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しゃみちょうろう

鳥山石燕百石乳|画図百器徒然袋

しゃみちょうろう

三味長老

「しゃみちょうろう」には『徒然草』や俚諺に関連する戯文が填詞[かきいれ]として添えられています。

まえへつぎへ

■花梨で出来た胴の僧侶

石燕は、三味線[しゃみせん]の妖怪として「しゃみちょうろう」を描いています。三味線の胴の部分が顔、猫乳のぽつぽつが目や鼻の穴、撥皮[ばちかわ]の部分の曲線を「口」の線に用いているのも、器物自体のかたちの特徴を落とし込んだ工夫のひとつです。

手には象牙の撥[ばち]を持っており、周辺には院本ののせられた見台[けんだい]、三味線箱、扇、まるめてある絃、絃の下にかける駒[こま]などが散らばっています。

三味線を入れる袋として用いられる布をまとって胴のように見せる手法は「くらやろう」などと共通するデザインの仕方です。いっぽうで「びわぼくぼく」と同じく、顔に絃は描き込まれていません。

■百鬼夜行絵巻からのここからリデザイン?

石燕は土佐系統の絵巻物の画像妖怪をリデザインして描いていますが、古くから描かれて来たタイプの『百鬼夜行絵巻』には当然、まだ普及していなかった三味線の画像妖怪は存在していないため、ドレからこの「しゃみちょうろう」を生成したのかは明確ではありません。

石燕自身がほんの一部分ダケ画像要素を抽出して大幅にデザインを変えて画像妖怪を描いている例は、実際にいくつも見られるので、布をかぶっているタイプの画像妖怪たちのいずれかを大幅改変したものなのかも知れないという可能性もあるわけですが、まだハッキリとは素材は特定出来ませんし、はじめから器物自体のかたちから発想して、あらたな素材に挑戦していたのかも知れません。

■ぼろぼろな御簾です

石燕は『画図百器徒然袋』の序文に明示されているように、「夢」のなかで見た「ぼろぼろな古御所」で遭遇した妖怪たちを描いた――という設定を一貫して用いて背景なども描いています。

「しゃみちょうろう」の背後に大道具として掛けられている御簾[みす]は、糸が切れてばらばらぼろぼろになっている様子が描かれています。院本らしき冊子は「ことふるぬし」のすぐ近くに落ちている曲の本のようにぼろついてはおらず、経験未熟なせいなのかどうなのか綺麗なままです。

■沙弥は比丘になる前のひと

『徒然草』134段では、ある「三昧」[さんまい]僧が自身の顔を鏡で見ながら世に無常と悲観を感じて誰とも合わなくなってしまった例を引きながら、「身の上の非を知らねば まして外のそしりを知らず」――と、自分のよくない点を認識することが出来ることほど貴重なことで、むさぼる心を無くすことが大事だとまとめています。

「三昧僧」を「三味線」につなげて、三味線の画像妖怪をデザインした上で「えりたてごろも」にあわせて「三味線」と「沙弥から長老」という俚諺を結びつけた「しゃみちょうろう」という呼び名を石燕はつくりあげたと見ると、過程としてはスッキリ整理がつきそうです。


▼三味長老
えりたてごろも」とは「僧侶と関係ある同士」な画像妖怪として見ひらきで「対」になっています。どちらも身分に関わることを構成のなかに持ち込んでいて、「しゃみちょうろう」は、やや頼りなさげな「身分ある妖怪」として配剤されているようです。

▼諺[ことはざ]に沙弥[しゃみ]から長老にはなられずとは
「沙弥から長老にはなれぬ」という俚諺の意味そのものを、石燕は以下キチンと説明しており、ドチラかといえばこの這所は普通な文章。

「沙弥から長老」は、なにごとも段階を踏まず一足とびにとんでもない高位にたどりつくことは出来ぬよ――といった意味の俚諺ですが、「三昧僧」と「三味線」、そして「沙弥」と「三味線」を結びつけてのとんでもない連想ですので、その培地とした俚諺そのものを真面目に語っていること自体がおもしろみであるとも言えます。

▼沙弥[しゃみ]喝食[かつじき]のいやしきより国師[こくし]長老の尊[たっとき]にはいたりがたき
対句として、「沙弥・喝食」(身分が低い)と「国師・長老」(身分が高い)を並べ直しているダケで意味するところは俚諺の「沙弥」と「長老」とおなじことです。

▼この芸にかんのうなる人の 此[この]みちの長たるものと用ひられしその人の用ひし器
音曲の道に堪能[かんのう]で、技にすぐれていると周囲から用いられていたひとの使っていた三味線――ということです。

ただし、三味線の腕に「堪能している」と思ったり、「長たるものである」と言われたりしているダケで、本当に額面そのままの人物であるのかはワカリマセン。

▼精なるべし
この「しゃみちょうろう」という三味線の画像妖怪は、「イヤじつに三味線の名人でございますなァ」とされているような人間の使っていた三味線なのかも知れないネ――と石燕はおどけているわけです。


up.2026.05.30

■三味長老
――石燕の手による画像妖怪



▼三味線…三絃とも。近世になってから流入して広まったあたらしい楽器だぞ
▼見台…院本などをのせる台。したには引き出しもついているぞ。見台の前側(画面では奥のほう)には、房がさげらけているのぢゃ
▼器物自体のかたちから…「しゃみちょうろう」の撥皮の曲線を、口の線にそのまま使うような工夫
▼あらたな素材…「もくぎょだるま」なども、そのような気配の強い画像妖怪ではあるのぢゃ。
▼三昧僧…三昧衆・御坊聖とも。お堂にこもって経を唱えつづけている僧侶。この『徒然草』の三昧僧は「法華堂」にいたというから法華経を唱えていた者か
▼むさぼる心…『徒然草』(134段)曰「人に恐れ人に媚ぶるは 人にあたふる恥にあらず むさぼる心にひかれて みづから身をはづかしむるなり」
▼沙弥…僧侶の見習い。年齢の低い段階のもの。女性だと沙弥尼[しゃみに]
▼比丘…正式に戒を授かって僧侶となった状態。女性だと比丘尼[びくに]



▼長老…年の長けた徳の高い僧侶のこと。耆宿[ぎしゅく]
▼俚諺…ことわざを引いてくる構成は「ふくろむじな」にも近いぞ
▼喝食…寺で日用雑事などをこなす者や、剃髪をしていない稚児のこと。どちらも沙弥とおなじく年少のものをさすことばぢゃ
▼国師…偉大な僧侶に朝廷から与えられる称号のひとつ
▼堪能…熟達していること、才能長けていること。「かんのう」とよむのが正しい音で、「たんのう」は誤用が一般化したもの
▼精…精怪などの意味。「つくもがみ」などの表現を石燕は無縁であった点をこの表現からもおぼえておくべきぢゃ。もし知っておればドコかにかは使っているはずであろう