犬神・狗神・犬蠱
白児
「いぬがみ・しらちご」は、呼び名のみが絵に添えられています。2体がワンセットでひとつの画面に描かれている例は、『画図百鬼夜行』のなかでは、この1枚のみです。
まえへ|つぎへ狩野家で描かれて来た妖怪絵巻物にも、「いぬがみ」は描かれていますが、石燕の「いぬがみ」とは異なる衣裳を着ています。普通の絵巻物では袈裟をまとった僧侶の衣裳、石燕の絵では烏帽子[えぼし]をかぶり、御幣[ごへい]をたずさえた狩衣すがたで、どちらかといえば神官や博士に近寄ったすがたです。
しかし、顔が「犬」のすがたをしていて、あぐらをかいて坐っているという点では、衣裳以外のデザインが極端に異なっているわけではなく、ほぼ簡単なリデザインの範囲内だとも言えます。
狩野系統の絵巻物での「いぬがみ」にも背景などはありませんが、石燕の絵もこの絵では急に道具立てが簡素になって、波の模様の描かれた衝立[ついたて]がひとつ加えられているのみです。
袴[はかま]から出ている「いぬがみ」の脚が「はだし」なのがわかる描写も含めて、前の絵までつづいていた「山」の場面ではない――ということが伝わりやすいのかも知れませんが、柱や壁もなど屋台組みを示す線もなく、く大道具は本当に衝立ひとつしか画面にはないので、思い切りのいい場面転換ではあります。
室内などであっても極端に簡素な大道具の配置の仕方で表現する描き方は、石燕は『絵事比肩』(1778)の「玉造」(衣通姫)や「孔明」をはじめとした絵でも用いており、このような省略法も、よくある描き方です。
石燕は「いぬがみ」を上座[かみざ]に坐らせて、それと向かい合わせの下座[しもざ]に「しらちご」という妖怪を描いていますが、コチラはふつうの狩野系統の絵巻物の範囲内では登場していない画像妖怪です。
現段階では、石燕が先輩表現からリデザインした妖怪なのか、そうではないのかハッキリしません。
石燕の絵では、稚児の髪型の子供のような妖怪として描かれており、手もとにひらいて置いた冊子に書かれた文字らしきものを字突[じつき]で差しながら読んでいる様子が描かれています。
江島其磧『御伽名代紙衣』(1738)にも「狗神つかひ同然に成て」(巻2・第1)などとあるように、「いぬがみ」は蠱術(犬神・犬蠱)としての伝承が存在しており、物語や芝居でもしばしば使われていました。
いっぽう、近江国の犬上神社の縁起物語として、「小白丸」[こしろまる]という忠犬が主人を大蛇から救って死に、その霊を「いぬがみ」としてまつった――というはなしも『本朝怪談故事』巻4(1716)などで紹介されています。鳥居清経『近江国犬神物語』(1770)は、ソチラの犬の「名前」を素材に組み込んで、「小白丸」[こじろまる]という犬の首を箱に入れて術をつかう「犬神つかい」の太郎叉[たろうまた]と、その箱を奪い去って都での大出世をたくらむ独沽院[どっこいん]という行者とを、あたらしい登場人物として設定した物語になっています。
▼犬神
同じ見ひらきにいる「ねこまた」とは、犬と猫という「へんげ動物同士」の繋がりで、対になっていると考えられます。山岡元隣『百物語評判』(1686)では巻1に「いぬがみ」のはなしが載っており、「ねこまた」(巻3)「きつね」(巻2)「たぬき」(巻2)「かまいたち」(巻1)「かわうそ」(巻4)なども見られ、『画図百鬼夜行』の最初のほうで描かれているものたちは割りかし、ご近所ではあります。
山岡元隣『百物語評判』(1686)には「犬神」(巻1)のはなしが載っており、「四国に犬神といふ物あり」と書かれており「覡[かんなぎ]山伏[やまぶし]など呼びて祓[はらへ]させる」とも描写しています。元隣は「もろこしの蠱毒[こどく]の類なり」と解説していますが、「しらちご」に繋がるような内容は特にコチラにはないようです。
up.2026.05.16
■犬神…百物語評判、近江国犬神物語、遠碧軒記
■狗神…御伽名代紙衣
■犬蠱…紫芝園漫筆
■白児…(不明)
▼袈裟…袈裟をつけた僧侶すがたの妖怪は、先行して土佐家で描かれて来た『百鬼夜行絵巻』にも何体もおるぞ
▼博士…陰陽師などを「はかせ」と呼ぶのぢゃ
▼絵巻物…狩野系統の絵巻物では「ろくろくび」と重なり気味に配置されることが多いぞ
▼しらちご…「大坊主」と「白ちご」という名で、僧侶のすがたの大きな獣と稚児のすがたの小さい白い獣の妖怪を描いているのは、異なる系統の絵巻物ぢゃ。まだ石燕との前後関係はわからぬぞ
▼冊子…「しらちご」の読んでいる冊子の文字は判読出来るかたちでは描写されておらず、どういうことを勉強しているのか、音読して唱えているのかは、わからぬぞ。これは「大坊主・白ちご」が描かれている別系統の絵巻物でも同様ぢゃ
▼字突…むかしの勉強道具のひとつで、書物を繙読するとき、自分の読んでいる字の位置を差すためにつかう箸のようなかたちの棒ぢゃ
▼犬神…◆黒川道祐『遠碧軒記』曰「田舎によくある犬神と云事は其人先代に犬を生ながら土中に埋て呪を誦してをけば其人子孫まで人をにくきと思ふと その犬の念その人につき煩ふなり」
▼狗神…◆長岡乗薫『通俗仏教百科全書』2(135「念仏の神おろし」)曰「世に狗神の法といふ者あるよし」
▼犬蠱…太宰春台◆『紫芝園漫筆』(巻5)曰「土佐州有犬蠱。雲州有狐蠱」
▼近江国…だいぶ年を経て売り出された歌川芳員『百種怪談妖物双六』(1858)に「江州の狗神白児」という絵があるが、ここでの「江州」(近江国)というのも忠犬のほうの犬上神社を「音」として採ってみた舌ざわりの良い名乗り文句に過ぎぬと見えて中身はないのぢゃ
▼近江国犬神物語…本筋の設定は良く知られた「御位争い」の世界で、維喬親王と惟仁親王が皇位をめぐってたたかうのぢゃ
▼箱…太郎又は箱に犬の首を入れてまじないに用いて村々の者の病気を治してあがめられておるが、このように「箱」のなかに「いぬがみ」を入れてあるという描かれ方は、物語や芝居で多く用いられた形式ぢゃ