『今昔百鬼拾遺』のふたつめの序は、石燕自身による自序が書かれています。元洲の序が漢文であることに対し、石燕のものは和文で書かれています。
元洲のほうで用いられている「鬼神」(蒼頡のはなしに出て来るもの)とは異なる「鬼神」(古今和歌集の序にあるほう)が「妖怪たち」についての汎称として利用されていることも、ふたつある序文のあいだでの共通しつつ対比な構成になっています。
まえへ|つぎへ
▼和哥[わか]はあめつちをうごかし 是は目に見へぬ鬼がみを
「ちからをもいれずして あめつちをうごかし 目に見えぬおに神をも あはれとおもはせ」という、『古今和歌集』の序文にある「和歌の徳」を述べた有名な箇所を引いたものです。
「目に見えぬ鬼神を」という語句を、つぎにある「絵そらごと」にそのまま接続させるために用いているので、文章としては区切れが難しくなっています。
▼絵空ごとに筆もて行まま あやしうもの狂はしきさま としごとにゑがくは
おにがみ(鬼神)たちのいろいろなかたちを「絵そらごと」として筆のすすむままに年ごとに描いておるのですが――といった意味合い。
▼おぼろげながらぬ世々の史林にもはづかしく ひめこめ侍るを
「史林」あるいは「士林」は学識を持ち合わせた人士たちのこと。「ひめこめ」は「秘め篭め・秘め込め」で、しまい込んでしまっていたこと。
このあたりも、謙譲の表現であって普通にかみくだけば、『今昔画図続百鬼』の完成後も、門人や友人たちとのなかで、あるいは自身で書物やお芝居のなかをたどりつつ、自然と描き溜めていたものがいくらかあった、というぐらいのことなのでしょう。
▼書肆某いへる 嬰児のむつかるを止んは しかよりはなし
「書肆」は本屋さん。おちびちゃんたちの泣いてむずがっているのを止めるときのものといえば、コレ(おばけ)以外にはないでしょう――と、続集を催促されたといった内容。
あくまで、妖怪といえばという一般的な世辞としての表現であって、実際に石燕の画譜が子供に対して怕鬼要素を持たれていたようなことの傍証は何もありません。
庶民文化の過渡期でもある18世紀後期の段階では、その受け手たちもまだ過半数以上は、絵筆や戯作をたしなむ武士たちなどが「絵手本」として入手したダケの「高価な書物」であったことは容易に想像出来るでしょう。
▼しきりに乞にまかせぬれば 松たつ春の勇ましきにあたひをまちて 估めや估めやとやら
しきりに出版をせまるので、それに任せてまたお正月に版本として発売することになった――といった謙遜な書き方。
「松たつ」は「松立つ」でお正月飾り、当時の出版物はお正月に発売開始されることが多かったことからの発言。「估」は「売る」などの意味。
この石燕の序文の末尾には安永9年(1780)12月に記したことが明示されています。
▼ 桜木にのする事とはなりぬ
「桜木」は木版印刷をするための版木のこと、素材が山桜の木だったことからのことば。
up.2026.07.20

▼あめつち…天地のことぢゃ。◆『古今集序注』曰「あめつちをうごかすとは天神地祇を感ぜしむるなり」
▼絵筆をたしなむ者…「趣味」としてよりも、石燕の知人友人の大半を占める武士階級の者たちは、役目の上で絵図などを引いたり、地図を作製するなどのことも業務の上で必須の技術となるため、「絵」は想像以上に「画家志望者」以外にも存在していた「習い事」でもあったことを理解することが必要ぢゃ