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むくむかばき

鳥山石燕百石乳|画図百器徒然袋

むくむかばき

無垢行騰

「むくむかばき」には『曽我物語』に関連する戯文が填詞[かきいれ]として添えられています。

まえへつぎへ

■夏毛か冬毛か行騰をかぶってござる

石燕は、馬に乗るときに武士たちが腰につける行騰[むかばき]の妖怪として「むくむかばき」を描いています。「行騰」そのものは全身にスッポリ着ているものとして活用されており、顔などのある本体は、矢を入れる「やなぐい」や「えびら」のようなものが用いられているようです。

題材として用いられている器物の「毛皮」の絵は、「むくむかばき」と「あぶみぐち」を見くらべてみると、明確に描き方を変えており、異なる素材である想定であることも知れます。

笹[ささ]や草の多く生えた山道が舞台に設定されており、いっしょに笠なども描かれています。

■百鬼夜行絵巻からのここからリデザイン??

石燕は土佐系統の絵巻物の画像妖怪をリデザインして描いていますが、『百鬼夜行絵巻』に描かれているものには明確に「行騰」の画像妖怪は見当たらないので、素材となったものについてはハッキリしません。

住吉家に伝えられていた作品の写本(東京国立博物館)には、木馬の妖怪・鞍の妖怪のうえに二重にまたがった行騰[むかばき]の妖怪が描かれていますが、あるいはこの系統の画像妖怪には、ほかにも馬具の妖怪たちが豊富にいたのかも知れません。

ふるうつぼ」が実際デザイン全体としては、ほぼ『百鬼夜行絵巻』での画像要素からは脱して、ほぼ新規の画像妖怪をつくりあげていたこともありますし、「しゃみちょうろう」や「もくぎょだるま」のように「絵巻物を用いていない」デザインが混ざっている可能性もなきにしもあらずです。

『書言字考節用集』(巻6・服食門)では「行縢・行騰」と両方の字が載っており、また『詩経』を典拠とした漢語の「邪幅」という字も「むかばき」として載っています。馬ではなく糸と書くほうの「縢」や「邪幅」は「ももひき」や「脚絆」のような肌着としての「むかばき」に当てられるものですから、「邪幅」などが択ばれていないことは、理解出来ます。

■むかしの武士は必ず着用したもの

『徒然草』のなかでは、92段では弓を射るときの心がまえについてのはなし、145段では桃の種のようなかたちのおしりは落馬の相だというはなし、141段では東国の武士の気風のはなしなど、実際に鎌倉生活の経験がある兼好法師の文章には、弓馬や武士のはなしは折々登場して来るので、「むくむかばき」の素材である「行騰」に対する着想はドコから生まれたとしてもふしぎではありません。

■ぼろぼろは涙の露の音ばかり

石燕は『画図百器徒然袋』の序文に明示されているように、「夢」のなかで見た「ぼろぼろな古御所」で遭遇した妖怪たちを描いた――という設定を一貫して用いて背景なども描いています。

「むくむかばき」の舞台設定は山道なので、ぼろぼろな建物などの要素は存在せず、ぼろぼろな雰囲気を味わうような素材は見られません。


▼無垢行騰
ふるうつぼ」とは「武士の装備品」な画像妖怪として描かれており、最初から一対の存在として想定して描いたものであることは非常によくわかります。

▼赤沢[あかさは]山の露ときえし河津の三郎が
伊豆国の赤沢山で亡くなった河津三郎[かわづのさぶろう]というのは、河津祐泰[かわづすけやす]のこと。『曽我物語』での河津三郎は祐道・助通[すけみち]の名前で登場します。河津三郎は工藤祐経[くどうすけつね]たちの放った矢を深く受けて亡くなっています。

「むくむかばき」が笠を持っているのも、その際の河津三郎のいでたちに「萌黄の裏打[うらうっ]たる竹笠」があったからだ――と結びつけることも可能です。

河津三郎の子供たちが曽我祐成(十郎)曽我時致(五郎)で、彼らが仇[あだ]討ちを果たすのが『曽我物語』などで良く知られていた、曽我兄弟の仇討ちのおはなしで、工藤祐経との「対面」の場面などはお芝居でも毎年演じられるような定番になっていました。

▼行騰にや
河津三郎が赤沢山で亡くなったときに着用していた「行騰」が、もしかしたら「行騰」の画像妖怪である「むくむかばき」なのかも知れないネ――と石燕はおどけています。

