『画図百鬼夜行』の刊記です。
まえへ|目録へ作者名が記載されています。豊房[とよふさ]は石燕の本名(佐野豊房)です。「跋」に捺されている印には「鳥山氏」「石燕」とあります。
▼校合門人 子興・月沙
編集や木版の仕上の校正作業をした石燕の門人たちの名前が記載されています。
子興は、この後も『画図百器徒然袋』まで名前が見られ、いつも石燕の版本づくりに関わって補助をしていたということが、この刊記から知れます。
月沙は、『画図百鬼夜行』でのみ校合に参加していますが、誰かの前名だったりすることもあるので、本当にココのみの参加なのかはハッキリしません。
▼画図百鬼夜行 後編 近刻
『今昔画図続百鬼』(1779)の出版は『画図百鬼夜行』の段階で予告されていたようです。
『画図百鬼夜行』の各冊に用いられている「陰・陽・風」は「六気」のうちの半分を「上・中・下」を示す巻次として用いており、特に「風・雨」は対になっている存在として「六気」に出て来るものでもありますから、残りの「雨・晦・明」が『画図百鬼夜行』のときから想定されていたことはわかっています。
しかし、『今昔画図続百鬼』(1779)では それまでの『画図百鬼夜行』や『絵事比肩』(1778)では用いていなかった 長文の填詞[かきいれ]が入る構成に変更されており、『画図百鬼夜行』の段階での構成想定のまま製作されてはいないのではないか、とも言えそうです。
▼安永五 丙申 春
安永5年(1776)のこと。春はお正月を示します。
▼彫工 町田助右衛門
彫師の名前が記載されています。
助右衛門は、2年後の『絵事比肩』(1778)、3年後の『今昔画図続百鬼』、でも石燕の版木の彫りを担当しています
▼御書物所 出雲寺和泉掾
版元のひとつ。幕府に関するものも手掛ける「書物」を出版する老舗のひとつで、石燕の版本(絵手本・画譜)を手掛けています。
▼書林 遠州屋弥七
版元のひとつ。こちらも石燕の版本(絵手本・画譜)を手掛けています。
その後、江戸の前川六左衛門・前川弥兵衛から「後摺り」が出されています。さらにその後、伊勢の長野屋勘吉からも「後摺り」が出ていますが、コチラはだいぶ印刷が荒れていたり、ねずみ色の版のぼかしが省かれていたりもします。
up.2026.08.24
▼子興…子興はほぼ4作品にも関わっているし、『絵事比肩』などでも校合として名前を記載しているぞ
▼後摺り…版木が異なるものに替わるのは前川からの「後摺り」の途中からのようだぞ。伊勢の長野屋勘吉から出版されたものは「後摺り」のうちでも「後期」のものぢゃ