狐火・燐火
「きつねび」は、呼び名のみが絵に添えられています。
まえへ|つぎへ石燕は、秋の草花の生えた野山のなかで骨をくわえて「きつねび」をともしている狐[きつね]たちの群れを描いています。
うしろに描かれている遠見の山にも、「きつねび」をともしている狐たちがまめつぶのような小さな影絵で描き込まれていて、数ダケで言えばかなりの狐が出演している絵です。
背景につけられているねずみ色の版は、遠見の山の上のほうはぼかしになっているようですが、後摺りになるとやや粗雑になり、最初から白く彫りぬいている雲の箇所以外は、地つぶしのようにただ塗りつぶすような摺り方になってしまうようです。
狐たちがくわえている「骨」は、「きつねび」の光の材料だと考えられていたもので、拾って来た牛[うし]や馬[うま]の骨だと言われていることが多いので、石燕が描き込んでいるのも、そういう「骨」だと見られます。
何かを利用して怪光をともしている、という情報がつく例としては狐たちの「骨」は特徴的なものであったので、石燕がそれを選択して描いているということも、よくわかります。
『書言字考節用集』(巻2・乾坤門下)では「燐火」が「きつねび」の用字として掲載されており、「おにび」(鬼火)という訓みも同字にあてています。『和漢三才図会』(巻58・火類)でも、「燐」(おにび)の項のなかのいろいろな火についてを述べている箇所に「きつねび」は並べられています。
『秉燭或問珍』(1710)の「狐火の説」は、委しく「きつねび」についてを述べていて、「狐火は態[わざと]燃[もや]さんと云ふ心ありて燃[もへ] 古塚は何の心もなく自然に燃[もゆ]る也 」など、「はかのひ」のような普通の陰火と「きつねび」の違いを並べてもいます。
「きつねび」をともしている狐たちの絵ということで、腹つづみを打っている「たぬき」と同様に、「人間のすがたに化ける」以外の化け術を使っている場面を画題に採っていることが知れます。
狩野家で描かれて来た妖怪絵巻物では「やこ」(野狐)という呼び名で、水辺で「人間のすがたに化ける」すがたの狐が描かれていることが多く、「きつねび」は主題になっていませんから、これもヤハリ石燕が、絵巻物とは異なる描き方や構図を、自身で意識的につくり上げて絵に仕上げていることがわかります。
石燕が絵に描いてある野山の真ん中には、右から左に小さな水の流れも描かれており、狐が化ける際に「水鏡に顔を映す」という絵の型に使われる定式な背景も、画面に入れ込んでいると言えるでしょう。
▼狐火
「きつねび」は、狐たちがともしている、あやしい陰火・怪光として広く知られ、各地で語られて来たものです。光の色は青であるとも、赤であるとも語られていて、ハッキリはしません。
山岡元隣『百物語評判』(1686)は、ほかにも「かわうそ」(巻4)、「ねこまた」(巻3)「たぬき」(巻2)「いぬがみ」(巻1)「かまいたち」(巻1)なども見られ、『画図百鬼夜行』の最初のほうで描かれているものたちは割りかし、ご近所ではあります。
『百物語評判』(巻2)では、蛍[ほたる]の火・狐[きつね]の火の比較が述べられていて、蛍は自分の意志で完全に光を消すということは出来ないけれども、狐は「きつねび」を自由に出したり消したり出来る――といった内容を元隣は説いています。
「きつねび」は上巻の最後の半丁にあたり、見ひらきでの対応はありません。
up.2026.05.18
■狐火…和漢三才図会、百物語評判
■燐火…書言字考節用集
▼遠見の山にも…紀伊国亭むじなの指摘「遠くの山にいる狐火かわいい」(2025年5月11日のつぶやき)でみんなが改めて知ったものぢゃ
▼ねずみ色の版…構造上、いっしょに摺られる丁の絵は「あみきり」で、そちらも後摺りだとぼかしが省略されて、ただの地つぶしになるぞ
▼牛や馬の骨…◆『百物語評判』(巻2)曰「世俗には牛馬のほねをくはへて 口にて火をともせりといへども もろこしの書[ふみ]には尾をうちて火を出し やんごとなき珠[たま]を持ちたる獣[けだもの]としるし侍る」
▼『和漢三才図会』では「狐」(巻38・獣類)の項のなかでも、狐が尾を撃って火を出すという『百物語評判』と同内容が、『抱朴子』や『酉陽雑俎』にある内容を引いている箇所で説かれています。
▼いろいろな火…◆『和漢三才図会』(巻58・火類)曰「蛍火常也 狐火亦不稀」
▼『秉燭或問珍』は『天地或問珍』の題名でも知られておるぞ
▼化け術…「かわうそ」の絵で「人間のすがたに化ける」という化け術を絵に描いてしまったので、「きつね」にも「たぬき」にもそれ以外のことをさせたというのが、わかりやすい見方ぢゃ
▼蛍火…「狐火」の対として「蛍火」が用いられることは、多かったぞ。◆北村季吟『山の井』(「蛍」)曰「日吉の山にとぶを猿の尻のあかさにくらべ いなり山にちろめくを狐火かとあやしみ」