填詞[かきいれ]には具体的な部分がスッポリと存在していないわけですが、河津三郎が襲撃を受けたとき、矢が行騰[むかばき]をつらぬいて刺さっており、直後に馬からまっさかさまに落ちて死んだという描写が『曽我物語』などをはじめとしたおはなしのなかで語られている――という点が、「むくむかばき」に『曽我物語』の内容が添加されている最大のポイントです。

文章としては短すぎて、これ単体だけで読み解こうとすると「河津三郎の行縢かも知れない」というダケで、ほとんど遊びのある戯文になっていないわけですが、『画図百器徒然袋』全体での調子とあわせて読み解けば、ヤッパリ見ひらきにいる「ふるうつぼ」とおなじく、「有名なひと」と「関係あったもの」かも知れないネ――という落差のある結びつけを提示するのと同じたわむれ方を用いていることがわかるでしょう。

那須野・玉藻前(ふるうつぼ)/赤沢山・河津三郎(むくむかばき)――どちらの填詞も、「野外で弓矢によって討たれた」ということを共通項にした「対」の題材になっているのも、注目箇所で、意図的に付与する題財を択んでいることが知れます。


up.2026.06.06

■無垢行騰
――石燕の手による画像妖怪



▼行騰…馬に乗るとき、狩りに行くとき、腰にまとうための毛皮ぢゃ。素材や毛皮の質などによって色々とこまかな呼び方もあるぞ。『曽我物語』には色々な種類の行騰が出て来ることでも知られる
▼夏毛冬毛…夏毛行騰・冬毛行騰というのは用いる毛皮によっての呼び方として存在するもの。秋毛行騰、秋二毛行騰などもあるぞ。◆『故実叢書』(巻14)曰「鹿の毛 夏は赤みあり 秋はやや黒みを帯て 冬は赤みを失るなり 秋毛の冬毛を帯たるを秋二毛といふ」
▼やなぐい…「むくむかばき」の本体部分については『大佐用』vol.224「無垢行騰の体躯」で詳しく観察しているぞ ▼毛皮…行騰には鹿[しか]の毛皮が用いられるのが基本だったのぢゃ
▼住吉家…住吉如慶が1617年に写した「妖化物之絵」(ばけもののえ)として伝わっていた作品を、1829年に狩野養信が模写したのが東京国立博物館に現在のこっているぞ。
▼木馬…木製の簡単なつくりの馬で、手綱さばきや乗り降りの練習に子供のうちから用いるぞ
▼邪幅…◆松崎天胤『詩経詳解』曰「邪幅[じゃふく]はむかはぎなり。邪[ななめ]に足を纏ふ。今の行縢[きゃはん]の如し。其の脛を束ぬ」
▼脚絆…足に巻く布




▼露ときえし…「むくむかばき」のいる山道に描かれた笹の葉っぱにも露の玉が描かれているのかとも見えるが、これは露の玉ではなく葉っぱに穴があいている描写のようぢゃ
▼曽我兄弟…河津三郎が亡くなったあと、曽我祐信[そがのすけのぶ]のところで育てられたので曽我と呼ばれるのぢゃ
▼笠…◆『隠顕曽我物語』曰「萌黄の裏打たる竹笠を猪頚[ゐくび]に着なし伏木悪所の忌[きらひ]なく かひくれてこそ歩[あゆま]せける 運命尽ぬる効[しるし]にや 前に仇[かたき]の有ぞとは夢にも知ず」
▼笠を持っているのも…この笠の情報は写本として読まれていた『隠顕曽我物語』にはあるが、古い時代の真名本『曽我物語』などには出て来ないのぢゃ
▼矢が行騰をつらぬいて…◆『隠顕曽我物語』曰「其[その]矢 過[あやま]たず河津が乗たる馬の鞍[くら]の山形を射削り 行騰[むかばき]の着際[きぎは]より前へぐっと射通したり」
▼文章としては短すぎて…戯文として「むかばき」だから「河津三郎祐泰」を結びつけてみました――というぐらいの内容しかないのがよくわかるのぢゃ。また石燕が『画図百器徒然袋』の各妖怪たちに付与している填詞の「位置」が、そのぐらいのものでしかないということも、このような情報量がほとんどない例(あぶみぐちなども同様ぢゃ)を「主」として考えるべき必要が大きいぞ