塵塚怪王
「ちりづかかいおう」には、『徒然草』と能『山姥』を活用した戯文が填詞[かきいれ]として添えられています。
まえへ|つぎへ石燕は、綺麗な模様の大きな唐櫃[からびつ]を破って、なかからたくさんの妖怪たちを繰り出している大きな妖怪として「ちりづかかいおう」を描いています。頭のうえには冠をかぶっており、「王」であることが堂々と示されています。
石燕は土佐系統の絵巻物の画像妖怪をリデザインして「ちりづかかいおう」をつくっており、『百鬼夜行絵巻』に描かれている唐櫃[からびつ]をこじあける赤くて大きな妖怪と、その唐櫃から飛び出して来た妖怪たちを「素材」に活用していることがわかります。
姿勢はほぼおなじものになっていますが、『百鬼夜行絵巻』での該当する妖怪は冠をつけておらず、また唐櫃も無地のものですから、キチンとリデザインがほどこされています。
唐櫃から繰り出されている小間物な仕出し妖怪たちも、『百鬼夜行絵巻』に描かれているものを大まかには下敷きにしているようですが、コチラもそれぞれリデザインが施されているようです。
石燕は『画図百器徒然袋』の序文に明示されているように、「夢」のなかで見た「ぼろぼろな古御所」で遭遇した妖怪たちを描いた――という設定で描いていますので、大道具は全体的にぼろぼろな造りで統一されています。
「ちりづかかいおう」の絵では、破れた御簾[みす]や、壊れた板、あっちこっちに生えてる草などでそれが表現されています。また、画面左下の隅の地面には硯[すずり]や筆のような物も散らばっていますが、これは『徒然草』の同文で「いやしげなるもの」とされている、硯ひとつに対してごちゃごちゃたくさんありすぎる筆――をキチンとごみとして捨てているくすぐりのようです。
高階楊順『徒然草句解』(1661)の註(巻3・七十四)には「塵芥はけがれたる物なれど塵塚は有べき処なればいやしからぬと也」とあります。
高田宗賢『徒然草大全』(1677)の註(巻上5・七十二)には「塵塚のちりとはみぐるしき物の第一なれども人の目にかからぬ所にをく物なればみぐるしからぬと也 又一義には繁昌の所ならでは塵塚にちりなき物なればみぐるしからぬともいへり」とあります。
このように、数が多すぎてごちゃごちゃ散らかっているものは「いやしげで、みぐるしいもの」だけれども、ごみを集めるという役目を果たすための必要なものであるから「塵塚は、みぐるしくない」と示されているのが題材となっている『徒然草』の文章や、その註でのそもそもの「塵塚」です。
そうすると、妖怪たちをうじゃうじゃ唐櫃[からびつ]から散らかしている「ちりづかかいおう」はドチラになって来るのか、考えてみるとおもしろい部分です。
石燕が「ちりづかかいおう」にかぶせている冠は唐風のものですが、具体的にピッタリ該当するものとなると、皇帝や諸侯などがかぶる冠のかたちのなかには見あたらないようです。
▼塵塚怪王
「ふぐるまようひ」とは「文車のふみ/塵塚のちり」として対の存在になっています。「王/妃」を含む命名からも、最初から一対の存在として想定して描いたものであることはよくわかります。
▼塵塚
ごみをあつめて置く場所のこと。『徒然草』(72段)では数が多いと「いやしげなるもの」に対する「みぐるしからぬもの」として挙げられている「塵塚のちり」を、画像妖怪の呼び名の素材として石燕はまず持って来たようです。
▼山姥の長
能の『山姥』に出て来る「妄執の雲の塵[ちり]積って山姥となれる」という詞章と「塵塚のちり」を掛けて、獣たちにおける「麒麟」、鳥たちにおける「鳳凰」のように、塵塚怪王は「やまうば」の長かも知れないネ――と石燕はおどけてつづっています。
実際、『山姥』では間狂言[あいきょうげん]の場で鰐口・山門・団栗・茸・野老をはじめ、流派によっていろいろなものを「山姥になるもの」にこじつけた当意即妙の軽口が演じられていたので、そういうものであることを活用している戯文でもあります。
up.2026.05.19
■塵塚怪王
――石燕の手による画像妖怪
▼唐櫃…からびつ・かろうと。衣服や道具などを入れておくための木で出来た箱ぢゃ。唐櫃の足の部品の先端にある金具がかわいいぞ
▼ぼろぼろな造り…『画図百器徒然袋』での一貫した背景の統一設定ぢゃが、描かれている場面が戸外になってしまうと、明らかにぼろぼろな物そのものが大道具に出せぬので、全ての絵がそうであるわけではないぞ
▼御簾…破れておるが、木瓜[もっこう]の模様がある上品向けのものだぞ。奥に敷かれている畳も綺麗な縁[へり]の分厚いやつぢゃ
▼硯と筆…◆『徒然草』(72段)曰「硯に筆のおほき」◆『徒然草句解』(巻3)曰「ふで多く嗜[たしなみ]をけるは一向に書法に好著するかといやし」
▼ありすぎる筆…硯は1つぢゃが、筆は確かに2本、右下に捨てられてるぞ
▼塵塚…◆『徒然草』(72段)曰「多くてみぐるしからぬは文車の文 塵塚のちり」
▼いやしげなるもの…「筆」の他には、やたらと居室に多い調度品・持仏堂の仏像・庭の草木・家のなかの子供・長いあいさつの言葉・願文の作善などがあげられておるぞ
▼塵芥…ごみくず
▼繁昌の所…人の出入往来の多い賑やかな場所
▼冠…『唐土訓蒙図彙』(巻10)の冠の一覧にも重なるものはないぞ
▼妄執の雲の塵…◆『山姥』曰「廻り廻りて。輪廻を離れぬ。妄執の雲の。塵[ちり]積って。山姥となれる。鬼女が有様。見るや見るやと」
▼塵積って…能の詞章も「塵つもって山となる」というよく知られた俚言を土台にした掛詞として「塵つもって山姥となる」ということばを繰り出しておるぞ
▼おどけて…『山姥』の「妄執の塵がつもって山姥になる」の時点で既に掛詞なのぢゃから「山姥の長」というのは、さらに輪をかけたおどけ設定だぞ
▼いろいろなものを…◆寺島澗竜子『山姥諷抄』曰「山姥の間語は。外の謡の間語とは事替りて。脇師より山姥の正体を尋るに。狂言師の作意にて時に臨みて正体をいろいろに云事定法なきよし」
▼当意即妙…たとえば「木戸」が「山姥」になる――という間狂言でのやりとりのひとつは、「木戸」と「鬼女」の語呂あわせ・聞き違いに類するもので、そういう種のものも演じられてたわけぢゃ