ナゼ妖怪大好きか
――『歴史探偵』「妖怪大国ニッポン!」についてのページ

2022.06.14 氷厘亭氷泉 

『大佐用』vol.244「ナゼ妖怪大好きか」(2022.06.13)は、到底いつもの特集コーナーの紙数では詳述が足りませんし、数号に分けて載せてゆく必要性もうすいので、こちらへ独自にページとして捏ねあげ、載せておくことにしました。


2022年6月8日に、NHKの『歴史探偵』という歴史教養番組で「妖怪大国ニッポン!」というタイトルの回が放送されてました。


コロナ禍で一大ブームとなった「アマビエ」のように、映画やマンガ、インターネットなど、私たちのまわりには「妖怪」たちがいっぱい!でも何で日本人は妖怪が大好きなの?

NHK『歴史探偵』 「妖怪大国ニッポン!」 番組紹介文

番組の基本的な主題は、かいつまむと「何で日本人は妖怪が大好きなの?」という疑問に対して、歴史的に遡ってそれに答える・探るといったものです。

これを書いてる吾曹(ひょーせん)なども、現在進行形での《妖怪》が「大好き」な一人であることは、ふだんの作品などを見ていただければ分かることでしょう。
確かに、吾々は《妖怪》が「大好き」、あるいは「まぁまぁ嫌いではないヨ」という感覚をもって接して来たであろうことは、事実だと思われます。実際に、商業的な作品にも趣味的な世界にも《妖怪》は、現代的な《妖怪》のイメージが形成されて来る以前からも、それぞれ用いられつづけて来ました。

そのあたりの変遷や内面を「歴史の流れからたのしく眺めてみよう」――というのが、企画の芯柱であろうことはうかがえたのですが、実際に放送に耳や眼をさらしてみると妖怪の想定イメージなどにズレがあるのか、歴史教養番組でこの主題のみをあつかう回としては、だいぶ構成の上での不安定さ・あやうさが垣間見られました。

このページでは、そのあたりについてまとめておくと共に、「何で日本人は妖怪が大好きなの?」という疑問に対して、どう考えてゆくと良いのか等を講じてみたいと思います。

『歴史探偵』 NHK・総合で水曜日の午後10時に放送されてる歴史教養番組。
番組にも冒頭から出て来るなど、万人に通じる妖怪としてあまびえが用いられてるが、説明はあくまでも2020年にあたらしく造られた方のイメージしか語っておらず、19世紀にどのような実態や感覚で捉えられてたかについての言及は結局番組内には存在しなかった。氷厘亭氷泉「2020年のアマビエ解説について――アマビエ2020A/B」(2020年)も参照。数年経ても大した進展がないのがわかる。
過去から用いられて来たことは事実だが、ではそれが、現代イメージされるような《妖怪》にあてはまるものであるから好まれて来たのかどうか、《妖怪》ダケが特別に好まれてたのかどうかという疑問を、常にすぐ横に持って考えることが必須な問題である。




大きく分けて、4つの見出しに分けてそれぞれ記してゆきます。

まずは番組のなかにみられた「妖怪のイメージのズレ」、つぎに「妖怪解説の歴史精度」、そして「歴史教養番組であるならば」と「何で日本人は妖怪が大好きなの? の答えについて」です。

大きな図体の「手の目」は、番組の予告映像に鳥山石燕の「手の目」の絵が複数使われてた(1体配置されてた上のほうに、さらに手の部分だけが拡大されてもう1体ぶん配置されてた)ことに由来する。
放送の時間前にteraさんが「クソデカ手の目」と戯讃、ひょーせんによって何度か描かれたほか、桂つかささんにも描かれた。(桂つかさ「すこやか河童「でかい てのめ」」



1.妖怪のイメージのズレ



このような企画に沿って構成が練られる場合、題材として用いられるのは絵巻物や版本・錦絵といった絵画作品、あるいはその影響下で1960年代以後に発達していった漫画や映画、さらにはその先にあるアニメやゲームなどにおける創作物の上での《妖怪》たちが主となります。

これは、テレビであろうが博物館であろうが書物や論説であろうが全てそうならざるを得ない部分です。

なぜなら、《妖怪》と一般的にイメージされるのは、既にそちらが主体になってるのが現実だからです。

番組ゲストに香川雅信さんが出てたことから観測できるように、本番組も『江戸の妖怪革命』(2005年)や『図説 日本妖怪史』(2022年)にもある、そのような創作物の上での《妖怪》たちをベースに、番組が構成を採ったとみえ、『百鬼夜行絵巻』や佐脇嵩之『百怪図巻』などの絵巻物で描かれた妖怪たちからはじまり、鳥山石燕『画図百鬼夜行』や竹原春泉斎『絵本百物語』などを通過して、水木しげるによる妖怪絵に到っており、▼絵巻物(創作物)→▼版本(創作物)→▼水木(創作物)――と、ルートや材料は非常に単純明快ではあります。


