火車
「かしゃ」は、呼び名のみが絵に添えられています。
まえへ|つぎへ石燕は、出来立ての新鮮な亡者を棺桶[かんおけ]から奪い去った様子の「かしゃ」を描いています。すがたかたちは猫[ねこ]のような面持ちでデザインされており、背中には火と大きな黒雲をまとっています。
「かしゃ」の首には縄紐[なわひも]のようなものがぐるっとひとまわり結んでしめられていますが、どのような用途のものなのかはハッキリしません。
「かしゃ」がいるのは、家屋の屋根のうえで、足元には屋上に設置される天水桶[てんすいおけ]も見られます。黒雲と共に出現して空中を自在に移動する様子が絵のなかの舞台設定からも表現されています。
亡者を見事に奪ってにこにこしている「かしゃ」を石燕は描いているわけですが、奪われた亡者はこのあと、ばらばらに引きちぎられて空中から落とされたり、裂かれて大木の枝に懸けられたりしたと言います。
『狗張子』の「杉田彦左衛門天狗に殺さる」(巻6)の末尾にある「人死すれば火車の来りて尸[かばね]をうばひとり ひき割[さき]て大木の枝に懸置たる事もおほかりしを 今は仏法のをしへひろく諸人みな後世をねがひ 仏神をたふとび ふかく信心をおこし 正直正念に成[なり]たる世なれば 火車の妖怪も稀に成侍べり」――とあり、「かしゃ」の語られ方の特徴をうまく切り取っています。
この『狗張子』の文章は、そのまま『多満寸太礼』の「火車の説」(巻4)でも「人死すれば骸[かばね]をうばひ取 引さきて木の枝にかけ 或は首をぬき手足[しゅそく]をもぎ 又は屍を虚空につかむで失[うす]る事もあり」――と似た調子でつづられています。
また『多満寸太礼』の挿絵には、渦まきのようになっている黒雲と共に、猫そのままのようなかたちの「かしゃ」の群れが、黒雲や木のうえから葬列を狙っているときの構図で描かれています。
狩野家の絵巻物でも「かしゃ」は基本セットのなかに組み込まれていて、描かれることの多い妖怪ですが、ソチラでは火に包まれた車――つまり地獄の車を牽いている「獄卒」なすがたの「かしゃ」が描かれてることがほとんどで、石燕のものとは基本デザインが異なります。
『諸国百物語』(1677)の「二枡をつかいて火車にとられし事」(巻5)に書かれているのは、コチラの「かしゃ」で、大きさの違う枡[ます]を使って詐取をしていたお米屋さんの女房が、「かしゃ」たちに責められて病気になる展開になっています。女房のたましいは既に「かしゃ」たちの火の車に乗せられており、その結果として病床では「身が焼ける!! 焼ける!!」と苦しんでいたのでした。
『新御伽婢子』(巻1)にある「かしゃ」のはなしも、車のほうが出て来るはなしで、夢のなかで母親が獄卒たちの牽く火車に乗せられて行きそうになったので、綱で車を庭の桜[さくら]の木に結びつけて、阻止しようとしたけれど、車の炎で綱は燃えて走って行ってしまった――というはなしです。
コチラの「かしゃ」の要素は石燕の「絵」には用いられていないということはよくわかります。
up.2026.06.13
■火車…伽婢子、多満寸太礼、諸国百物語、新御伽婢子
▼猫…はなしとして語られる側の「かしゃ」には多く付与されていた属性で、先行する版本でもソチラが優先してデザインされている例もみられるのぢゃ。また後続している勝川春英も「かしゃ」は猫のような顔のほうで描いているぞ
▼天水桶…雨水を溜めておいて防火のために備えておくための桶
▼枝に懸け…「てんぐ」にさわられた人間も、よく裂かれて高い木の枝にぶらさげられると言われていたのぢゃ
▼獄卒…地獄で亡者たちを呵責する鬼たち。実際、狩野家の絵巻物での「かしゃ」たちは角が生えていたりする鬼形で描かれており、石燕のように猫の顔かたちで描かれることはほとんどないぞ
▼車のほうが出て来る…◆『新御伽婢子』(巻1)曰「ふたりの娘の夢に牛頭馬頭の獄卒 火車を引来って母を取のせ呵責[かしゃく]してつれ行[ゆく]」