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すずひこひめ

鳥山石燕百石乳|画図百器徒然袋

すずひこひめ

鈴彦姫

「すずひこひめ」には岩戸のまえで神楽を舞ったあめのうずめに関連する戯文が填詞[かきいれ]として添えられています。

まえへつぎへ

■お神楽を踊り踊るよ

石燕は、頭が鈴のかたちをしている妖怪として「すずひこひめ」を描いています。口は鈴口になっており、頭頂部にもいくつもの鈴と房のついた紐[ひも]がついていて、頭部全体が一体として神楽鈴[かぐらすず]のようなかたちに仕上がっています。

神楽を舞う巫女のような装束に身を包んでおり、右手には舞扇が持っています。衣裳には「立涌」[たてわく]の模様が基本に用いられています。

「すずひこひめ」は神楽の舞台のようなところに立って踊っており、画面の左手には大道具として大きく榊[さかき]の飾られた祭壇の一部がすこし描き込まれています。

■百鬼夜行絵巻からのここからリデザイン

石燕は土佐系統の絵巻物の画像妖怪をリデザインして描いており、『百鬼夜行絵巻』に描かれている神楽鈴を手に持っている画像妖怪をリデザインしたものだと見られます。

リデザインといっても、実際は手に持っている神楽鈴をさらに妖怪としてデザインしているわけですので、石燕自身がほぼデザインをしているといっても良いような例にはなっていますが、『徒然草』や構成上の結びつけを理由とした大がかりな改変はたびたびあることなので、特に違和感の生じるような例でもありません。

神楽鈴は寺島良安『和漢三才図会』(巻19・神祭仏供器)にも「神楽鈴子」[かぐらすず]として掲載されており、絵もつけられています。ただし、房の形状などは石燕が「すずひこひめ」に用いているものとは一致しません。

■神楽のはじめは岩戸神楽

ことふるぬし」や「びわぼくぼく」でも用いられていた『徒然草』16段の文章の主題は神楽で、「神楽こそなまめかしく おもしろけれ」とあります。

兼好法師が褒めている神楽は御所の「内侍所」で演じられる内侍所御神楽であることや、神楽のはじまりが「あめのうずめ」であるという内容は『徒然草』の注釈書ではいつも展開されており、石燕が目にしていたであろう『徒然草』にも、そのあたりの記述も平凡に併記されていただろうことは、容易に想像出来ます。

また、225段にはおなじく女性が舞う、白拍子[しらびょうし]たちのはじまりについても書いてあります。

■ぼろぼろなところで躍らない

石燕は『画図百器徒然袋』の序文に明示されているように、「夢」のなかで見た「ぼろぼろな古御所」で遭遇した妖怪たちを描いた――という設定を一貫して用いて背景なども描いています。

祭壇や欄干が描き込まれてはいるものの、見ひらきでいっしょになっている「うんがいきょう」と同様、それらにぼろぼろさは描き加えられていません。


▼鈴彦姫
うんがいきょう」とは「女のひとの品物」かつ「お神楽」な画像妖怪として描かれていて、最初から一対の存在として想定して描いたものであることは非常によくわかります。

「すずひこひめ」で言えば、絵では「巫女」を想起させて、填詞で「あめのうずめ」を添えています。

▼かくれし神を出し奉んとて
「あまてらすおおみかみ」が天の岩戸におかくれになってしまったこと。

▼岩戸のまへにて神楽[かぐら]を奏し玉ひし天鈿女[あまのうずめ]
神々が天の岩戸のまえで「あめのうずめ」を踊らせて大騒ぎをして、その賑やかさで「あまてらすおおみかみ」を外に出した故事。

「あめのうずめ」の字は『日本書紀』を中心に「天鈿女」と書かれますが、北畠親房『神皇正統記』や『徒然草』の注釈書の多くは「天鈿目」という字で書かれます。
寺島良安『和漢三才図会』(巻18・楽器類)の最初の箇所にある、日本の「楽」のはじまりには神代の「天鈿女命」が神楽をはじめたとあり、コチラは「天鈿女」の表記になっています。

