玉藻前
「たまものまえ」には、正体が狐であるという繋がりから妲己[だっき]の内容を盛り込んだ填詞[かきいれ]が添えられています。
まえへ|つぎへ石燕は、桧扇[ひおうぎ]を持ち、立派な御簾[みす]のなかにたたずむ、お后さまのすがたの「たまものまえ」を描いています。しっぽの数は少なくとも古い絵巻物に出て来る2本ではなく、もっと多く描かれていることから9本あるほうのかたちが想定されていることがわかります。
御簾や立派な繧繝[うんげん]べりの畳があることから、舞台設定が内裏の清凉殿であることが知れます。
「たまものまえ」の体からは闇とも光ともわからない線が発生していますが、画面の左手に燭台が立っていることを考慮すると、能『殺生石』にも登場する、しぐれ吹く風に一斉に照明が消えて闇に包まれた場面を利かして描いていると見られます。
能『殺生石』では、一斉に照明が消えて真っ暗になった清凉殿のなかで、「たまものまえ」の身体ダケが光り輝いていたことが、「どうもあの者はあやしい……」と考えられるキッカケにもなったとされます。
▼玉藻前
「たまものまえ」は、見ひらきにいっしょに描かれている「おさかべ」と共に、物語やお芝居で非常によく知られた「お姫様な妖怪」の一対として描かれています。
▼瑯邪代酔[ろうやたいすい]に古今事物考を引[ひき]て云
「瑯邪代酔」は『琅邪代酔編』のことで、纏足[てんそく]のはじまりについての記事をあつめている「纏足」(巻19)に「商妲己 狐精也 或曰雉精 猶未変足」――とあって、狐の足の特徴がどうしても出てしまうことを隠すために妲己[だっき]が帛[ぬの]で足を包んでいたことが纏足の起源になったとする『古今事物考』にある説を引いています。
▼商[いん]の妲己[だっき]は狐の精なりと云々
「商」の字を『琅邪代酔編』にある字句をそのまま持って来た結果、「殷」のほうのよみかたを傍訓としてつける措置になっているようです。
▼その精 本朝にわたりて玉藻前となり帝王のおそばをけがせしとなん
退治されたあとの妲己が、流れ流れて日本に入り込み、「たまものまえ」として宸襟を悩ましたということはよく語られていた流れの物語です。
▼すべて淫声美色の人を惑す事 狐狸[きつねたぬき]よりもはなはだし
この箇所は、殷の紂王が「淫声」や「美色」に傾いたことによって、王朝が滅亡したことを叙述するときに軍談などでよく語られていた、いましめの部分を提示しているもので、「たまものまえ」のことではなく「淫声」や「美色」についてのことを述べています。
「はんにゃ」での「慈航」の引きごとのように、『琅邪代酔編』からの情報要素が引かれているわけですが、「妲己の正体は狐精」であるという部分ダケがクローズアップされており、本来の『琅邪代酔編』での内容であるハズの「足が人間に化けきれないので布で包んで隠していた」という主眼の情報も、「雉精だという説もある」という異説については採られていません。
つまり、引きごととして提示したかったのは「琅邪代酔編に狐精であると書かれているぞ」ということダケであって、石燕のこの填詞[かきいれ]は直接に『琅邪代酔編』を引いてのものではない形態の引用であった可能性もあります。
up.2026.06.28
■玉藻前…(能)殺生石
▼玉藻前…石燕は「せっしょうせき」や「ふるうつぼ」でも玉藻前の物語についての内容を描いたり、言及したりしているのぢゃ
▼しっぽ…『玉藻草子』などでは「たまものまえ」の正体である「白狐」の尾はふたつなのぢゃ
▼しぐれ吹く風…能『殺生石』曰「うちしぐれ吹く風に御殿のともし消えにけり 雲の上人 立ち騒ぎ 松明とくと進むれば玉藻の前が身より光を放ちて清凉殿を照らしければ 光 大内に充ち満ちて」
▼狐精…能『殺生石』でも、天竺・震旦・日本の三国をめぐって悪さをして来た狐だとされているのぢゃ
▼雉精…「きじ」であるという説については記載があるものながら広く用いられることはうすかったのぢゃ
▼纏足…和泉式部が足袋[たび]のはじまりになったとされる説話と同様に、異形な足を隠すためにはじまったとする語り方は、足をつつむものに対しての起源説話にはつかわれがちなものであったようぢゃ
▼淫声美色…ちぢめて「声色」とも。人間が惑わされ、堕しやすいものとして、儒学では大抵いましめられているぞ。
◆『劉子新論』(防欲)曰「耳楽淫声 命曰攻心之鼓」◆林羅山『童観鈔』曰「男女の欲はさだまれる道なれども 其分際の法あるべきに 色にふけり妓楽をこのむは 性心をきるの斧斤なり」
◆三輪執斎『執齋日用心法』曰「淫声美色は志を伐るの斧斤 宴安侫人は志を害するの酖毒也」
▼淫声…ただしい音楽に対して存在するみだれた音楽のこと。淫声邪楽。紂王と妲己のために師涓がつくって鹿台や酒池肉林でも奏でられた音楽たちは「淫声」とされ「師作淫声」などと称されるのぢゃ