絵師たちが思い思いの表現で百鬼夜行を描く。
そのなかから様々な姿かたちの妖怪たちが生まれました。
妖怪大国ニッポンのルーツは、この絵師たちの果てなき想像力にありました。

NHK『歴史探偵』 「妖怪大国ニッポン!」

――番組前半の百鬼夜行絵巻のパート(小松和彦さんが出演して、百鬼夜行絵巻に描かれた妖怪たちを実際に絵巻物をひろげて眺めながら感想を寄せたりする映像が流れてた)も、まとめのナレーションでは上記のようなことを述べており、《妖怪》たちが創作物の上でそのように表現されていった、それぞれが別々の図柄になってゆくことで多彩になった事実を、端的に述べてます。(実際は、流派の粉本=お手本なのでそこまで思い思いのアレンジが入るわけではないですが)

しかし、それらを配置した上での解説や見せ場を構成するカンドコロはズレてるようで、そのなかに魔像人面草紙が出て来たり(歴史の流れのなかで連続的に消費されて来てない)画像しか存在しない妖怪に現代に入ってから想像・創作で付与された性質解説を近世からあるかのごとく当然顔で用いたり(歴史番組なのにそれが20世紀以後に生まれた部分だという基本認識に欠けてる)など、構成の上で果たして必要な材料なのだろうか? というものが多々見受けられたのが、本番組を見て大いに違和感を生じた点です。

たとえば、魔像について考えてみると、まず第一に作成年代がハッキリしてない作品をあえてこの構成のなかで見せる意味があまりよくわかりませんでした。


「魔像三十六体」「妖怪座像百体」(江戸時代後期以降)
福島県いわき市に伝えられていたものですが、いつ、だれが、なんのためにつくったものかは、全て謎に包まれているそうです。

NHK『歴史探偵』 「妖怪大国ニッポン!」

――しかも、このようにぼやかした表現や言及を「あえて」して、です。

番組が撮影取材に向かってた広島県三次市のもののけミュ―ジアムには、版行年代などもハッキリする近世の絵巻物、版本や錦絵・おもちゃ絵などに良質な展示物がたくさんあるのですから、そちらをさらに豊富に流しても良いですし、根付や郷土玩具といった収蔵物も同館にはあるわけですから、「立体物でなければ興味が惹けないので是非これでなければ」というい理由が仮にあったとしても、「あえて」魔像で無ければならない必要性は今回の構成の場合、全く無いでしょう。

魔像を「あえて」採り上げるのであれば、逆にその「」の部分を題材にするダケで、番組としてはむしろ「誰にでも」おもしろいものになるのではないでしょうか。

実際、前半のパートでは百鬼夜行絵巻ので終わるタイプの構成の絵巻物についての(21世紀に入ってからしばしば採り上げられて来た土佐吉光『百鬼ノ図』についての考察)をキチンと作品そのものの鑑賞を伴いつつ「作品としてあるけれども、何を描いてるのか、他の作品と較べてどうか」という点を含めつつ、順を追って構成しており、材料の用い方とその着地の取り方が異なる感触も受けました。

魔像は何にも接続しておらず、「ただ映像として流したダケ」に過ぎず、結局着地点が無かったわけです。

そのようなカンドコロの外し方は、やはり《妖怪》について、こういった「創作物の上での《妖怪》たちを歴史的に遡ってつなげてゆく構成」をする際、どういうものが歴史的につながりあって来た作品なのかというイメージが、明確に持たれないまま構成をなさってしまったところに原因があったのではないかな、と思ってしまう次第です。

版本・錦絵 とりわけ絵草紙屋や駄菓子屋で販売されてたおもちゃ絵・豆絵、または絵双六・かるたなどに作例が多いため、自然とその分野のものが資料としては多くなる。
鳥山石燕竹原春泉斎は、大正・昭和以後には江馬務・吉川観方・藤澤衛彦らによって紹介されることで資料としての知名度が固定化されたが、近世にはこれらに親しんでる画家の数は全体数から見れば少なく、版本や錦絵に描かれる妖怪たちや、一般にイメージされる妖怪たちも土佐家などの『百鬼夜行絵巻』は別格として、全体の面々が少し現在からみれば異なる。
『百鬼夜行絵巻』(土佐家などで描き継がれた)はあつかってるが、一方番組冒頭で採り上げた佐脇嵩之の描いてるような狩野家の系統の妖怪絵巻(うわん・おとろし・わいら…などが描かれてるもの)の歴史は明確には紹介されなかったため、石燕との歴史の連続性は感じづらい。
伝承から描かれたわけではなく画像要素しか存在してない妖怪(画像妖怪)については、『列伝体 妖怪学前史』(2021年)や、『日本怪異妖怪事典』(2021年〜)の各巻でも「その他」の章の区分の基本概念として利用してるほか、『大佐用』で詳しくまとめたものもあるのでそちらも参照。
→ 『大佐用』vol.235「画像妖怪の三角形」
→ 『大佐用』vol.236「画像妖怪の三角形2」
→ 『大佐用』vol.237「画像妖怪の三角形3」
魔像 もののけミュージアムに現在おさめられてる立像36体・坐像100体の木像。「江戸時代後期以降」と展示などでは公称されてるが、あくまで「年代が特定できない」という意味であって、近世の作品である確定状況はまだない。『古今妖怪累累』(2017年)や『日本怪異妖怪事典 東北』参照。落合芳幾や河鍋暁斎の明治に入ってからの錦絵を手本にしてる顔があるので、少なくとも明治以後にならないと完成は不可能である。

