もどる

妖怪要説 鬼質学紺珠

鬼質時代 足利代(Ashikaga era)

大いに進化が進んだ徳川代への様々なきざしを涵養した鬼質時代区分であり、日本の妖界のその後の進化の芯を、完全にかたちづくったと見て良い。

しかし、そこで腕や足を活動させていたのは魔物妖精のような存在が主であり、言い伝え、あるいは物語や演劇がその主な活躍の舞台であった。絵画の方面に画像成分を独自に高めた存在は、まだ登場する種類も少なかった。ここを芯としてさらに巨大化をしてゆくには、それらの情報や手法がより広く人々の間に普及するのを俟たねばならなかった。その拡大にちからを添えたのは大名や商家などの勢力の増加であり、また宗教者や職人たちなどの活躍による書籍や絵本の普及であった。

この時代から先になると、確認できる遺物が増えることもあり、より正確に「この時期からこのような妖怪が見られる」といったことが考えやすくなる。これ以前の時代はあくまでも同時代ではなく、後の時代から「この時代にあったとされる」情報からの類推が多いためである。

▼貴族や寺社に関わるものしか残存遺物に乏しいことが、足利代以前の妖界の内容を広く知る手がかりが少ない原因となっている。逆にいえばこの時代区分以後はそれらの絶対数が非常に増えるということでもある。

軍談紀(ぐんだんき) Gundan period

『太平記』(14c)などの軍記物語が多くしるされた頃。ここから分かれ、戯文化をさせた野菜と魚が戦う『精進魚類物語』(14c?)や鳥たちが争う『鴉鷺合戦物語』(15c?)などもつくられている。

鎌倉代以後に寺社を中心に発達をすすめた縁起物語などに見られる物語が、軍談の挿話などとしてかなり添加されていった。この傾向は徳川代も通じて増幅・再生産されていった。

猿楽紀(さるがくき) Sarugaku period

説教、猿楽・能などが発達した頃。説教や能には幽霊がわりあい多く登場しており、画像方面(戯曲)でのあつかわれ方の形式が後の時代に濃く伝えられる状態を保ちつつかたちづくられた。

軍談紀と呼応して、花たちが戦う『花軍』、果物たちが争う『菓争』などの曲もつくられている。

院本紀(徳川代)にひろく定着していったぬえ土蜘蛛たちも、猿楽紀での進化を直接の土台としている。

おとぎ紀(おとぎき) Otogi period

おとぎ世、はなし世の2つに細分が出来る。ここでの発達も徳川代にそのまま連結しており、猿楽紀(Sarugaku period)と同様に以後拡大してゆく諸分野への画像成分には多大な影響を与えている。

おとぎ紀の作品は伝承・画像の両立が明確なものが多い。いっぽうで、ここまでの民間での伝承の様相がどのようなものであったかの正確な実態が把握できかねる事物が多くあり、どこまでが何も変哲のない一般的な知識や伝承で、どこから先が潤色や物語としての誇張や虚構と捉えられていた部分なのかの判別はやや難しい点も含んでいる。

▼漢籍や仏典からの知識などがだいぶ応用された潤色や換骨奪胎もこの時期から豊富にみられる。

●おとぎ世(おとぎせい) Otogian

絵巻物や奈良絵本など、お伽草子に類するもの。神、仏、鬼、天狗、動物、植物など多くのものが揃った頃。鬼や天狗の姿がほぼ固まった。 大江山の鬼退治を描いた『大江山絵詞』(14c)をはじめ、 付喪神百鬼夜行の絵巻物もこのあたりにその萌芽がみられ、前絵巻紀(Lower Emaki period)と後絵巻紀(Upper Emaki period)のあいだに中絵巻紀を設けるとした場合、このあたりが適当な時代にあたる。

●はなし世(はなしせい) Hanasian

昔話に留まらず、その時代の笑い話やふしぎな話を、広く語ったり集めたりした頃。談義などはここに含まれるか。

著聞紀(Chomon period)との連続性は強い。笑い話などが広く書き残されはじめるのはこのあたりからであり、そのなかでの妖怪たちをみてゆくことが出来るようになる。

page ver.1.2 2018.7.08 妖怪仝友会