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妖怪要説 鬼質学紺珠

鬼質時代 平安代(Heian era)

この時代に入ると、日記などの記録の上に見られる妖怪をはじめとして、読まれることなどを前提として書き残された説話、実用書や占いの理論のなかに組み込まれた知識、などを確認することが出来るようになってくる。その説話や知識の多くは、大陸からの移入が多いが、それが次第に俗習と混交しあいつつ、以後の時代の一般にも拡大してゆくことになる。

この時期の作り物語には残存していないものもあるが、そこに展開される妖怪あるいは神仙などは画像成分(物語)の萌芽であったとみとめられる。後の時代まで引き続いているものとしては、『竹取物語』や『源氏物語』などが名高いところではある。『枕草紙』にはうしおになどの語も見られる。

▼三尸が動き出すのを止める庚申の行事などは、この時代の貴族たちのあいだに確認されている。

霊異紀(りょういき) Ryo-iki period

平安遷都の頃。『日本霊異記』(9c)などをはじめとした説話集など。 因果応報や地獄の裁判など、天竺や唐からの文化の輸入が多くみられる。

『今昔物語集』(11c)などは三国(日本・震旦・天竺)の世界観を持っているが、外地を含めての「日本の妖界」の形成を見せている。天狗などははじめから三国世界観の上に成り立っている部分も多い。外国を外国として認知していたか、それとも一個の世界の中にある異なる習俗の土地と観ていたか、の違いは比較的大きい。

化鳥紀(けちょうき) Kecho period

院政や源平合戦の頃。『保元物語』(13c)、『平家物語』(13c)の中で描写されている時代。御所の上空にあらわれた(ぬえ)などの化鳥(けちょう)が命名の由来。

年代としては花山天皇の時代(10c)に描かれた「めかこう」の絵があったことなどの記録があり(参考…『嬉遊笑覧』)鎌倉代の前絵巻紀との区別はあまり明確に出来ない。

各地方にある自然物の伝説や由来に、源平の武士や弁慶、曽我兄弟、鎌倉景政などが使われるようになった限界点はこの化鳥紀である。これ以前は何であったか、たどれるものもあれば、たどれぬものもある。佐渡にある弁慶のうんこが石になったという大きな石なども、弁慶以前は大太法師のようなものが由来に使われていたかも知れぬ。

▼「けちょう」は、化鳥・怪鳥などの字がそのように読まれる。

page ver.1.2 2018.7.08 妖怪仝友会