(◆氷厘亭氷泉「魔像デザインのモトとなった妖怪」『たわらがた』創刊号、2019年)

「魔像を所持してた寺があった土地」と仮託される「福島県いわき市」での寺社状況の調査などにいてはN.N.USAGI「威徳院旧蔵とされる「魔像」について」(全4回)も参照。2017〜2021年にかけて、宮本晶朗さんなどはじめ、多方面から言及は既にいくつもあるわけである。この点については、この番組の次回予告が出るよりもホンの少しさきがけて2022年5月末にも、魔像を観覧しに行かれた方(6月7日まで、もののけミュージアムでは魔像が展示されてた)の写真ツイートがTwitterで話題になり、28日〜30日あたりにかけて問題になっていた。
番組冒頭の、内容紹介の部分では「江戸時代妖怪たちは親しみやすいキャラクターに大変身、その背景にある妖怪革命とは!!――調査2・江戸の妖怪革命」という紹介の際に流れてた映像は人面草紙魔像のみであった。



2.妖怪解説の歴史精度



そんな外し方が、大きく眼にみえるかたちでも出てしまってたのが、はじめに挙げたうちのふたつめの例――画像しか存在しない妖怪に現代に入ってから想像・創作で付与された性質解説を近世からあるかのごとく当然顔で用いてた点です。

歴史番組なのにそれが20世紀以後に生まれた部分だという基本認識に欠けてる、と指摘出来るわけですが、これは《妖怪》に関するこのようなテレビ番組や論説記事などでは日常茶飯事に近い頻度で日々発生しつづけてもいるズレですので、そういう情報の存在そのものについては別段渋面するものではありません。

具体的に、どんな佃承解説が番組で飛び出してたかといえば――


ぬらりくらりとしたつかみどころのない妖怪でして、いつの間にか 家に入って来てお茶を飲んでいるというような妖怪なんですけれどね。

NHK『歴史探偵』 「妖怪大国ニッポン!」――ぬらりひょんについての解説言及


たとえば、このいそがし
ひとに取り憑いてせわしない気持ちにさせる妖怪ですが、

NHK『歴史探偵』 「妖怪大国ニッポン!」――いそがしについての解説言及


きっと、こやつが取り憑いていますね。これね、はじっかき
ひとに恥をかかせていたたまれない気持ちにさせる妖怪です。

NHK『歴史探偵』 「妖怪大国ニッポン!」――はじっかきについての解説言及

――などなど、こういったものがポンポンと出て来てたわけです。

ぬらりひょんが《家に入って来てお茶をのむ妖怪》と紹介されたのは、この佃承解説自体がもう50年近く世間にあるものなので仕方ない気分もありますが、はぢかき(はじかき、はじっかき)・いそがしなども、近世に絵が描かれた段階から、そのように伝承された性質当然あるような風に使用してたダケな点に、むしろ困り顔になってしまうわけです。

重ねていいますが、そういう情報の存在そのものについては別段渋面するものではありません。


はじかきは前に博士の番組の妖怪回で「屁吸い」って名前つけられてたのが一番おもしろかった

Twitter tera(西) 2022年6月8日 PM11:01

しかし、歴史をさかのぼって情報や言及を重ねる構成の番組で、無批判に用いてしまうのは不似合であると思います。

たまたまこの回を視聴したダケの一般の方々からすれば「ちゃんと近世(むかし)からそういう伝承があるんだ」となってしまう事態に簡単に繋がってしまいます。

いそがし解説などについては、水木しげるの創作範囲のものだということは、ウィキペディアのようなレベルでも確認がとれる事実でもありますし、「ああ、そっち(20世紀に生まれてる解説や性質)を歴史的なものに組み込んでるのだなァ、でもそれは現代のものですという解説も、同時にスグ調べれば出て来るでしょう」と思えてしまうような、材料の選び方すべてに疑問が生じてしまうような使い方でもあるわけです。



特に、はじっかきいそがしに用いられてるのは、▼妖怪→▼取り憑く→▼そのひとに何か特定の癖や行動をさせる――という構文で、それ自体が非常に現代的(1990〜2000年代に非常に殖えた)イメージの《妖怪》の性質に落とし込まれた上の性質です。

