仏教の諸派などの隆盛や勃興、あるいは院政の時代に発達した技術をひきついだ、源平合戦以後の時代にあたる。前絵巻紀(Lower Emaki period)での画像成分の隆盛は、足利代における幅広い進化の基礎となった。
元寇のいくさ(1274年・1281年)を経て、鬼賊や外敵を示すことばとして「もうこ」が用いられるようになり、これは近代にいたるまで、より古い時代の鬼・蒙古以外の地域の鬼賊などを指す際にも物語などを通じてひろく用いられる語句のひとつにもなった。
『地獄草紙』(12c)や『餓鬼草紙』(12c)など、六道や縁起物語を中心に絵巻物がひろく描かれていた頃。 天竺などから仏画とともに流入して来た獄卒や悪魔などの画像細胞を多く受けて、鬼や天狗が画像妖怪として明確なすがたかたちを持ち出すのもこの頃であるが、まだ固定されたイメージではなく、種々様々な姿が描かれていた。
縁起物語の一群は、神代そのものというよりもそれらを基礎として各種の理論や物語を加味添加して習合されていったかたちのものであり、これは軍談や猿楽などにも大いに影響を与え、妖界の形成にも大きく寄与してるといえる。
▼六道は仏教で説かれる世界。天道・人道・阿修羅道・畜生道・地獄道・餓鬼道の6つ。
▼縁起物語などには仏典や「中世日本紀」と後に称されるようになる一連の神道理論書の流れを引く情報が用いられていった。
『古今著聞集』(13c)や『宇治拾遺物語』(13c)などをはじめとした13世紀頃の説話集など。 霊異紀(平安代)が質量的に進化していったものと単純に見てよい。『徒然草』(14c)などもこの時期にあたる。
この時代までの鬼や天狗、狐、狸、唐猫などが確認出来る。
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