石燕は、キチンと「天鈿女」という用字を用いているので、「やまびこ」に「山彦」(絵巻物の表記)「空谷響」(百物語評判の表記)ではなく「幽谷響」をあてた事例のように、参考にした資料そのままを引いているでもなく、いったん字書な情報空間に立ち返っての「用字えらび」をしているであろう点に、ある程度の一癖ある性分がヤハリ垣間見られます。

▼いにしへもこひしく
神代の大むかしに岩戸のまえで神楽を舞っていた「あめのうずめ」を髣髴とさせる踊りを、鈴の妖怪である「すずひこひめ」は踊っているのかも知れないネ――と石燕はおどけています。

当然、「あめのうずめ」の神楽というよく知られた「あるもの」への、落差や対比として「神楽鈴」な鈴の妖怪である「すずひこひめ」のすがたを二重写しにして、おもしろさを出しているわけですから、見ひらきで対となっている「うんがいきょう」と同様、填詞[かきいれ]で言及している「あるもの」本体とは次元の異なる存在であるという理解で見ておかないと、画像妖怪におもしろみは発生しないわけです。


up.2026.06.05

■鈴彦姫
――石燕の手による画像妖怪



▼あめのうずめ…「天鈿女」は『日本書紀』を中心とした字のあてかた、「天鈿目」は古註などを中心とした字のあてかたぢゃ
▼神楽鈴…神楽を舞うときに手に持たれる鈴。柄の先にいくつもの鈴がつけられている形のもの
▼立涌…たてわく・たちわく。古くからよく用いられて来た模様。桐・雲・菊などいくつも種類があるぞ
▼神楽鈴を持っている妖怪…妖怪自体はくちばしの長い鳥のような顔をして、頭には白い布をかぶっているのぢゃ。それらの画像要素は「すずひこひめ」とはほぼ重なりが皆無と言ってもよいぞ
▼内侍所…内裏にあるかみさまをまつる場所。「やたのかがみ」が祀られているのぢゃ。
▼内侍所御神楽…◆高田宗賢『徒然草大全』(巻上2・十六)曰「内侍所の神楽は一条院の時よりおこりて」◆高階楊順『徒然草句解』(巻1・十七)曰「内侍所の御神楽は一条院の御時より行はるる」




▼あまてらすおおみかみ…太陽のかみさま。弟である「すさのお」が悪さをしつづけたことに怒って、岩戸のなかに隠れてしまい、世界が闇につつまれてしまったことは、神楽そのものでもよく語られる内容ぢゃ
▼鈿目…◆北畠親房『神皇正統記』曰「天鈿女命 真辟[まさき]の葛[かづら]をかづらにし」◆高田宗賢『徒然草大全』(巻上2・十六)曰「天鈿目命 まさきのかづらをかづらとし」◆高階楊順『徒然草句解』(巻1・十七)曰「天鈿目命 まさきのかづらをかづらとし」
▼注釈書…『徒然草』の注釈書は『古語拾遺』にあるということで「あめのうずめ」のはなしをしているが、『古語拾遺』での用字は「天鈿女」なので、註のなかで独自に設定されているもののようぢゃ。なお『古語拾遺』でのよみかたは「天乃於須女」[あめのおすめ]で、「強悍猛困」[こはく あらく たけく たしなむ]と割注にあるぞ
▼和漢三才図会…◆『和漢三才図会』(巻18・楽器類)曰「本朝神代 既楽有之 天鈿女命掌神楽之神也」
▼異なる存在…「うんがいきょう」は雲中子[うんちゅうし]の用いていたような「照魔鏡」では「ない」鏡の妖怪であるし、「すずひこひめ」も神代のむかしに「あめのうずめ」が振っていた「鈴」では「ない」神楽鈴の妖怪である――という解釈がまず先に立たないと鑑賞につながらないわけだが、填詞にある文字情報のみをたどりがちな現代解釈には「照魔鏡の妖怪が雲外鏡なのかも知れない」とか「岩戸神楽で使われた鈴の妖怪が鈴彦姫なのかも知れない」という積極的な情報として結びつけてしまうような語り口も多いのぢゃ。絵と填詞の情報量は異なる点と、『画図百器徒然袋』の填詞は、存在目的自体が以前の2冊(『今昔画図続百鬼』と『今昔百鬼拾遺』)とは異なっていることを理解しつつ、ここは良く按じてもらいたいところぢゃ