古空穂
「ふるうつぼ」には能『殺生石』に関連する戯文が填詞[かきいれ]として添えられています。
まえへ|つぎへ石燕は、目や口が生じて、紐[ひも](掛緒)が手足になった靫[うつぼ]の妖怪として「ふるうつぼ」を描いています。手足の指爪はいずれも3本ずつです。
蒲皮[ほがわ]は尾、竈[かまど]は顔になっており、矢束[やたばね]の部分が鼻、蜻蛉結[とんぼむすび]の部分が舌のようになっています。いずれも靫にある部品がかなりそのまま使われています。
座敷にある床間[とこのま]のような大道具が描き込まれており、張られている唐紙には菊の文様などが見られます。そこに飾りのように立てかけられていた「ふるうつぼ」が動き出したような画面づくりになっています。
石燕は土佐系統の絵巻物の画像妖怪をリデザインして描いており、『百鬼夜行絵巻』に描かれている靫[うつぼ]の画像妖怪をリデザインしたものだと見られます。
ただし、石燕は絵巻物の画像要素はほとんど用いておらず、靫の型も別のものに変更しています。絵巻物には存在していた身体に具足を装備しているかたちや、弓や矢などをかついでいる様子は採らず、別個の画像妖怪として完全新規にデザインしたものだといっても良いような例です。
石燕が用いているような「靫」の型は『和漢三才図会』(巻21・兵器)などに絵が載っています。実際、石燕も『百鬼夜行絵巻』の靭の妖怪のかたちよりも、このような具体的な「靫」自体の絵を参照しつつ、ジツクリ描いたのではないのかと十二分に考えられます。
『徒然草』段では、203段には「靫」が主眼になっているはなしが見られ、朝廷から勅勘[ちょくかん]を受けた者の屋敷は門に靫が掛けられたことや、帝[みかど]のおからだの具合がすぐれないとき、世の中が不穏なときなどにも寺社に「靫」が掛けられることが古くからの例になっていたということが書かれています。
石燕が、『徒然袋』のこの箇所と『百鬼夜行絵巻』に描かれている靫の画像妖怪から、「靫」の妖怪を描くことを『画図百器徒然袋』の構成に採り上げていることは明確にわかります。
考えておきたいのは、この『徒然草』の伝承要素も、『百鬼夜行絵巻』の画像要素も、さらに言えば填詞[かきいれ]に登場する能『殺生石』の中身も、どれも「発想の動機」や「あとから添加した戯文」でしかなく、「絵」そのものにはほとんど直接関係されていない点で、これは『画図百器徒然袋』の「絵」すべてに共通する特徴です。
狂言にある『靫猿』も「うつぼ」を用いたものですが、ソチラでは「靫」や「靭」の字が用いられて「空穂」のほうはメインの用字ではありません。また、『和漢三才図会』(巻21・兵器)でも「靫」やなどが用字としては挙げられており「空穂」はあてられていません。
『書言字考節用集』(巻7・器財門)では「乙保」や「空穂」などが「うつぼ」(靫)の字として掲載されており、「空穂」の字を用いることが示されている例は確認することが出来ます。
石燕は『画図百器徒然袋』の序文に明示されているように、「夢」のなかで見た「ぼろぼろな古御所」で遭遇した妖怪たちを描いた――という設定を一貫して用いて背景なども描いています。
「ふるうつぼ」のいる室内は、板にも穴が生じていたり、草がぼうぼうと生え蔓延っていたり、かなりのぼろぼろさが演出されています。
▼古空穂
「むくむかばき」とは「武士の装備品」な画像妖怪として描かれており、最初から一対の存在として想定して描いたものであることは非常によくわかります。
弓と玉藻前退治のはなしは、『下学集』(15c)や色々な武家の伝書でも常に結びつけられていて常識的に知られていましたから、弓に関係する道具であるところ「靭」に玉藻前のはなしが接続されるのは、通じやすい素材の摂り込み方であると言えます。
▼そく時に命をいたづらに
「そく時に命をいたづらに」は、能『殺生石』で「たまものまえ」が射られて絶命したときの様子を語る最高潮のところに出て来る「即時[そくじ]に命を徒[いたず]らに」――という文句を引いたものです。
▼奈須野の原の野干[やかん]をいたる
「奈須」は「那須」と同義。下野国の那須野で退治されたとされる「たまものまえ」のことを示しています。