特に、はぢかき(はじかき、はじっかき)の解説は、そのデザインのモトになった画像とみられる謝豹虫という《生物》に付けられていた紹介文のなかにあるおはなし(恥をいだいて死んだひとがなった虫で、土のなかにいる。掘り出したりすると恥ずかしがって顔を隠すかっこうになる)を現代になってから逆算して中途半端に用いたものであり、取り憑いて人間の気持をどうこうさせるなどの解説はむしろ明確な現代(「はじかき」の絵巻物図版と「謝豹虫」の版本図版とが連結認識された2000年代に入ってからのこと)の創作解説です。

そのため、近世の《妖怪》、さらにいえば番組自体がスマートに筋道配置をした主材料、▼百鬼夜行絵巻→▼鳥山石燕・竹原春泉斎→▼その後の版本・おもちゃ絵といった創作物の上の《妖怪》たちの性質とは合致して来ないわけです。

(たとえば、ちょうちんおばけからかさおばけにそういった――そのひとに取り憑いて何か特定の癖や行動をさせる――性質は想像しづらいでしょう、そういう妖怪を想像したときの自然な動きが、創作物の上でながらく持たれてた、ごくふつうな《妖怪》たちのイメージなのてす)

ここで述べている画像しか存在しない妖怪に現代に入ってから想像・創作で付与された性質解説――佃承の発生原因も、絵巻物・版本・鳥山石燕などの近世の画像には伝承要素が無い《妖怪》が多数存在するにもかかわらず、一般的な《妖怪》イメージ(伝承を持っており、それが描かれたもの)の代表格として、20世紀に入ってから、無批判に、無為に、あつかい過ぎて来てしまった結果として「生じた」ものなわけです。

このような部分も、むしろそのズレを「ズレである」として認識した上で考えるならば、十二分に「もともと無かった性質が次第に現代に向かうに連れて形成されて、実在感が想像されてった」あるいは「そういう具体的に何をするのかという要素がないと現代では《妖怪》であるイメージが伴われなくなった」などなど、歴史をさかのぼることでキチンと俯瞰することも可能になって「おもしろい」と思うのですが、どうなのでしょうか。

やはり、「具体的に何をするのかという要素がないと《妖怪》としてあつかえない」という事実の例が既にこの番組の構成に如実に発生してたヨということでしょうか。



番組冒頭明けすぐに、取材映像として京都のモノノケ市で並べられてる現代の画家・作家たちの作品を「現代でも妖怪たちは好まれてます」という例として紹介されてました。

現代と近世の創作物と対比させる意図があったと思うのですが(近世と同じですヨということをしたかったのかナ)しかし、上記のような妖怪解説の歴史精度でつくられた本番組は、画面上に出て来てる現代の画家・作家たちの持ってる、歴史上の妖怪認識より、数歩数段《浅い認識》で構成された内容だった――と言って良いのではないでしょうか。

そういった点に関するご感想やご指摘は実際に視聴をなさった、しげおか秀満さんの感想――


遅ればせながら「歴史探偵 妖怪大国ニッポン」観ました。感想としては、よくまあ、妖怪界隈で話題になった話を一本にまとめましたねという感じ。ただし、一個一個の事象の解像度がおそろしく低いんだよなあ…。これをこのまま飲み込んでもらっちゃ困るレベル。困ったなぁ…。

Twitter しげおか秀満 2022年6月11日 AM11:55


わかりやすく言うと「皆さんご存知のとおり源義経は大陸に渡ってジンギスカンになったんですけど…」って言ったけど誰もつっこまない歴史番組みたいな感じになってるんだけどいいのかね?わたしゃ危うい気がするんだけど。

Twitter しげおか秀満 2022年6月11日 PM0:00

――をはじめ、妖怪が大好きな実際活躍なさってる画家さんたちの感想を拝見してまわっても、多々うかがえます。

このあたりは、ふりかえってみれば2020年3月の早い段階であまびえをニュース番組などが取材した折りに「実際は、信仰されて描かれてたような代物では無いんですよ」とかわら版屋の商法などについてもキチンと解説した部分が全く参考範囲として使用されなかった例(田中良平さんなど)があったりした雰囲気と似た感触もありますネ。

現代に入ってから想像・創作によって「民間でそう伝承されてた」「そう語られて来たものを描いたものである」とするために付与された性質解説を、伝承・画像の2要素と区別するため『大佐用』などでは「佃承」と称してる。
→ 『鬼質学紺珠』

