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あぶみくち

鳥山石燕百石乳|画図百器徒然袋

あぶみくち

鐙口

「あぶみくち」には、鐙[あぶみ]と縁の深い源朝長に関連した戯文が填詞[かきいれ]として添えられています。

まえへつぎへ

■山法師たちの矢を浴びせられて

石燕は、鐙[あぶみ]をはじめとした馬具の寄せ集まった妖怪として「あぶみくち」を描いています。「くらやろう」とは正反対に、「あぶみくち」は誰の鐙だったかについての発言は自らは明言していません。

口はさかさまになった鐙[あぶみ]になっていて、鳩胸のあたりが鼻になるようについています。体は障泥[あおり]で出来ており、虎の毛などが用いられているようです。手は押懸[おしかけ]などの房紐で、目の上にも馬具にとして用いる轡助[くつわたすけ]のような小さい飾りの房が生えています。

題材として用いられている器物の「毛皮」の絵は、「あぶみくち」と「むくむかばき」を見くらべてみると、明確に描き方を変えており、異なる素材である想定であることも知れます。

「あぶみくち」は誰の「鐙」だったのかは明示されていませんが、落人[おちうど]狩りのためにぞろぞろ出て来た山法師たちの放った矢が刺さった、ということは内容から知ることは想像することが出来ます。

■百鬼夜行絵巻からのここからリデザイン

石燕は土佐系統の絵巻物の画像妖怪をリデザインして描いていますが、馬具に関する画像妖怪たちの例は乏しく『百鬼夜行絵巻』に描かれている描かれているどの画像妖怪たちを素材としたのかはハッキリしません。

英一蝶の描いたものだと仮託される系統の絵巻物(『百器夜行絵巻』など)には、鐙の妖怪が描かれていますが、鞍の妖怪は見られないため、「くらやろう」とあわせて考えると、一蝶系統の妖怪たちが石燕の参照した百鬼夜行絵巻にどのぐらい含まれていたのかは未知数です。

いっぽう、石燕は器物自体を変えて転用するリデザインの手法も多く用いているので絵巻物の側で画像妖怪が「鐙」である必要もない点には注意が必要です。そう考えると、「絵巻物を用いていない」デザインが混ざっている可能性も考えないといけません。

■ぼろぼろしない陣所

石燕は『画図百器徒然袋』の序文に明示されているように、「夢」のなかで見た「ぼろぼろな古御所」で遭遇した妖怪たちを描いた――という設定を一貫して用いて背景なども描いています。

この絵に描かれている、保元の乱・平治の乱な時代には矢の飛んで来ていたのかも知れない、さびしい道中はどうしても戸外の草っ原が舞台になってしまうので、特にぼろぼろさを感じさせる明確な建物などは登場しません。

■優良動作は良い馬具から

『徒然草』では186段で、吉田という騎馬の名手のことばとして「轡[くつわ]鞍[くら]の具に あやふきことやあると見て 心にかかる事あらば その馬を馳[は]すべからず」――と、馬具の点検を怠らないように心掛けることを乗せており、馬具たちが並んで出て来るのは、馬について載せているこの段や185段からの連想がまず最初にあったようです。


▼鐙口
くらやろう」とは『平治物語』を中心にした能や軍談の世界で重なり合った「馬具なもの」な画像妖怪として対になっています。最初から一対の存在として想定して描いたものであることはよくわかります。

石燕は、馬や馬具の出て来る『徒然草』185・186段に対して、能『朝長』の世界を基本融合させたようで、「鎌田正清・悪源太義平」と「源朝長」に関わる馬具のいわれを「くらやろう/あぶみくち」に「うたわせる」――という「修羅もの」な趣向を持ち込んだ填詞[かきいれ]に仕上げています。

▼膝の口をのぶかにいさせて
「膝の口」は足の「もも」、「のぶかにいさせて」は「箆深に射させて」で矢が深く刺さることです。

『平治物語』の「義朝敗北の事」で語られる、敗走する「源義朝」たちを狙う落人狩りの山法師たちの矢によって左足のももに深く矢傷を受けてしまった「源朝長」のことをここでは述べています。

朝長の負傷については、能『朝長』では「朝長[ともなが]が膝の口をのぶかにいさせて」、『平治物語』のでは「弓手の股[もも]をしたたかに射付けられて」とあって、石燕が明確に『朝長』の詞章を引いて「あぶみくち」にうたわせていることがわかります。

▼あぶみを越しておりたたんとすれども なんぎの手なれば
これも能『朝長』をそのまま流しているもので、特に変化がないと言えば原典との変化はありません。

負傷をして、鐙をキチンと踏むことの出来なくなってしまった様子を描写している箇所で、朝長『平治物語』のほうでは「鐙[あぶみ]を踏兼[ふみか]ね給ひければ」――とあります。

