襟立衣
「えりたてごろも」には能『鞍馬天狗』に関連する戯文が填詞[かきいれ]として添えられています。
まえへ|つぎへ石燕は、「てんぐ」たちのなかでも大天狗として尊まれている「鞍馬山僧正坊」の法衣であるぞ――という体で「えりたてごろも」を描いています。身分の高い僧侶の着用する、襟[えり]がとても尖って高く立っているかたちの法衣の、襟そのものを前方に折り下げて天狗のくちばしような「顔」にしています。
後にひろがっている法衣の裳[も]の部分は、ちりちりとまるまりながら円形に大きくひろがっています。
「えりたてごろも」は立派な雲と松の描かれた前に敷かれた畳座のうえに坐っており、袈裟[けさ]をつけ、数珠と中啓[ちゅうけい]の扇を手に持ち、手前には蓮華のかたちの手炉[しゅろ]を置いています。
石燕は土佐系統の絵巻物の画像妖怪をリデザインして描いており、『百鬼夜行絵巻』に描かれている襟[えり]の高く立った法衣を着た獣の画像妖怪たちをリデザインしたものだと見られます。
このような襟の大きく立った法衣を、土佐秀信『仏神霊像図彙』(1690)などでは「首立衣」[くびたてごろも]の名で絵と共に掲載しています。
絵巻物では虎[とら]や狼[おおかみ]など獣たちが高僧のすがたをとっていることがデザインの核になっているのですが、石燕は「法衣」ダケを画像要素として抽出して、高僧という連想から大天狗たちを引き出して結びつけているわけです。
石燕は『画図百器徒然袋』の序文に明示されているように、「夢」のなかで見た「ぼろぼろな古御所」で遭遇した妖怪たちを描いた――という設定を一貫して用いて背景なども描いています。
しかし、「えりたてころも」の絵に描かれている室内であることを描き表わしている調度品の類には、ぼろぼろさは見られません。あるいは、ぼろぼろ気味に描かれている「しゃみちょうろう」の大道具との落差を演出しての措置なのかも知れません。
『徒然草』にはあちこちに僧侶も高僧も登場しつづけるわけで素材はすずなりなわけですが、高僧をはじめ僧侶全般については、いちばんはじめの1段に登場して来ます。
どんな身分職業がイチバン良いのか望ましいのか――と語られている話題のなかで清少納言の「人には木のはし(端)のやうに思はるるよ」や増賀上人の「名聞[みょうもん]ぐるしく 仏の御をしへにたがふらん」などの評を引きながら「うらやましからぬもの」としています。
▼襟立衣
「しゃみちょうろう」とは僧侶と関係ある同士」な画像妖怪として見ひらきで「対」になっています。どちらも身分に関わることを構成のなかに持ち込んでいて、「えりたてごろも」は、威儀ありそうな「身分ある妖怪」として配剤されているようです。
▼彦山の豊前坊 白峯[ふう]の相模坊 大山の伯耆坊 いづなの三郎 富士太郎
いずれも日本の各地にある霊山にいる大天狗たちの名前を列挙したもの。
「白峯」を「はくふう」とよむのは能に見られるもの。「いづなの三郎」は「飯縄」あるいは「飯綱」のドチラかの字があてられます。
よく「八天狗」として並べられている大天狗たちの名前を出しているわけですが、登場している名前の組み合わせ――特に「富士太郎」が入って来ている点から、能の『鞍馬天狗』のなかで列挙されている天狗たちの名前がここでは用いられているということがハッキリとわかります。
能『鞍馬天狗』の詞章に読み込まれている天狗たちは「彦山豊前坊・白峯[はくふう]の相模坊・大山[だいせん]の伯耆坊・飯綱の三郎・富士太郎・大峯[おおみね]の前鬼が一党 葛城[かつらぎ]高間[たかま]……」などの名前が見られます。
『書言字考節用集』(巻9・数量門)にある「八天狗」には「愛宕の栄術太郎・鞍馬の僧正坊・比良の次郎坊・飯縄の三郎・大山の伯耆坊・彦山の豊前坊・大峰善鬼・白峰相模坊」とあり、「比良の次郎坊」が出て来るため、編成が異なります。
石燕は、「くらやろう/あぶみぐち」でもそうだったように、基本的な設定の発想や戯文に用いる「組み替えやすい文例」を能から援用していることも多いわけですが、その一端がここでも垣間見られるわけです。
▼その外[ほか] 木の葉天狗まで
身分の高くない小天狗たちのこと。