いそがしの解説言及は、水木しげるの妖怪絵を映す際に用いられてる。水木しげるが尾田郷澄の絵巻物からこれを描いたという提示(画面に画像を並べたりしてた)をしてるわけだが、これでは絵巻物の段階(近世)から「そういう性質の妖怪だった」という印象を勝手につくりあげてしまう結果になる。もちろん、尾田郷澄の作品や、さらに先行するいそがしの絵画作品に、そのような「伝承」は無い。
いそがしのこのような解説は水木しげるの漫画作品のなかでの登場が早い。『妖怪博士の朝食』の「貧乏神」に登場する。
番組冒頭では「妖怪オヤジギャグ」としてはじっかきは会話背景の演出に登場していた。突然解説されたのは本当に番組の最後の場面で、まさかの再登場であった。
はじっかき――と紹介されてたがアレはあくまであの絵巻物の表記がそれなダケで、「はぢかき」(はじかき、こちらのほうが資料としての確認や紹介は早い、また『百物語化絵絵巻』でも用いられてるので複数例あり・かつ古いともいえる)であったり、作品によっては名称が欠けてしまってたりもする。(尾田郷澄や蕪雪の例)
→ 『大佐用』vol.2 「はぢかきの腑分け1」
→ 『大佐用』vol.3 「はぢかきの腑分け2」
謝豹虫は『唐土訓蒙図彙』に「地中にすむ虫也 むかし恥を抱て死したる人の魄 虫になりて故に堀いだすときは足にて面を覆ひ恥を忍ぶかたちのごとしと」とある。
そういった1960〜2010年代に発生してあらたに付与されてきた情報を「現代にあたらしく加わった要素」としてとらえるパターンと、過去からつづいてきたものを対して単純に「情報を汚してるダケの余計なノイズ」としてとらえるパターンとに対応は分かれるようである。吾曹などはどちらかといえば前者であり、いたずらに情報を過去へ遡及加算せず、「現代のすがた」として「過去のすがた」とキチンと切り分けて「別物あつかい」にすることを進める。
主に人間側の「よくあるしぐさ」や「ありがちなこと」を題材に「この妖怪に取り憑かれると●●をしてしまうようになる」とか「●●をしてしまうのはこの妖怪に取り憑かれたせい」という構文の解説は、伝承の側でも多いようにみえて実際は目につかない。(民間でいうところの悪魔憑き狐憑きのようなものになってしまって、一般的な個別種のように語られる《妖怪》ではなくなってしまう)特に個別個別の特性がありそうな《妖怪》についてもそうである。現代的な創作妖怪では、「●●みたいなことをするのはそのひとがこの妖怪だからだ」といったような構文も存在するが、そのへんに至っては四十八癖的な戯文の手法であり、やはり基本の構造が異なって来る。
水木しげるが柳田國男『妖怪談義』の「妖怪名彙」から伝承を採って色々な妖怪を描いたというシーンでも、「妖怪はみんなこういうところからの伝承がもとになって」というフレーズがテロップつきで語られたりもしていたが、そこで鳥山石燕に画像はあると表現されてるものの伝承に乏しいということはやはり使用されてなかったりするわけであり、このあたりのバランスがうまく世間で成立してない雰囲気は、吾々などが常々言及しつづけてる部分である。
小松和彦さんが登場紹介されるときに「好きな妖怪」として「貝児」を挙げていたが、番組がテロップとして出してた妖怪の絵には、『百鬼夜行絵巻』に描かれてるあたまに貝をのせてる妖怪が提示されてました。この点については視聴してた画家の方々にも「あれは貝児ではないでしょ」(貝児は、あくまで鳥山石燕が『百器徒然袋』で描いてるものであって、百鬼夜行絵巻の貝の妖怪は先輩表現で、遡及してそちらを貝児と呼ぶのはキミョーだ――と感じるほうが普通になって来てるわけである)というつぶやきが同時複数みられた。実際、番組も『百鬼ノ図』を映すときに、その貝の妖怪が出て来たときは「はまぐり」としか表示してなかったわけで(「貝児」とはテロップは出して無い)やはりズレズレとして認識してないのではないか、という不安が浮かぶ展開も同時に百鬼夜行絵巻のパートでは味わってたわけである。



3.歴史教養番組であるならば



全体的に番組を分解しなおしてみると、▼近世には出版文化を通じて妖怪キャラに人々が親しんだ→▼水木しげるもそれを伝承と共に展開して人気となった→▼現代も日本人は妖怪が大好き ――という、ここ20年か30年ぐらい存在して来た伝承要素と画像要素とのやや綯交ぜになりつづけたままの直線的な解説(そこでは、人々や土地に明確な伝承や体験がある妖怪の価値が高く、画像・名称・性質をそなえあわせてるものが《妖怪》であるというイメージが形成されてる)で、うっすらとまとめられてたダケであったという印象ではありました。

この直線的な解説自体は、それぞれの時代パートをそこまで掘り下げないような構成であれば、別段こまかい齟齬は生じず問題無いわけですが(今回は単に、▼古くは絵巻物があった→▼それが版本にも広がり親しまれだ――と、いう非常に浅いものでありつつ、ベースはしっかり創作物での《妖怪》であったため、文明開化や高度成長なども別に挟まることなく、理解の穴はさほど無かった)その近世の展開に関わる作例として、その時代に直接関係のない例(魔像佃承)を無根拠に出してしまった点が杜撰だったように思います。

