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画図百器徒然袋刊記

鳥山石燕百石乳|画図百器徒然袋

(刊記)

『画図百器徒然袋』の刊記です。

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▼七十三翁 鳥山石燕豊房画

作者名として、石燕は年齢も添記しています。

この段階が73歳ということからも、石燕がそれまで主として手掛けていた肉筆や句集への絵の提供ではなく、自主的な版本(絵手本・画譜)を出すようになったのが高齢になってからのものだと知れると思います。

▼校合門人 子興・燕示・石調
編集や木版の仕上の校正作業をした石燕の門人たちの名前が記載されています。

子興はいつも石燕の版本づくりに関わって補助をしていたということが、この刊記から知れます。

「燕示」は『今昔続画図百鬼』や『今昔百鬼拾遺』にいる「燕二」と同一人物かと見られます。

▼天明四 甲辰 春
天明4年(1784)のこと。春はお正月を示します。

▼彫工 井上新七
彫師の名前が記載されています。

新七は『今昔百鬼拾遺』から彫師として関わっています。

勝川春章による武者絵の画譜『絵本威武貴山』(1778)の初版の刊記には「画工 旭朗井 勝春章/彫工 井上進七」と名前が記載されており、精緻な画譜の彫刻も手掛けている活躍彫師であったことが知れます。

▼天明四 甲辰 春
天明4年(1784)のこと。春はお正月を示します。

版元が変更されてからの「後摺り」には「文化二乙丑年求板」の表記が入木されて足されます。

▼御書物所 出雲寺和泉掾
版元のひとつ。幕府に関するものも手掛ける「書物」を出版する老舗のひとつで、石燕の版本(絵手本・画譜)を手掛けています。

▼書林 遠州屋弥七
版元のひとつ。こちらも石燕の版本(絵手本・画譜)を手掛けています。

『画図百器徒然袋』は、出雲寺・遠州屋からは後摺りはされていないようです。その後、江戸の前川六左衛門・前川弥兵衛から「後摺り」が出されています。

さらにその後、伊勢の長野屋勘吉からも「後摺り」が出ていますが、コチラはだいぶ印刷が荒れていたり、ねずみ色の版のぼかしが省かれていたりします。


up.2026.06.10

▼子興…子興はほぼ4作品にも関わっているし、『絵事比肩』などでも校合として名前を記載しているぞ
▼後摺り…版木が異なるものに替わるのは前川からの「後摺り」の途中からのようだぞ。伊勢の長野屋勘吉から出版されたものは「後摺り」のうちでも「後期」のもので「ふるうつぼ」の填詞も欠けているし「せとだいしょう」の版木も異なるものに完全に替わっているのぢゃ。