「あぶみくち」という呼び名に用いられている「くち」ということばは、朝長が「膝の口」に矢を喰らって「鐙」をうまく踏めなくなったという「ひざのくち」に由来するものだと言えるでしょう。
ですので、これがもし『平治物語』の原文のほうを「あぶみくち」にうたわせていたら、「あぶみもも」になっていたかも知れないわけです。

▼おなじくうたふ
くらやろう」が悪源太義平・鎌田正清たちのことをうたい語ってくれたのとおなじく「あぶみくち」も、源朝長のことをうたってくれた――という状況設定を示しています。

「あぶみくち」の填詞[かきいれ]単体では状況設定が不在になってしまうので、「くらやろう」とおなじようにうたってくれた、というニュアンスが伝わりづらい側面があります。しかし、おなじようにということを踏まえれば、省略されているダケで、「あぶみくち」も源朝長の使っていた鐙[あぶみ]の画像妖怪なのかもネ――と石燕はおどけているのだと考えられるでしょう。

上巻に多かった「あるもの」と「ないもの」の落差の構成ではなく、このように「有名なひと」と「関係あったもの」かも知れないネ――という結びつけ方は中巻から増えてゆくもので、「つのはんぞう」(小野小町の角盥)や「きょうりんりん」(守敏僧都の経典)なども、その構成の代表例です。


up.2026.05.26

■鐙口
――石燕の手による画像妖怪



▼源朝長…源義朝の次男。中宮太夫進朝長。能『朝長』では、いくさでの敗走後に美濃国青墓で切腹をするのぢゃ
▼鐙…足をかけるための馬具
▼鐙口がどんな馬具で構成されているかについては『大佐用』vol.336「鐙口の毛皮と口」で詳しく特集したぞ
▼障泥…鞍のしたに敷かれる毛皮、鐙が馬のお腹に直接に当たらないための緩衝になっているぞ
▼毛皮…障泥につかわれる毛皮は、良いものだと虎や豹がつかわれていたぞ
▼落人…落武者たちのこと
▼山法師…山徒。『平治物語』の「義朝敗走の事」では西塔や横河の法師たちが何百人も落人狩りに登場して来よるぞ
▼例は乏しく…一蝶系統の絵巻物には、鐙[あぶみ]は確認出来ますが鞍[くら]はいないぞ。一蝶系統の絵巻物での鐙の妖怪は、鐙のかたちは「あぶみくち」のように逆さまにはなっておらず、ごく自然な向きで絵に使用されているぞ。この違いは些細なようで巨大でもある。
▼住吉家…住吉如慶が1617年に写した「妖化物之絵」(ばけもののえ)として伝わっていた作品を、1829年に狩野養信が模写したのが東京国立博物館に現在のこっているぞ。「たいまつまる」の素材になっている『百鬼夜行絵巻』に普通にいる画像妖怪(魔縁)とも重なって来るのでヤハリ注意がいる部分ぢゃ
▼鞍の妖怪…黒い「鞍」に目が生えてるダケのかたちをしているぞ
▼行縢の妖怪…馬に乗るとき、狩りに行くとき、腰にまとうための毛皮ぢゃ。「むくむかばき」にも関連して来るぞ
▼保元の乱…1156年に起こったいくさぢゃ。崇徳院の勢力と後白河帝の勢力とが対立したぞ。崇徳勢には源為義・平忠正たち、後白河勢には源義朝・平清盛たちがついて争ったのぢゃ
▼平治の乱…1159年に起こったいくさぢゃ。後白河帝の勢力だった、源義朝たちと平清盛たちとが対立して源平の対立がさらに色濃くなったぞ


▼悪源太義平…源義朝の長男。源義平。鎌田正清からみれば、主人のいちばん上のぼっちゃま
▼修羅もの…能の分野のひとつ。死後に阿修羅道の苦しみを受けている武将たちの霊を主軸にした物語になっているぞ
▼箆…箆[の]は矢に用いる矢竹の部分のことで、深く突き刺さっているということぢゃ
▼うたう…能でうたわれる謡[うたい]も、これまた武家とは切っても切れないものぢゃ。能が武家の「式楽」として制定されていて、出来て当然な稽古事としてやらないとならぬ状態でもあったぞ。
▼省略…石燕の填詞は、『画図百器徒然袋』だと意外に省略が突然出ることもあるので単体では理解しづらい箇所が多いのも、それぞれが石燕による創作要素が高すぎることを理解出来るぞ