他には、こまごまとしてるようで実は歴史番組(と歴史教養番組は違うとの向きがあるかもしれませんが、浅く広くを主眼とする場合、より精確性の高いおもしろい題材を採ったほうが良いに決まってるので、むしろおもしろくない段階の材料を掴んでるともいえます)として、やや問題を含んでたり、論理がバクハツしてたりした箇所としては――

 ▼付喪神を『百鬼夜行絵巻』の芯として語って消費社会と結んでた点
 ▼『人面草紙』を何の前提や区分もなく妖怪と紹介してしまった点

――などが挙げられるかと思います。


付喪神(つくもがみ)
主に室町時代の物語や絵巻に現れる妖怪
長い年月を経た古道具が化けたものとされる

NHK『歴史探偵』 「妖怪大国ニッポン!」――「百鬼夜行絵巻」についての解説言及


この真珠庵本の特徴はですね、よくよく見て行くと、単なる「鬼」じゃなくてですね、「道具の妖怪」っていうのが多いんですね。実は室町時代には「付喪神」っていいまして……(中略)……「付喪神」に化けるっていうはなしがあるんですね。

NHK『歴史探偵』 「妖怪大国ニッポン!」――「百鬼夜行絵巻」についての解説言及


室町時代にこういう道具の妖怪がたくさん出て来たっていうのは、 実際に物がたくさんつくられるようになって、ようするに物が少ない時だったら、こんな道具なんてもったいなくて捨てられないんですよね。言ってみればいまの大量消費社会の始まりみたいなものが、実はね室町時代にあったんじゃないか……っていうことがこの絵巻の背景にはあると言われています。

NHK『歴史探偵』 「妖怪大国ニッポン!」――「百鬼夜行絵巻」についての解説言及


(佐藤二朗の感想)「物を大切にしなさいよ、って非常に言われるじゃないですか、親とかに、そういうのってこういうとこから来てるから知れないですよね」

もったいないおばけですよね。

NHK『歴史探偵』 「妖怪大国ニッポン!」――百鬼夜行絵巻・付喪神についての解説言及

 前者については吾々が付喪神阿闍梨として日頃から敬拝してる塵塚りんす、烏山奏春ご両者のまとめや、それを参考に御田鍬さんが書かれた『日本怪異妖怪事典 近畿』の本文やコラムでも学習できると思います。

結論からいえば付喪神は『付喪神絵巻』で完結してる作中設定であって、器物の妖怪たちに広く、特に過去の事例の解説(本番組でいえば、足利時代の生活百鬼夜行絵巻といった過去)に結びつける場合は、総称や概念としては「器物の妖怪」や「へんげ」を用いたほうが語りやすいです。

一面的に特化した(しかも現代に安易に結び付けて結論を据えてしまいがちな)構成ダケを採っているため――足利時代より以前、鎌倉や平安時代の器物の妖怪はどのような存在で、近世の器物の妖怪はどのような感覚で、説話や創作物の上でどうだったかがという部分が、「付喪神」ということばに絞られ縛られることによってどちらも遡って語られなくなってしまう弊害が、「百鬼夜行絵巻を付喪神としてのみまとめる」構成をとってしまうことで発生するわけです。

そこには、「では絵巻に登場してくる道具以外の妖怪たちは何ものなの?」というそぼくな疑問や、前のパートで登場してた『百鬼ノ図』などの巻末に登場する黒い雲の話題などが「じゃあ、あれも付喪神なの?」――と、おうちのひとたちとはなしあってみましょうなこころみをした際、有機的に結び付けなくなってしまう部分が強く出て来てしまうわけです。

特に《現代つくもがみ》のイメージや、『刀剣乱舞』の《付喪神》の作中設定も、情報的に入り混じって受け取られてしまう昨今ならば、このあたりは余計に配慮が必要でしょう。(『付喪神絵巻』を基準に「器物の変化」を語ってしまうのは、『刀剣乱舞』世界内の付喪神のはなしダケしてるのと同じことですからね)


もしもし付喪神警察ですか!?

Twitter tera(西) 2022年6月8日 PM10:17

歴史教養番組としては、作中設定の外ではほとんど存在してこなかったつくもがみという考え方の内容やイメージそのものが1980年代ごろを境にガラッと変わってるここ数十年を俯瞰したほうが、やはりもっとおもしろいと思うのですがどうなのでしょう……。

人面草紙』に至っては、まず番組中には斎藤月岑の作品であるということが、みじんこ程も出て来ませんでした。

その部分がまず、歴史番組としてまずいのではなかろうかという気分があります。実際に視聴してたときもイチバン違和感があった部分でもあります。月岑はそれこそ『武江年表』とかの編者ですからネ。むしろ歴史のひとです。

また、『人面草紙』のあのかぼちゃみたいな顔のキャラクターたちは、月岑が青年期から明治に歿するまで、ふだんから日記などにも描いてた身辺のひとたちを描くときのひとつのデザインで、一般的な文脈で謂われるような《妖怪》では、無論ありません。

