古山茶の霊
「ふるつばきのれい」には、木が古くなると妖怪になるという内容の填詞[かきいれ]が添えられています。
まえへ|つぎへ石燕は、「つばき」の木の化けた妖怪として「ふるつばきのれい」を描いており、花や枝・葉っぱのかたまりのようなデザインにしています。目が花びらに描き込まれて、花の部分が頭のよになっているほか、葉っぱは手のようになっています。
背後には、本体であるのか注連縄のまかれた「つばき」の古木や、まだ小さな小株の「つばき」が描かれています。そちらにも花や葉っぱはキチンと描き込まれており、それと比べると「ふるつばきのれい」の花は体格にあわせて「おおきめ」に描かれていることもうかがえます。
木々のうしろには小さなおやしろも描かれていますが、地面に垣根のかけらのようなものが散らばっていることを考えると、既にお参りする人間がいなくなったようなおやしろであるような雰囲気を読み取ることも出来るのかも知れません。
花をそのままデザイン化したようなすがたは、石燕が独自にデザインした画像要素ではあるようです。
また、「山茶」という字を「つばき」に用いているわけですが、これは「山茶」が『本草綱目』で「つばき」の正字として挙げられているのが淵源だと言えます。寺島良安『和漢三才図会』(巻84・灌木類)や『書言字考節用集』(巻6・生植門)でも「つばき」は「海石榴」の字が唐名として挙げられており、「つばき」としての「山茶」は見られません。
いっぽう、ドチラも「つばき」は「山茶花」つまり「さんざか」(さざんか)の仲間であるという意識で掲載はされており、「山茶」のほうが上位概念ではあったようですが、新井白石『東雅』の「海石榴」の項にあるように、「山茶」が「つばき」である、「海石榴」は「つばき」ではないとする解説も古くからありました。つまり、「山茶花」と「海石榴」ドチラのほうが「つばき」の本当にふさわしい正字なのかがキチンと定まっていなかったことも由来しているわけです。
「椿」という漢字が、日本で呼ばれている「つばき」と異なるという解説は古くからしばしばあり、「山茶」が「つばき」、「海紅」が「さざんか」であるという説かれ方もよくあった様子です。
「椿」という漢字が「つばき」とは異なる植物であるというはなしは、古くからあるものですが日本でつくられた文字として「つばき」の意味で通用慣用していたことも、これまた事実ではあります。
いっぽう、漢詩などでは憑馬が福者のお祝いのために詠んだ句のなかにある「霊椿一株老 丹桂五枝芳」――などを通じて、「霊椿」という字が長寿を示すことばとして古くから用いられて来ていました。そのことから、「霊椿」は「老松」や「仙桂」、「標梅」、「紫芝」などとおなじように縁起の良い、長寿や不老の意味も持って漢詩などには用いられて来ました。
そのつながりから、卯杖・卯槌の素材として「つばき」は用いられて来ました。『和漢三才図会』でも「つばき」は僧侶たちの杖の素材としてよく使われていることを載せています。
「霊椿」と似た意味で詩語として用いられていたものには「古椿」があり、コチラもことばとしては「古松」や「古梅」などとおなじように、一般に用いられていたようです。
▼古山茶の霊
「ふるつばきのれい」は、見ひらきにいっしょに描かれている「がんばりにゅうどう」とは、身近に知られていたような部類の妖怪として描かれているようではあります。
「つばき」と「ほととぎす」、漢字が一定してないものを含む同士であるとも言えます。
▼ふる山茶[つばき]の精 怪しき形と化して 人をたぶらかす事ありとぞ
見出しとしては「ふるつばきのれい」としていますが、填詞[かきいれ]では「ふるつばきのせい」と呼んでおり、あまり「霊」や「精」の違いに厳密な典拠自体はない様子です。
