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てっそ

鳥山石燕百石乳|画図百鬼夜行

てっそ

鉄鼠

「てっそ」は、呼び名の他に「頼豪の霊 鼠と化と 世にしる所也」という填詞[かきいれ]が絵に添えられています。

まえへつぎへ

■比叡山の経典をずたぼろにしろ

石燕は、三井寺の頼豪[らいごう]阿闍梨の霊が畜趣[ちくしゅ]に堕ちて化したとされる大きな鼠と、それに率いられていたという八万四千匹の鼠の大群たちを「てっそ」という題で描いています。

ひときわ大きくて袈裟をつけている鼠の妖怪が頼豪だと見られます。まわりの鼠たちも経典をばりばりと喰い荒していて、自分たちに圧力を掛けて来ていた延暦寺に対して彼らが発動させていた「うらみ」の行動が描写されています。

■頼豪阿闍梨の祈祷

頼豪のはなしは、『平家物語』(巻3)『源平盛衰記』(巻10)や『太平記』(巻15)にあるもので、広く知られていました。

頼豪は皇子さま誕生のための祈祷をおこなっており、そのご褒美として戒壇[かいだん]の建立許可がいただける運びになっていたのですが、延暦寺からの圧力で沙汰止みにされてしまいます。

そのあつかいを「口惜しき事」と深く恨んだ頼豪は、持仏堂に篭ったまま食を断ってそのまま憤死し、その大悪心にまみれた霊は皇子さまを病死させ、鼠のすがたになって比叡山に現われ、仏像や経巻を喰い荒したと語られます。

特に『太平記』(巻15)では「鉄の牙 石の身なる八万四千の鼠と成て」とあって、「鉄鼠」という形容はこのような鼠たちの持つ特徴からつけられて来た呼び名だと見られます。

林羅山『本朝神社考』の「鼠秀倉」の項に「豪が霊化して鉄鼠となりて叡山に登り仏像経論を咬破す」、また『本朝語園』(巻9)の「鼠秀倉」の項にも「その霊魂八万四千の鉄鼠となりて」とあったりするように「鉄鼠」という形容が用いられ、早い段階から版本にも存在していたことが知れます。

▼鉄鼠
「てっそ」は、頼豪阿闍梨のことを描いたもので、見ひらきで対になっている「くろづか」とはお芝居や物語でよく知られた存在同士の組み合わせになっています。

また、どちらも阿闍梨が物語に関わって来るという点でも一対になっています。頼豪は、「頼豪阿闍梨」と称されることが多いですが『太平記』では「頼豪僧都」という呼ばれ方で登場しています。

頼豪の霊の化した鼠たちを「鉄鼠」と称することはしばしばあったようで、『近江国輿地志略』(巻20)でも「叡山に数千の鉄鼠有て仏像諸経を食破る」とあったり、平賀源内『そしり草』の「頼豪」の文でも「一念鉄鼠となりて」と出て来ています。


up.2026.06.16

■鉄鼠…本朝神社考、本朝語園




▼頼豪…『平家物語』(巻3)では「三井寺の有験の僧」であるとして登場しており、効験のあらたかな僧侶として知られていたとされているぞ
▼畜趣…畜生道のことぢゃ
▼大きな鼠…『平家物語』(延慶本)には「今にも山には大なるねがみをば頼豪ねずみとぞ申すなる」と ▼皇子さま…敦文親王。敦文親王のまくらもとに頼豪阿闍梨は錫杖を持ったあやしげな白髪の老僧のすがたで現われたと『平家物語』では書かれているのぢゃ。◆『平家物語』(巻3)曰「白髪なる老僧の錫杖を以て常は皇子の御枕にたたずむと人の夢にも見え 現[うつつ]にも又立ちけり 怖[おそろ]しなども愚[おろか]なり」
▼鼠のすがたになって…『源平盛衰記』(巻10)では、頼豪阿闍梨が「ねずみ」になったこととの対比として物部守屋が「けらつつき」になったことを挿話として組み込んでいるぞ。これは石燕が「てらつつき」を描いていることとも繋がる情報経路ぢゃ
▼鼠秀倉…ねずみのほくら、ねずみのほこら。頼豪の霊が化した鼠たちを鎮めるためにつくられた「ほこら」なのぢゃ
▼本朝語園…『本朝語園』の「鉄鼠」の字には、右に「てつそ」という音読のよみがな、左に「くろがねのねずみ」と訓読のよみがながついています。
▼近江国輿地志略…同書は『本朝神社考』の文章を引いてもいて、「鉄鼠」という名称や形容がそれに依拠していることが知れるぞ