あれを《妖怪》だと言えるなら、ひょーせんなどの示してる画像妖怪の範疇のもの(現代でいえばスーパーマリオに登場するワンワンだとかいったおじゃまキャラたちや、近世でいえば《妖怪》という文言と無関係に存在する一般的な戯文や狂画のキャラや常識には存在しないものたち)も全部適用出来るわけですが、決してそういう意識で用いてないことはハッキリうかがえますので、特別に何も分別や考慮もなく、もののけミュージアムにあるから《妖怪》という部分しかないわけなのでしょう。


制作時点から妖怪(に相当するもの)だったか否かと、今の人が妖怪(的なもの)に含めているかは別軸なのですよね

Twitter tera(西) 2022年6月8日 PM11:26

果たして、この文章で触れたいくつかのこのような箇所を部分部分で踏まえていった場合、全体を通してどこまで歴史を遡ってた――歴史番組だったといえるでしょうか?

部分的に深堀りをすれば、現代と過去との比較が非常におもしろく出来るであろう題材は、もともと創作物の上での《妖怪》には数多く散見出来る分、相当にふるえる材料が出て来てるのに、それを有効に掴むことが出来ずに流してしまっている箇所が多かったのではないでしょうか。

平安時代の百鬼夜行の説話を紹介する際に、描写内容としては関係がうすい『百鬼夜行絵巻』を映像背景に流してしまう――というよくある齟齬の関係は発生してはいた。このあたりは安易に付喪神百鬼夜行絵巻大量消費社会と結んで言及してしまう流れとも複雑にゆがみを見せてしまう部分でもある。
『付喪神絵巻』と古註空間での説話などについては『大佐用』vol.165 「陰陽雑記と陰陽記」や、塵塚りんす「器怪にまつわる研究成果」など参照。塵塚りんすさんや烏山奏春さんのの考察を通じて、器物の妖怪(器怪)たちのほうが上位概念であること、その総称や包括概念につくもがみが用いられてるイメージがかなり特殊であり現代のものであることを知れる。
『刀剣乱舞』の作中設定まわりでは、しばしば付喪神は神? 妖怪? というはなしが浮かび上がったりすることが多いが、そこで語られる「本来の付喪神」という観点からの付喪神は、結局「現代つくもがみ」であったりすることも多い。
→ そんな話題の流れてたときの氷厘亭氷泉の2022年3月22日のツイートのツリー

引用箇所は1つめは番組のテロップ、2つめ以後は香川雅信さんのトーク解説である。「「道具の妖怪」っていうのが多い」から先は、実質『付喪神絵巻』の内容を説いているかたちの解説になっており、真珠庵のものを含めた百鬼夜行絵巻そのものの作品内の世界や中世・近世の人々の理解を語ってるのかというと、少し異なってくる部分がある。
器物の妖怪たちが「よく描かれるようになったこと」また「そのデザインが好まれていったこと」の発生した原因を探る際の解答としては、番組で用いられてたような部分に答えることは何も出来ていないように感じる。つまり、いつの間にか「創作物が主眼となった分析」では無くなってるわけである。
『人面草紙』については、その公開以後の吾々の反応や動向をそのまま記録してある「『人面草紙』ひゐきたちによるいろいろな考察と想像」(2017〜2018年)も参照。
斎藤月岑『武江年表』は天正から明治初葉までの江戸の出来事をまとめたもの。しばしば史料としても用いられる。
残されてる斎藤月岑の日記(『斎藤月岑日記』)のなかでも、晩年に至るまで、家族などが同様のデザインの顔で、着物や髪型などでそれぞれ描き分けられてる様子が確認できる。『人面草紙』も明らかにそのような自身を含めた周辺人物を描いてたであろうことが知れる。


4.何で日本人は妖怪が大好きなの? の答えについて



実際、番組中に答えの部分がどれだけ明確に導き出されてたのかは、視聴後の感想としてはチョットわかりませんでした。

百鬼夜行絵巻のパートの最後に示されてた、果てなき想像力といった部分に寄り掛っても良いわけですが、それでは逆に画像要素ダケに偏り過ぎて、「おもしろい形状の存在が好きなダケで《妖怪》という概念の介在はドコまで本当は必要なのか?」という部分や「伝承しか存在しないものは明確な画像があるものにぜったい負けてしまうのだろうか」という疑問にも、ぶち当たるのではなかろうかと思います。

それは、あまりにも吾曹らが《妖怪》について大好き過ぎるから――ということの裏返しなのかも知れませんが、上記の文章でここまで触れて来たように、材料それぞれの過去と現代のあいだにある「現在からみてホンの数十年前の状況・それが形成された流れ」が、もっと明確に伝わると、さらに「歴史教養番組」としては良かったのではないかナというのが大きな感想ではあります。


この文章をザッと仮まとめした段階で、yajifunさんが6月11日に『いわき民報』の「片隅抄」に、本番組の感想のようなものが書かれてるということを書いてられるのに対して、魔像について地域の裏付けがとれるのかどうかを調べておられるN.N.USAGIさんが言及してるのを目にしたので、さっそく記事に目を通してみました。6月11日の新聞に掲載されたその記事には――


