ||
神代(Ancient era) |
葦原紀(Ashhara period) | |
岩戸紀(Iwato period) |
鬼質学的証拠に乏しい、古い時代の妖界の様子を隈なく理解把握することは困難である。地上に残存する資料で言えば、人間とその情報遺物からでしか捉えることは不可能だからである。そのため、古い時代の区分名の多くは、人間の歴史の行動や、その記録媒体にちなむ命名が現状では多い。そのあかしとして、鬼質区分の約7割は残されていることの多い遺物(絵巻物・絵本・戯曲などといった作品)によって示することの出来る画像妖怪についてのものが占めている。
20世紀以後(現代・Contemporary)は、ある一定量以上の様子を、明確に流れとしてうかがうことや実際に検証し直すことが可能な部分が多いため、その変化の画期となった妖怪名を採ることが出来るのである。
妖怪は、動物や植物などとは法則の異なるものであるため、ある一ヶ所・ある一時代で変化や進化が発生したあとであっても、以前の時代の妖怪たちも、そのままの情報あるいは形状を保ったまま雑居しつづけてゆく。また、各時代区分で起こる変化が全妖怪に影響を与えてしまうということもなく、現生しているその多くはそれ以前の状態を保ったままである場合も多い。
この構造の誤った理解(現在存在しているすべての妖怪は、遠い過去にも全く同じ情報あるいは形状そのままの妖怪である)からの解放となるのが鬼質時代および鬼質分類への理解である。
▼鬼質時代区分のうち、海外知識と濃厚に関わっているのは、鎮護国家紀・明清紀(天竺や大陸)開化紀・新おとぎ紀(欧米諸国)などである。そこをさかのぼってゆけば、それぞれの地域における妖界のそこまでの鬼質時代区分があるわけでもある。
▼空亡紀は、「くうぼう紀」と慣用される。(Kuuboo period、Kuubou period) 2017年には「ぬうりひょん紀」という改名案も上がったが議決には特に至ってはおらず、
▼現代(Contemporary)の5紀は2紀5世程度の変化であるととらえる向きもある。その際の区分方法は、ぬらりひょん・空亡の2つを「紀」とする。印刷物や放送事業者からの単一方向性の強い情報環境に、電子機器を通じた双方向性の強い情報環境が加ったことが、その特徴ある転換点である。
◆伝承妖怪と画像妖怪はちがう
◆書籍・情報経由の妖怪は時系列で進化(解説・訛伝・魯魚)がクッキリ知れる
◆伝承妖怪とはいってもその土地独特・その地限定ものはいない
◆姿かたちのある妖怪はだいたい画像(仏画・漢画・戯画)が素体
◆画像妖怪と伝承妖怪が完全に混交するのは19世紀以後
◆画像妖怪に伝承っぽいものをつけだす20世紀以後の形式は佃承妖怪とする
――以上は、2012年11月25日に「鬼質時代の基礎」という表題で示された事項である。鬼質時代と題されているが、内容は鬼質分類について述べたものが多い。
画像妖怪と伝承妖怪の混淆とは、土地土地の伝説として膾炙されて来た戯曲・演芸由来の妖怪や、絵巻物や絵本のなかに展開されて来たデザインのみしか存在せぬ妖怪たち(その作品を離れた際の内容がそもそも存在していない)が、伝承妖怪と同列に扱われてしまう機会を得ることによって、等しいものと見られてしまうことによって生じた事態である。
もともと、伝承と画像の成分は特に意識されることなく相互に影響を与えあう、あいまいもこもこな関係ではあるが、区別は明確なものであった。奥羽や筑西に酒呑童子の登場する昔話や伝説(伝承)があったとしても、それは『大江山』や『前太平記』の物語(画像)に由来するものなのは明確に判るといったことがそれである。
画像妖怪でも、物語や説話を持っているものならば性質や内容を持っているが、ぬらりひょんやおとろし、うわん等といった画像成分しか持っていない画像妖怪たちは、伝承妖怪が大半持っている「なにをしてくる妖怪なのか」という基本性質自体を持たぬものがほとんどで、その空虚な部分は画像成分の多さを示している特徴なのだが、「妖怪はすべて伝承要素を持つ」と認識された結果として、本来付属してこなかった情報が添加されつつ画像妖怪が捏ねあげられ、疑似伝承妖怪として現われたのが佃承である。
佃承妖怪の最大の特徴は、伝承妖怪にどんどん要素が添加された形式のものよりも、素材に画像妖怪――特に絵巻物や絵本などに絵だけが描かれた画像成分だけでほぼ構成されている妖怪たちが用いられたものが大多数を占める点である。
これらは、びろーん紀(Biron period)、わいら紀(Waira period)、そして空亡紀(Soranasi period)に顕著に見られ、20世紀以後の妖怪の一角を代表する最大の進化領域だが、その源泉となったのはぬらりひょん紀(Nurarihyon period)に吉川観方や藤澤衛彦によって行われた足利代(Ashikaga era)から近代(Modern era)にかけて生まれた画像妖怪たちの紹介であった。
すくなくとも、びろーん紀・わいら紀の間に拡大していった佃承妖怪たちのほとんどは、ぬらりひょん紀に活躍の場を与えられた画像妖怪たちから直接あるいは間接に進化の枝を伸ばしている。
ただし、考えておかねばならぬ点は、ぬらりひょん紀(Nurarihyon period)の時点で、どこまで「妖怪はすべて伝承要素を持つ」と意識されていたかである。
内容の語り口や提示方法から考えれば、画像妖怪に対してそのような措置が採られ、絵画の存在する伝承妖怪として扱われる佃承化は、新著聞紀(Upper Chomon period)や圓國紀(En-Koku period)の伝承妖怪たちと、ぬらりひょん紀(Nurarihyon period)の画像妖怪たちが同じ舞台であつかわれる機会が増加した1960年代以後に濃厚に見られるもので、びろーん紀(Biron period)わいら紀(Waira period)に形づくられていったと見るのが妥当であろう。
▼藤澤衛彦は鳥山石燕など徳川代の妖怪を描いた絵画について、伝承に基いて描かれた妖怪がある一方、伝承とは関係のない創作(画像妖怪)も存在していることを、明確に『変態伝説史』などで示している。
page ver.1 2018.1.11 妖怪仝友会