山姥・山婆・山祖母・山姨・山媼・山姑・野婆・野女
「やまうば」は、呼び名のみが絵に添えられています。
まえへ|つぎへ狩野家で描かれて来た妖怪絵巻物にも、「やまうば」は描かれており、石燕の「やまうば」も、そのデザインを用いて描かれています。葉っぱで出来た葉簔[はみの]を着て、大きな木の枝をそのまま使ったような杖を持ち、足を投げ出し気味に地面に坐った様子も、ほぼ重なっています。
狩野系統の絵巻物でも「山うば」「山姥」といった用字が安定して用いられているようです。
絵巻物ではデザインのみで背景が添えられていない例がほとんどですが、山の木や巌が景観として添えられることも稀にあります。石燕が絵に描き加えている大道具も、巌や遠見の山など、「山中の景観」であるという意図は先輩表現とほぼ重なりますが、石燕の場合は画面に大きく雲を描いているのが特徴です。
曲舞や能で演じられた『山姥』という曲が、基本的にはひとびとのあいだでの「やまうば・やまんば」の画像要素の基本であることは、うたがいのないところです。白い髪に、おそろしげな顔――このような特徴は、能の詞章にも登場します。
また、この曲の途中に入る間狂言[あいきょうげん]では、あとに出て来る「妄執の雲の塵[ちり]積って山姥となれる」という詞章の存在を踏まえて、山姥はどういうものが年を経て生まれるものなのダ――という当意即妙の軽口が登場しており、鰐口・山門・団栗・茸・野老をはじめ、流派によっていろいろなものを「山姥になるもの」にこじつけて遊んでいました。このあたりの内容は後に『画図百器徒然袋』(1784)の「ちりづかかいおう」に活用されます。
石燕の「やまうば」の絵には、大きく雲が描かれていますが、これは『山姥』の曲に出て来る「妄執の雲の塵」や「天雲かかる千丈の峯」を連想させやすい大道具だとも言えるでしょう。
石燕の「やまんば」の持つ大きな木の杖には、2つの栗[くり]の実が、枝と葉っぱと毬[いが]のついたまま結わえつけられています。山の情景を深めるための手持ち小道具かと見られます。
石燕の肉筆絵巻(ボストン美術館)でも、まったくおなじ栗の実を2つ結わえつけてある杖を「やまうば」は持っており、デザインは共通しています。肉筆絵巻では腰のうしろに酒か水を入れた瓢箪[ひょうたん]も携帯しているのが確認出来ます。
石燕の弟子でもある喜多川歌麿も、晩年に山姥・金太郎の組み合わせの絵をたくさん描いていますが栗の実と「やまんば」と組み合わせは複数描いています。、金太郎と山姥を描いた錦絵では、手に枝と毬つきの栗の実2つを持たせたり、浄瑠璃の人形を描いた組物『音曲恋の操』(19c)の「山姥・金太郎」では、金太郎(人形)の手を引いて山道を行く山姥(人形)に、たくさんの枝と毬つきの栗の実を結わえつけた長い木の枝の杖を肩にかつがせたりしています。
▼山姥
同じ見ひらきにいる「やまわらわ」と「やまうば」、どちらともそれぞれ「山にいる同士」で連結もうまく繋がってゆきますし、「やまわらわ」の「中剃」な髪型を金太郎とみれば、古浄瑠璃の時代から人々に親しまれて来た「山姥と金太郎の親子」を妖怪素材を使って「見立て」配列したというかたちにもたのしめます。
能『山姥』でも「一洞[いっとう]空しき谷の声。梢[こずえ]に響く山彦の」という詞章のなかで「やまびこ」が出て来ますし、節用集などでも、「やま」ではじまるもの同士で「やまうば」と並べて「やまおとこ」を置く組み合わせが多く確認出来ます。
山岡元隣『百物語評判』(1686)には「山姥」(巻3)のはなしが載っており、「山姥は人をとる」とか「山姥が人の女房に化けた物語がある」とかいった当時の一般的な認識のされ方が提示されています。元隣自身は「山姥」は「深山幽谷の鬼魅の精」であると、いつもの自説(水が魚を生み、林が鳥を生む)の流れに沿った「化生」の仕方の説を述べてもいます。
寺島良安『和漢三才図会』では「野女」(巻40・怪類)や「山姑」(同)を、日本でいうところの「やまうば」(山媼)たちのようなものだろうかと結びつけています。同書では『本草綱目』にある説明を引いて「山丈」と「山姑」を雄と雌の間柄だと説明してもいますし、「やまわらわ/やまうば」の見ひらきは「山丈/山姑」を意識しているとも考えられそうです。
up.2026.05.15
■山姥…(能)山姥、百物語評判
■山婆…(能)山姥
■山祖母…(能)山姥
■山姨…(能)山姥
■山媼…和漢三才図会
■山姑…書言字考節用集
■野婆…書言字考節用集
■野女…和漢三才図会
▼狩野系統…佐脇嵩之『百怪図巻』(1737)では山の木や巌が背景としているぞ
▼葉簔…
▼能『山姥』…この詞章をつくったのは、一休禅師ぢゃと昔はひろく語られておったぞ。◆山岡元隣『百物語評判』(巻3)「此曲舞を一休和尚作り給へる時 仏あれば衆生あり 衆生あれば山姥もありと作りて」
▼白い髪に、おそろしげな顔…◆『山姥』曰「恐ろしながらむば玉の。闇[くら]まぎれより現れ出づる。姿言葉は人なれども。髪にはおどろの雪を戴き。眼[まなこ]の光は星の如し。さて面[おもて]の色は。さ丹塗[にぬり]の。軒の瓦の鬼の形を」
▼妄執の雲の塵…◆『山姥』曰「廻り廻りて。輪廻を離れぬ。妄執の雲の。塵[ちり]積って。山姥となれる。鬼女が有様。見るや見るやと」
▼塵積って…能の詞章も「塵つもって山となる」というよく知られた俚言を土台にした掛詞として「塵つもって山姥となる」ということばを繰り出しておるぞ。
▼いろいろなものを…◆寺島澗竜子『山姥諷抄』曰「山姥の間語は。外の謡の間語とは事替りて。脇師より山姥の正体を尋るに。狂言師の作意にて時に臨みて正体をいろいろに云事定法なきよし」
▼栗の実…狩野系統の絵巻物の「やまうば」の絵には添えられていることはほとんどないぞ
▼一般的な認識…◆山岡元隣『百物語評判』(巻3)曰「世に山姥といふ物ありて人をとるよし又は人の女房にばけたる物語なども候ふ」
▼深山幽谷…山岡元隣は深山幽谷などの「純陰」の気から、妖怪たちは生じると理論づけておるぞ
▼鬼魅の精…◆山岡元隣『百物語評判』(巻3)曰「山姥といふは深山幽谷の鬼魅の精たるべし 此世界あれば此人あり 此水あれば此魚生ず 其気のあつまる所にては鬼魅の精霊あるまじきにあらず」