能『殺生石』では「玉藻化生を本の身に 那須野の草の露と消えし跡はこれなり」――とあるように、「那須」が用いられています。『和漢三才図会』(巻38、巻66)でも表記は「那須」ですし、『書言字考節用集』(巻1・乾坤門上)でも「那須野」です。
いっぽう、弓や武家の伝書には『奈須野之狩巻』という図などをはじめ、「奈須」の例も多く見られます。山田流の箏曲や、富本[とみもと]などにある『奈須野』のように外題や本文が「奈須」である例もある他、能『殺生石』にしても「奈須野」としている版本なども存在するため、石燕がこの填詞[かきいれ]で「奈須野」としている理由についてはハッキリしません。
「やかん」は「狐」のこと。「野干を射たる」で、「たまものまえ」を弓で退治した三浦介・上総介をクローズアップさせると共に、矢をいれるものである「靫」の役割とも深く結びつけています。
▼三浦の介 上総介が古うつぼにや
「たまものまえ」を退治した三浦介義純[みうらのすけよしずみ]上総介広常[かずさのすけひろつね]が身につけていたような「靫」が、この「靫」の画像妖怪な「ふるうつぼ」かも知れないネ――と石燕はおどけています。
「有名なひと」と「関係あったもの」かも知れないネ――という結びつけ方は「くらやろう/あぶみぐち」たち(鎌田正清/源朝長)にも用いられており、この見ひらきでも両者にその形式が用いられています。
up.2026.06.06
■古空穂
――石燕の手による画像妖怪
▼靫…矢を入れるのに使われる兵具のひとつ。「ゆぎ」や「やいれ」とも呼ばれるのぢゃ
▼矢束…靫の主要な部品のひとつ。矢をたばねておくための紐ぢゃ
▼部品がかなりそのまま…「しゃみちょうろう」などでも見られた手法ぢゃ
▼菊の文様…「蘭菊」を利かせたとみれば、狐と結びつけられるのぢゃ。「ぶらぶら」も参照。
▼徒然草…◆『徒然草』(203段)曰「主上の御悩 大方世の中のさわがしき時は 五条の天神に靫をかけらる 鞍馬に靫の明神といふも 靫かけられたりける神なり」
▼勅勘…閉門蟄居のようなもの
▼和漢三才図会…『和漢三才図会』(巻21・兵器)の「靫」の項の解説自体にも『徒然草』の「靫」のはなしは出て来ており、「靫」と結びつけて紹介されることが多かった伝承要素であったこともよくわかるのぢゃ
▼靫の型…『大佐用』vol.14「うつぼ こんな形をしてます」でも和漢の形状の差についてはあつかっているので、あわせて眺めるのぢゃ
▼填詞…後摺の『画図百器徒然袋』のうちでも、後期のものになると「ふるうつぼ」の版木は大変に状態が悪くなっており、填詞そのものが失われて印刷されているのぢゃ
▼下学集…『下学集』の「犬追物」の解説のなかに玉藻前を退治したことが犬追物のはじまりになったということが書かれているぞ。ここでは退治した者の名前は出て来ないが、『臥雲日件録』には上総介の名前は見られるので既に当時からそのような説話が設けられていたことが知れるのぢゃ
▼犬追物…弓の稽古のひとつ。◆能『殺生石』曰「野干[やかん]は犬に似たれば犬にて稽古あるべしとて 百日犬をぞ射たりける これ犬追物の始めとかや」
▼そく時…「そそ野」というのは翻刻としては誤りだと見られるぞ
▼那須…ここで退治された「たまものまえ」が変じたのが「せっしょうせき」ぢゃ。石燕はたびたび玉藻前に関連した事項を設置してるのがわかるぞ
▼野干…◆能『殺生石』曰「不思議やな この石二つに割れ 光の内をよく見れば 野干[やかん]の形はありながら さも不思議なる仁体なり」
▼奈須野之狩巻…源頼朝がおこなったとされる巻狩に由来するとされる陣の図。36の歩兵をまるく円のかたちに配置し、そのなかに9匹の犬と武者18騎を3つに分けて配置するのぢゃ
▼奈須野…◆富本『奈須野』曰「奈須野の原に降[ふり]みだす時雨に匂ふくれなゐの木の葉をおろす小夜風に払ひし露の玉藻前 消にし跡をやのこすらん」
▼三浦介・上総介…三浦介義純・上総介広常という名称は『和漢三才図会』(巻38・獣類)の「狐」の項に書かれている「たまものまえ」のはなしなどに見られるぞ。しかし66巻(下野国・安穏寺)には、退治に向かったのが三浦介義明・千葉介常胤・上総介広常の3人体制で語られているほうの組み合わせもあるので、名乗りの部分がモトモト一定でなかったこともわかるのぢゃ