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にゅうないすずめ

鳥山石燕百石乳|今昔画図続百鬼

にゅうないすずめ

入内雀・饒奈雀

「にゅうないすずめ」には、実方朝臣の説話に即した填詞[かきいれ]が添えられています。

まえへつぎへ

■平安京をさして飛べ飛べ

石燕は、遠く空を隔たった陸奥国から平安京に向かって「にゅうないすずめ」たちの群れを放ち飛ばしている藤原実方[ふじわらさねかた]のすがたを描いています。実方朝臣の狩衣はぼろぼろになっており、あちこち破れて穴が生じています。

「にゅうないすずめ」たちは、実方朝臣のくちから気の導線と共に発せられていて、先に飛んで行ったものほど小さく描かれており、遠く遠くまで飛んで行っていることが見て感じ取れる描き方になっています。ちょっぴり小型の「すずめ」である「にゅうないすずめ」を描いているわけですが、「すずめ」と対比して描いているわけではないので、見た目としては「すずめ」です。

地面に腰をかけている実方がよりかかっているのは、左遷された際に持って出た荷物の包みのようなものかと考えられます。大道具としては背後に松[まつ]の木が配置されていて、実方朝臣の最後とも関わりの深いものとして語られる阿古耶[あこや]の松のはなしを効かせているようです。

■内裏で口論をした結果

実方朝臣は、内裏のなかで藤原行成と派手な喧嘩をして、行成の冠を笏[しゃく]でひっぱたいて庭に打ち落とした結果、陸奥国へと流されられてしまい、都に戻れぬまま歿しました。「にゅうないすずめ」は、その実方の霊がなった鳥たちだと語られています。

このはなしは『源平盛衰記』(巻7)に長くまとめられていて、実方朝臣は流された先の陸奥国の名取郡にある笠島の道祖神の怒りをかって亡くなり、都を恋しいと想うそのたましいが「すずめ」になって内裏の台飯をつつくようになったとされています。

『平家物語』(巻2)や『古事談』でも、左遷された実方が「みちのくの……」という歌枕として有名な阿古耶(阿古屋)の松を探し回っていたら、「それでしたら十二郡に割られる以前のことで、いまでは出羽国にあるものですわい」と老翁から教わるはなしなども登場しますが、『源平盛衰記』では、その老翁の正体は、鹽竈大明神だったとされます。

▼入内雀
「にゅうないすずめ」は、見ひらきでいっしょに描かれている「てらつつき」とは「霊が鳥のすがたに化した者」同士での一対になっています。「絵」の表現としても人物から気の導線と共に鳥が飛びだしているかたちで共に描かれており、わかりやすい描き方が採られています。

▼藤原実方[ふぢわらのさねかた]奥州に左遷せらる
実方朝臣が、どうして左遷の憂き目にあったのか、陸奥国に着いたあとどういう展開になったか、などについては「わざわざ書くほどのことでもなく、みんな知っている」という前提で、石燕は特に言及していません。

▼その一念 雀[すずめ]と化[け]して大内に入り台盤所の飯[いひ]を啄[ついばみ]しとかや
実方朝臣のたましいが化して飛んで行ったのが「にゅうないすずめ」で、『源平盛衰記』などに「台飯を食けるこそ最[いと]哀なれ」とあるように、内裏の台盤所[だいばんどころ]で、ごはんをついばむようになった――と、かなりそのままに説話の内容を説明をしています。

実際おはなしの流れのなかでは、道祖神の怒りをかって事故死したあとに「にゅうないすずめ」については記述されているわけですが、「絵」としては横顔で「にゅうないすずめ」たちの群れを平安京に向けて飛ばしている絵づくりになっています。


up.2026.06.27

■入内雀
■饒奈雀…和漢三才図会




▼藤原実方…三十六歌仙のひとりとしても有名ぢゃ。『百人一首』には「かくとだにえやは伊吹のさしも草さしも知らじな燃ゆる思ひを」という痒そうな歌としょっちゅう戯れられてもいる和歌があるぞ
▼阿古耶の松…阿古屋・阿古野とも。藤原実方が詠んだ最後の和歌として「みちのくの阿古耶の松をたずね得て身は朽ち人となるぞ悲しき」は名高いのぢゃ
▼藤原行成…冠を打ち落とされた行成は、騒がず冠を拾いに降り、冷静な態度のまま実方に異見した結果、蔵人頭に出世したと『源平盛衰記』(巻7)では描写されており、実方の乱行ぶりが強調されているのぢゃ
▼道祖神…出雲路の道祖神の娘にあたる女神をまつったもの。『源平盛衰記』(巻7)で実方は道祖神に対して「下品の女神にや 我 下馬に及ばず」と礼をとらなかったため、馬と共に転倒して命を失ったとされるのぢゃ
▼すずめ…◆『源平盛衰記』(巻7)曰「人臣に列て人に礼を致さざれば流罪せられ 神道を欺て神に拝を成さざれば横死にへり 実に奢る人也けり 去共都を恋と思ひければ雀と云小鳥になりて常に殿上の台盤に居 台飯を食けるこそ最[いと]哀なれ」◆『古事談』曰「実方中将 怨不補 蔵人頭 雀に成て居 殿上小盤台」