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妖怪要説 鬼質学紺珠

鬼質時代 神代(Ancient era)

歴史順に並べた際のもっとも原初にあたる区分で、時代を遡ることが出来る限界点である。

神代を妖怪たちの最も古体として位置付けるのは、江馬務の妖怪変化史の時代区分(『日本妖怪変化史』)や藤澤衛彦の年表(『図説日本民俗学全集』)に倣うものである。

後に述べるように、この時代の情報については確実に存在をしていた・語られていたことを実証する手段はほとんどない。いずれもが後の時代の資料からのものである。

▼江馬務『日本妖怪変化史』では神代(〜神武天皇までの時代)を時代区分の第一期としており、天照大御神が天の岩戸にこもってしまった際にあらわれた群妖など記紀神話に見られるものを神代の妖怪としている。

岩戸紀(いわとき) Iwato period

世界が出来始めの頃から、神々たちが国造りや子作りをしてた頃。
日本の神話では明確な人間の発生が説かれない場合が多いので厳密な線引きは困難ではあるが、人間が活動をはじめる時期(大和朝廷のはじまり・神武天皇の即位)以前を岩戸紀(Iwato period)と定めてある。

この時代の様相については、後の時代(鎮護国家紀にあたる)に編まれた『古事記』や『日本書紀』や、『風土記』などに編入された神話や記事に登場するものを鬼質学的証拠の一部と見て、そこから想像してゆく以外の方法はない。

各地の寺社の縁起物語や、『先代旧事本紀』(9世紀以後?)『神皇正統記』(14世紀)など諸資料も参考としてゆくことは可能であるが、仏教や道教などの理論的な面との混交による進化を含んだ描写なども多いため、それぞれは各影響のあった時代区分以後での分化・進化と捉えることが必要である。無論、それらの要素は現行の記紀神話などにも存在しており、手放しですべてが岩戸紀当時のものであるとはいえぬ。
しかし、時代区分が重なってゆくに従って、岩戸紀に存在していたと仮託されるものが増えてゆく点は興味深いところである。実際の発生時代よりも「古くから存在している」ということが求められがちなのは、妖怪に限ったことではないが、伝承の金看板としては求められがちなものである。

▼岩戸は神話に見られる「天の岩戸」から。
後の時代には、三国(日本・震旦・天竺)が合併した状態の情報が知識として享受される時代も長く存在していた。

葦原紀(あしはらき) Ashhara period

大和朝廷が出来上がった頃から、宣化天皇(593年)の頃。この時期も、基本的には後の時代に編まれた国史などからの文字上の記述や想像に拠っている。が見られるほか、各地で吉凶の兆しとして動物や植物の妖怪が出た。

や妖怪たちなどの史書での記述は明らかに大陸からの影響が深い。掘り下げてゆくには経書や緯書などに記された情報を参照してゆくことがその移入経路を考えてゆく上で大切な部分である。

民間で伝承されているはなしの中には、岩戸紀と葦原紀の区別がほとんどつかない状態の「おおむかし」が存在し、空から火が降って来た・星が落ちて来たなどの内容が古墳や洞穴のいわれとして語られることがあるが、そこで語られているような時代はこのあたりと区分することが可能であろう。

埴輪や銅鐸などの出土遺物からなにかしらの痕跡をうかがうことも可能であろう。

▼葦原は記紀神話などで用いられている日本列島の呼び名「葦原津国」から。

page ver.1.2 2018.7.08 妖怪仝友会