網剪
「あみきり」は、呼び名のみが絵に添えられています。
まえへ|つぎへ石燕は、簾[すだれ]と切篭灯篭[きりことうろう]を下げた家屋の縁側[えんがわ]を飛ぶ「あみきり」を描いています。「あみきり」の両方の手は、物をチョキチョキ切れる剪[はさみ]のようなデザインになっています。
縁側には括枕[くくりまくら]と団扇[うちわ]が投げ出されており、縁側につづく座敷で誰かが涼みながら午睡をしていた様子が想像しやすいような絵づくりになっています。
背景につけられているねずみ色の版は、上のほうに向けてぼかしになっているようですが、後摺りになるとやや粗雑になり、地つぶしのようにただ塗りつぶすような摺り方になってしまうようです。
「あみきり」という呼び名のついている妖怪が描かれているわけですが、画面のなかには当の「網」は明確に存在していません。
網そのものは「留守」な表現にしているのか、下げてある葦竹を編んである簾[すだれ]を「編み」としているのか、このあたりは「あみきり」という妖怪が伝承として存在していることが確認出来ないこともあって、もともと「あみ」をどれだけ意識していたのかも含め、どうもハッキリとした判断のつかない箇所ではあります。
画面のなかに目立ってぶら下げてある切篭灯篭は、呼び名の「きりこ」や、長く垂らす房や紙などの細長さからも、「切り」との掛詞を利かせた道具立てでしょうから、コチラも「あみ」とは繋がりづらそうです。
狩野家で描かれて来た妖怪の絵巻物には、現時点では「あみきり」の描かれた作品は未確認です。いっぽう、くちばしのある顔つきと、特徴ある両手は狩野系統の絵巻物に先行して描かれている「かみきり」[髪切]との共通部分が濃くあります。
しかし、剪[はさみ]の刃元がまるくない(あみきり)/まるい(かみきり)、長い髪が生えている(あみきり)/ない(かみきり)、足がなく鱗類虫類のように胴がにょろにょろ長い(あみきり)/人間のような胴と足があり下帯をしめている(かみきり)――と、両者には細部のデザインの違いがかなり多くあります。
「かみきり」をリデザインする過程で石燕が「あみきり」に転じさせたのか、それり以前から「あみきり」に変えていた先輩表現があったのかは、まだ確認の取れません。ですが、一般的には髷[まげ]を突然にバッサリ切ってしまう「かみきり」のほうが良く知られていた妖怪のうわさであったことは、版本や随筆に記載の多く存在する点からもわかる事実です。
▼網剪
同じ見ひらきにいる「かまいたち」とは、「何かを切る同士」だと言えそうです。
山岡元隣『百物語評判』(1686)には、「かみきり」に関する事項は書かれていないので、狩野系統の絵巻物にある「かみきり」からのリデザインだと見られます。また、「かみきり」とは顔と両手以外のデザインはそこまで密着しては重なっていないので、「かみきり」を基本に置きながらも、あらたに別個のデザインとして描き出した画像妖怪であるとは確実に言えそうです。
up.2026.05.18
■網剪
▼簾…ななめに入っている模様は、竹の節の位置をうまく並べてつくるもので、職人たちには「のたれ」(湾)と称されておるぞ
▼切篭灯篭…盂蘭盆の時季に飾られるもの、ちぢめて「切篭」「切子」とも。角切りをしている六角形のような形状からの呼び名だぞ。房や細長く切った紙などを長く垂れ下げた飾りがついているのも特徴ぢゃ。『和漢三才図会』(巻4・時候類)の「盂蘭盆」の絵にも切篭灯篭は描かれてるぞ。牡丹を多く飾りつければ「ほねおんな」の持つ「牡丹灯篭」になるのぢゃ
▼ねずみ色の版…構造上、いっしょに摺られる丁の絵は「きつねび」で、そちらも後摺りだとぼかしが省略されて、ただの地つぶしになるぞ
▼留守…画題となっている人物や存在そのものを画面には描かず、関連する小道具や大道具のみで、その存在を利かせる技ぢゃ。「梵鐘」あるいは「鐘供養の立て札」のみを「桜の木」と共に描いて「清姫」だとするようなことだが、普通は「主役」の側を不在にするのであって、脇を描かぬのは留守だとはあまり言わぬものぢゃ
▼下帯…ふんどしのことぢゃ
▼良く知られていた…「かみきり」の記事と同量ぐらいの「あみきり」の記事がありあれておればわかりやすいのぢゃが、「あみきり」な記録は版本や随筆に見当たらぬぞ