『鞍馬天狗』では間狂言として、僧正ヶ谷にすむ「木葉天狗」(木の葉天狗)たちの会話のやりとりがおもしろおかしく展開されますから、ここでの「木の葉天狗」ということばの選び方も、『鞍馬天狗』を意識したものであることが良くわかります。
▼羽団扇[はうちは]の風にしたがひ なびく
羽団扇[はうちわ]は「てんぐ」たちが持っているとされる小道具。この先に文で出て来る「鞍馬山僧正坊」に対して木の葉天狗たちが「従い、なびく」ということばに寄せて、風を生じさせる「羽団扇」を出して来たもの。
▼くらまの山の僧正坊の ゑり立衣なるべし
多くの小天狗たちを従えているような立派な大天狗「鞍馬山僧正坊」の法衣であるということ。
つまり、立派で位の高い「僧正坊」のような大天狗の着ていた、襟の高く立った法衣の妖怪というのが、この「えりたてごろも」なのかも知れないネ――と石燕はおどけています。
もちろん、僧正坊が着古して廃棄した一着であるのか、襟立衣(首立衣)の妖怪である「えりたてごろも」が活動している状態だと、そのときの僧正坊は増賀上人のように何も着ていない裸形であるのかどうか、などなど具体的な箇所についての設定は言及されておらず、内容としては、ただ「天狗づくし」という調子の戯文が展開されています。
この填詞[かきいれ]の内容も「あるもの」である僧正坊の法衣に対して、それが「えりたてごろも」なのかも知れないという空想を完成した「絵」に対してあてはめてみたダケで、実際にそのような存在しとてデザインをしたものと考えるには、ヤハリ距離がある戯文としての表現なのでしょう。
up.2026.05.30
■襟立衣
――石燕の手による画像妖怪
▼鞍馬山僧正坊…牛若丸に剣術をおしえたことでも人々によく知られているぞ
▼数珠…紐が透けて見えているので水晶などのものか
▼中啓…扇のかたちのひとつ。僧侶が持つことが多い。お芝居で河内山宗俊が偉い僧侶に変装しているときに手に持っている小道具ぢゃ
▼手炉…長い柄の先にある本体部分が、上は蓮華の花、下は荷葉になっているかたちは、「えりたてごろも」の小道具も『仏神霊像図彙』に描かれている絵も、おなじ型のものを参考にしているのぢゃ
▼法衣を着た獣…最後が雲でおわる構成の『百鬼夜行絵巻』には大体、行列の後半に描き込まれているぞ。田楽が途中で出て来る構成の『百鬼夜行絵巻』でも、牛[うし]兎[うさぎ]の妖怪などがこのすがたで田楽踊りを見物をしているデザインをおがむことが出来るのぢゃ
▼増賀上人(917-1003)…「そうが」(僧賀)とも。鴨長明『発心集』(巻1)にある、慈恵が「僧正」の位に任じられ立派な法衣をまとって喜んでいたとき、それに対して増賀が発したとされる「名聞こそ苦しかりけれ 乞食[かたゐ]のみぞ楽しかり」という歌の文句から。増賀上人は、お伊勢さまからの帰り道をぜんらのすがたで歩いて来たり、貴顕のもとに呼び出されたときは大抵へんてこりんな衣裳をつけてイヤイヤ参上したりするような人物ぢゃ
▼名聞…外聞や名誉。
▼羽団扇…天狗たちの持物としては有名で、よく絵草紙などにも描かれているが、石燕は鳥すがたそのままの「」を描く機会のほうが多いので、あまり「絵」として石燕が羽団扇を描写している例はほとんどないのぢゃ
▼大山…『書言字考節用集』の「八天狗」では「大山」の「山」の字には「セン」とカナが振ってあるのでコチラも「だいせんのほうきぼう」という想定であったことが知れるぞ
▼木の葉天狗…◆能『鞍馬天狗』曰「かやうに候者は 鞍馬の僧正が谷に住む木葉天狗にて候」
▼小天狗…能では「しょうてんぐ」と発音されるぞ
▼ゑり立衣なるべし…法衣自体を「えりたてごろも」と呼んでいるとすると、妖怪としての状態の固有名詞設定ではないのかも知れぬ、とも考えることは出来るぞ
▼裸形…増賀(僧賀)上人が伊勢からの帰り道でぜんらだったはなし。◆『撰集抄』(巻1)曰「伊勢太神宮に詣[まうで]て祈請し給けるに夢に見給ふやう 道心を発[おこ]さんと思はば此身を身とな思[おもひ]そ と示現を蒙[かうぶり]給けり 打驚ておぼすやう 名利[みゃうり]を捨[すて]よ とにこそ侍るなれ さらば捨[すて]てよ とてき給へける小袖[こそで]衣[ころも]みな乞食[こつじき]どもにぬぎくれて一重[ひとへ]なる物をだにも身につかけ給はず 赤はだかにて下向し給けり」