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そうげんび

鳥山石燕百石乳|画図百鬼夜行

そうげんび

叢原火・宗源火・宗玄火

「そうげんび」は、呼び名のほかに「洛外西院の南 壬生寺のほとりにあり 俗これを朱雀の宗源火といふ」という填詞[かきいれ]が絵に添えられています。

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■僧侶の顔がある怪火

石燕は、小さな水の流れのある草むらのなかに「そうげんび」を描いています。火のなかに髭の生えたお坊さんの頭のみがあり、それが画面の左から右に向かって、宙を飛んでいます。

■くさむらの文字

音はおなじ「そうげん」ながら、「叢原火」と「宗源火」、本文の「見出し」と「填詞」とで異なる用字が見られますが、「そうげんび」のはなしが載っている『新御伽婢子』(巻3)では「野叢火」[やそうのひ]という題がつけられており、文末に添えてある小書きの但し書きには「叢原火」の字も確認出来ます。 という字を用いている要因はこの本を参照していることにあります。

ちなみに、同書のはなしは「野叢火」というのは題のみで、はなしのなかでは「宗玄火」という呼び名はハッキリ出て来ますし、挿絵も含め石燕と重なる内容や表現になっています。

■そうげん火の火の色は

『新御伽婢子』のなかでは「そうげんび」の火の色については「色青く光り」とあって、普通の火とは色の異なることを強調していますから、石燕もそのような色を思い描きながら描いたのかと想像することは可能です。

けれども、そこは色摺りではない版本の『画図百鬼夜行』ですので、実際に石燕の想像していた色彩設計はうかがえません。

▼叢原火・宗源火
「そうげんび」は、京都で語られていた怪火のひとつです。見ひらきでいっしょに描かれている「てん」とは、火に関係するもの同士で並んでいるようです。

『新御伽婢子』(巻3)では、この地の地蔵堂にいた「そうげん」というこころのきたない法師が、くらき道に踏み入った死後、火のすがたになって焦熱の苦しみを受け続けていると記されており、生前にお賽銭[さいせん]をかすめとったり、お灯明[とうみょう]の油を転売したりしたことを、生前の代表的な悪行としています。

このような「お堂や祠[ほこら]の油を盗んで売る」という悪行は「うばがび」のような霊火たちと繋がる、しばしば説話に語られがちなおはなしの要素です。


up.2026.06.11

■叢原火…新御伽婢子
■宗源火
■宗玄火…新御伽婢子




▼叢原…くさむらのこと
▼洛西…平安京の西の区域
▼俗…ひとびと
▼野叢…くさむらのこと
▼野叢火…このはなしも、西院の南にある壬生寺[じんしょうじ]のかたわらにある草深いところに出る霊火が「宗玄火」だとしているのぢゃ。◆『新御伽婢子』(巻3)曰「此寺の傍[かたはら]に草茂り松生たる野に ひとつの霊火有て闇夜になれば 必[かならず]其わたり飛行[ひぎゃう]す 其火よの常にかはり 色青く光り 或時は草にあり或時は空[くう]に 一所定ず 俗[ぞく] 宗玄火と呼[よぶ]」
▼但し書き…挿絵の次の丁にあり、「そうげん」というのは「宗玄」ではなく「叢原」なのではないかという人がいるが「一分の才覚かとおもはれて信用しがたし」とあり、あまりあてにはならないあて字として紹介しているのが「叢原火」というほうの用字なのぢゃ
▼挿絵…『新御伽婢子』の「そうげんび」の挿絵も、髭の生えたお坊さんの頭だけの火で描かれており、コチラは田んぼ道を人間を追いかけながら飛んでいるぞ
▼重なる…石燕の「俗 これを朱雀の宗源火といふ」の「俗」のつかいかたはそのまま『新御伽婢子』の「俗 宗玄火と呼」と重なるのぢゃ
▼焦熱の苦しみ…◆『新御伽婢子』(巻3)曰「焦熱の猛火[みゃうくわ]にこがれ 此悪業をつぐのふくるしさよ 一魄は此土にとどまり 昼夜のくるしみ身をやく也」