NHKの「歴史探偵」。妖怪≠ェテーマだった8日放送分で広島県三次市にある湯本豪一記念日本妖怪博物館が紹介され、そこの目玉収蔵品として木彫りの妖怪像が映し出された。手のひらサイズで、立像が36体、ほかに100体の座像があるという▼昨年夏、県立博物館で開かれた妖怪や幽霊、怪異な出来事を紹介する企画展「あはひのクニ あやかしのクニ」でこの像が10体ほど展示されていて、かつていわき市にこんな謎めいた木像があったのかと初めて知った。そばの説明文には、もともとはいわき市泉町の、廃仏毀釈で今はない威徳院という寺に納められていたと書かれていた▼地元泉町の郷土資料にもこのことが記述されているが、詳細はわからない。どういう経緯で妖怪に詳しい民俗学者の湯本氏の手に渡り、遠い地の博物館に移ったのだろうか。いわきにないのは残念だが、貴重な木像の散逸を防ぎ、きちんと保管してくれたことに感謝せねばなるまい。

『いわき民報』「片隅抄」 2022年6月11日

――と、つづられていました。こういう一般の文章からも、いかに創作物のはなしをしてるダケの番組であるのに、寄り掛かる先、それを用いて語る場所では伝承の要素を勝手につける、あるいは伝承の要素を伴ってないと《妖怪》であるイメージが保てない、価値を据えることが出来ないような価値観や、《妖怪》のそれぞれのイメージのズレが「作り手」や「受け手」ではなく、むしろ情報の「送り手」にわだかまってるのではないか、という部分が垣間見えて来るような気がします。


現在からみてホンの数十年前は、本番組でいえば、水木しげるのパートがそれに当たるのかも知れませんが、そこにも直前や直後への接触点は無限にあるわけですから、そこをいくらでも深堀りして今後もたのしい番組をつくることとは可能ではあるでしょう。
妖怪が出て来る番組」ではなく、あくまで「歴史教養番組」として視聴していたわけである。
片隅抄」のこの文では「泉町の郷土資料にもこのことが記述されているが、詳細はわからない。」と記事に書かれてるが、この郷土資料というものがいったい何を指してるのかはよくワカラナイ。

おしりに



「基本的に一般の動向としては《妖怪について》の深く知ろうとする興味関心自体は非常にうすい」――といった意味合いのことばが、こぐろうさんからしばしば寄せられる慨嘆のなかにあります。

たしかに、日本人は《妖怪》という存在について、親炙したり、玩弄したり、ときには適度に畏怖したりすること、つまり付き合い方には長けてるのかも知れませんが、それは世間的に当てはめられてる型のなかで相手が見せてる顔のいち部分と触れ合ってる――というまでの間柄なのかも知れません。

歴史を遡って、どんなこしかたを過ごして来たのか、変遷をたどって来たのか、いろんな性質に変わっていったのか、といった踏み込んだ点には大して関心ごとが無い――というのが実際なのかも知れません。

でも、日頃から《妖怪》の大好きな面々は、そのへんをふつうに眺めてたのしんでいますし、その結果として季節ごと、月ごと、に顔なじみになる《妖怪》たちの数を、着実に豊かにしてます。

別段、なにもむずかしいことをしてるわけでもないですし、それを知ることが損になるわけではなく、むしろ色んな幅や分野ごとの違いが《妖怪》とひとくくりで一般にイメージされる中にあるのを知ることが、豊かさに直結するわけです。

本番組でも、伝承の《妖怪》は絵が描かれて伝わってるわけでは無いという部分が間接的(「妖怪名彙」に絵がついてない――という程度)に示されてたましたが、ここをもうチョット明確に位置づけることが出来ると、やっと、本番組の主な材料となってた画像しかない《妖怪》たちの存在感がキチンと知れるわけでもあります。

このあたりが、イメージのズレから曖昧に流れてしまいがちな部分を、いかにおもしろく提供出来るかが、これからもなるべくたくさんの《妖怪》との親しみ方を養う上で、ますます重要な点になってゆくであろうことは、ひろくひろく伝えたいことであります。








日本・日本人が特別に《妖怪》が大好きだということも、よそと比較して立証が可能なのかどうかという問題は、むしろ番組ではひとつも解答されてなかったように思うし、設問として正しいのだろうかという疑問のほうが先に立つ部分でもある。
たとえば、あまびえは、スタート段階で「熊本に出現した妖怪、疫病退散のために絵を描けと予言した」という伝承があるというイメージをインプットされたひとたち(特に商業利用者)は、伝承があってそれを絵にしたものが伝わってる――というイメージに完全合致が叶うので、もうその先の情報を別段、読みたいとも知りたいとも別に深く思わないわけである。そのような安易な積み重ねを日本の《妖怪》の一部(特画像要素のみしか持たないものたち)がして特別大きく成長してしまった点は事実であろう。