『画図百鬼夜行』の最初の序文は、老蚕によって書かれています。老蚕[ろうさん]は、牧冬映(1721‐1783)という俳人の別号。冬映流の初代(三世までつづく)として知られます。号に紫陽館、瑞興亭、白花庵などがあり、この序で用いられている「紫陽主人」は紫陽館のあるじといった名乗りです。
老蚕は『画図百鬼夜行』の全体的に協力をしていて、各巻の題詞の揮毫も彼の手によるものです。
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▼石の燕となり
鍾乳洞などにいる石燕[せきえん]という生物のこと。石乳を食べて生きているとされます。
寺島良安『和漢三才図会』に「石燕」(巻42・原禽類)は既に掲載されており、鳥山石燕自体とも縁づけることで冒頭の対句に用いられているわけですが、逆に言えば鳥山石燕自体はこの作品のなかで「石燕」そのものは描いていません。普段は描いていたりしたのでしょうか?
▼筆の蟋蟀となる
古い筆が蟋蟀[こおろぎ]になる、という俗説を引いたもの。後の文に出て来る鳥山石燕とその筆を基にして「変化するもの」を挙げた対句としています。
▼鳥山彦
鳥山石燕による色摺りの絵本・絵手本。『石燕画譜』とも。
本作の2年前、1774年に出版されています。この『鳥山彦』を皮切りに石燕は絵手本を出したようで、逆に言えば60代になるまでは肉筆画が中心で、狂歌や俳諧の句集以外「版下」は手掛けてはいなかった様子です。
『鳥山彦』は、のちに錦絵などにも広く使われてゆくことになる「拭きぼかし」という木版印刷の技術が、版本としては「はじめて使われた」と俗に伝えられています。
▼古画の百鬼夜行
土佐家や狩野家に伝わる百鬼夜行絵巻――妖怪の描かれた絵巻物たちをさしたもの。
石燕による自序での記載や、『画図百鬼夜行』に描かれている面々を考えると、ここでは石燕が絵の修行をした「狩野家」に伝えられていた絵巻物が、参考になった先輩表現だと知れます。
▼意を加へ容を補ふ
石燕によって各絵巻物の画像妖怪たちの図柄を描いた「絵」自体は、版本とは別にあった、あるいは版本よりも先行して描かれていたものと思われます。
しかし、修行時代や50代ごろまでの作品の全体像がよくわからないこと、また確認されている肉筆画の多くは古典的な画題や・花鳥・美人・役者・物語などであったり、句集でも普通の絵が多かったりすることを考えると、いつごろから「妖怪」を好んで描いていたのかは、一向にわかりません。
▼書肆
出雲寺和泉掾と遠州屋弥七のこと。版元側か石燕側か、あるいは出雲寺なのか遠州屋なのか、どちらが先に鳥山石燕に『鳥山彦』をはじめとした絵本の出版を持ちかけたのかは不詳。
ただし、どちらのお店も幕府や武家の公的な印刷物も手掛けているドチラかと言えば堅い「書物」を出している版元であって、キチンとした「絵手本・図譜」としての出版であったことはわかります。
▼梓に
木版印刷のための版木をつくって、本のための版をつくること。「上梓」などの梓。
▼陰陽風雨晦明をもてわかつ
鳥山石燕は、妖怪の絵の絵手本は6冊構成で稿をととのえており、実際にそれぞれの題簽に「陰・陽・風・雨・晦・明」の巻次をあてています。
「陰・陽・風・雨・晦・明」は漢籍にある「六気」というまとまりにもとづいたもの。
この「陰・陽・風」と「雨・晦・明」自体に特殊な意味はなく、2つなら「陰・陽」「天・地」「乾・坤」など、4つなら「天・地・玄・黄」といったものがあるように、6つのうちの「陰・陽・風」を前編の「上・中・下」を示す巻次のつけかたとして用いているダケに過ぎません。
▼前編三冊成ぬ
「前編」にあたるのが『画図百鬼夜行』だということがわかります。
▼予にもとむ
序文の筆者、牧冬映のこと。序文を求めたのが石燕であることは知れます。
▼燕
石燕のこと。名前の一文字だけを出して表現しているのは唐風を利かしたもの。
▼俳歌の友
石燕は門人たちと共に俳諧や狂歌のあつまりでも多く遊んでいて、冬映は俳諧師であるので昵懇な交友のあったことは、「燕とは俳歌の友にして相識ことひさしければ」という書き振りからも色濃くうかがえます。
▼安永龍集乙未冬
序文の署名部分にある年次。安永4年(1775)のこと。
出版物の発売の多くは、お正月でしたので、それ以前――つまり発売前年の冬や暮れに序文が書かれている時空になります。
up.2026.05.11

▼六気…◆『国語』周語下(解)曰「天有六気 陰陽風雨晦明也 地有五行 金木水火土也」◆『事林広記』曰「六気 陰陽風雨晦朔」