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かたわぐるま

鳥山石燕百石乳|今昔画図続百鬼

かたわぐるま

片輪車

「かたわぐるま」には、『諸国里人談』にある内容に即した填詞[かきいれ]が添えられています。

まえへつぎへ

■車のきしる音がかたかたかたかた

石燕は、火炎に包まれた車に乗った女のひとのすがたの妖怪として「かたわぐるま」を描いています。車輪をはじめとした車の部材はすべて黒くて、漆[うるし]ぬりなどで仕上げられている様子です。

雲を区切りにして奥に描き込まれている背景には、木々や大きな瓦屋根、高灯篭などがあります。

■片輪車は有名な妖怪

とっさによんだ悲しみの和歌に妖怪の側も感じ入る――「和歌の徳」を語るためのはなしとして構成されており、和歌によって子供を返してもらえるこの型の「かたわぐるま」のはなしは、ひとびとのあいだの談義や講莚の席上で語られる機会も多かったとは想像されます。

石燕は、『諸国里人談』(巻2)にある「牽[ひく]人もなき車の片輪なるに美女一人乗たりける」――という文章をモトに、この「かたわぐるま」をデザインをしているようです。

いっぽう、絵に描かれるときの描き方は、ひとつダケの車輪であることを基本にしつつ多種多様で、そのうちの全然異なる画像要素でデザインされていたものを石燕は、「わにゅうどう」として別箇に描いています。

▼片輪車
「かたわぐるま」は、見ひらきでいっしょに描かれている「あぶらあかご」とは「子供の妖怪/子供を奪う妖怪」の対比になっていると見られます。

つぎの見ひらきに描かれている「わにゅうどう」とは、だいたいおなじ内容のものを画像要素単位で、別のものとして描いていると言えます。

▼むかし近江国甲賀郡に よなよな大路を車のきしる音しけり
石燕は、ほとんどの填詞[かきいれ]の内容を『諸国里人談』(巻2)にある「片輪車」のはなしを下敷きにして構成しています。中身はだいたいおなじもので、多少の字句の揺れがある程度です。

▼つみとがはわれにこそあれ小車のやるかたわかぬ子をばかくしそ
うっかり、興味ごころから「かたわぐるま」のことを家の中からのぞきみようとした女のひとは、「かたわぐるま」に子供を奪い去られてしまいます。そのとき女のひとが、とっさに母としての悲しみのこころを詠んだのがこの和歌です。

『諸国里人伝』では「罪科は我にこそあれ小車のやるかたわかぬ子をばかくしそ」――と表記されており、ほかの箇所と同様に、漢字で書く・書かないの違いぐらいの揺れになっています。

▼やさしの人かな さらば子をかへすなり
女のひとの詠んだ和歌を目にした「かたわぐるま」がその悲しみに感心して発したことば。これもそのまま『諸国里人談』に見られるものがそのまま下敷きになっているようです。


up.2026.07.03

■片輪車…諸国里人談、諸国百物語、朝野雑載




▼車…ここでの「車」は人間を乗せる「牛車」が想定されていたようぢゃ。実際に紋様としての古くからの「片輪車」も牛車に用いる車輪を図案にしたものだぞ
▼高灯篭…わきに空けられている3つの丸のかたちは「日・月・星」でいうところの「星」を示すもので、灯篭・行灯・提灯などにもしばしば空けられる形状ぢゃ
▼美女一人…『朝野雑載』(巻12)にも同じく和歌で感じ入る近江国甲賀郡の「かたわぐるま」のはなしがあり、「ひく人もなき車の片輪なるに美女一人乗たり」とあるのぢゃ
▼多種多彩…大別すれば画像要素は「車に乗った美女」と「車輪についた顔」のふたつに分かれるのぢゃ。「車輪についた顔」は女の場合もあれば男の場合もあり、どちらかすらわからないものもあり、描く画家たちの工夫によってさまざまになるぞ


▼やさしの人かな…『朝野雑載』(巻12)では「やさしき女かな さらば其子をかへすべし」と「かたわぐるま」は声をかけているのぢゃ