▼すべて古木[こぼく]は妖[よう]をなす事多し
年を経た木が妖をなす――ということは「ほうこう」や「ばしょうのせい」などでも触れられていることなので、それらのことを引っぱって来ているようです。
鎌田一窓『売卜先生糠俵』(1777)の前編のいちばん最後のほうに出て来る「化物は有る物ん無き物か」という話題には、病気で臥せっているとき、庭に亡くなった主人の「ゆうれい」が立っていて、ずっと手招きをしているのが見えつづけてびっくりしていたが、本復後によく確認したら「つばき」と「やなぎ」の木がそのように見えていたダケで、ただの見間違えだった、「化物の正体」というものはこういうものかも知れない――という「正体みたり枯尾花」方式のはなしに「つばき」の木が見られます。
山岡元隣『百物語評判』(1686)でも「ほうこう」(巻1)はなしは紹介されており「千歳を経し木」などとあり、狄仁桀[てきじんけつ]の前に出て来た「ぼたん」の精についてのはなしも載せていますが、「つばき」については登場しません。
『伽婢子』にも「早梅花妖精」(巻12)のはなしには日本では埴科文次[はにしなのぶんじ]という武士が「うめ」の花、大陸では崔護[さいご]という人物が「もも」の花の精の化けした美女と出会って詩歌をやりとりしたはなしが展開されています。『新御伽婢子』の「樹神罰」(巻2)も、絹屋さんの裏にある「えのき」の古い木のはなしです。
『諸国百物語』でも「三本杉を足にてけたるむくいの事」(巻5)が木にまつわるはなしですが、登場するのは日光にある「すぎ」の木であって「つばき」の木は見られません。
『一休諸国物語』(巻4)には、化物たちの巣食う寺に一休が行くはなしがあり、「とうやのばづ」(東野の馬頭)「さいちくりんのけいさんぞく」(西竹林の鶏三足)「なんちのりぎょ」(南池の鯉魚)などが出て来ますが、「つばき」の木で出来た槌にあたる妖怪は、このはなしですと登場していません。
up.2026.07.07
■古山茶の霊
▼海石榴…唐の時代までに日本からもたらされたので「海」の字が入っていると語られるぞ。「海」の字のついている唐名の植物は中華から見た「外来」のものであるという説明は新井白石『東雅』にも見られるのぢゃ
▼山茶…岩崎常正『本草図譜』(巻91・灌木類)でも「つばき」は「山茶」として挙げられており、別名には「曼陀羅」が挙げられているのぢゃ
▼さんざか…「山茶花」のよみかたとしては「さんざか」が正しいわけぢゃが、口語としての舌まわりの良さから「さざんか」という呼び方が一定以上に普及して、ソチラが慣用として広く用いられるようになったぞ
▼和漢三才図会…『和漢三才図会』(巻84)でも掲載されている順番も「山茶花」のほうが先で、「海石榴」はそのあとに陳列されているのぢゃ。◆『和漢三才図会』(巻84・灌木類)曰「按海石榴 即 山茶花之一類也 樹葉花実似山茶花而大」
▼東雅…◆新井白石『東雅』曰「舜水朱氏 我国のツバキを見て。これ山茶也。此国の花は。唐国のものより種類多くして。花もまされりといひしといふ也。我が師也し人は。凡花木名海者。皆従海外来。といひし事あり。かしこにして。海石榴と呼ぶ事。其初此より伝しも知るべからず。といひ給ひき。或人の説に。ツバキは山茶也。俗用椿字甚非といひけり。もし椿の字をもて、即今のツバキ也とせんには。其非なる事いふに及ばず」
▼霊椿…「霊椿之寿」という言い回しなども、長寿の意味で用いられていたのぢゃ
▼ふるつばき…天明年間以後の狂歌に「古椿」があるのは、この石燕の「ふるつばきのれい」を逆に見本にしていろいろな属性をつけ加えて各自が詠んでいるようぢゃ
▼妖をなす…『垣根草』(巻3)では古寺にあった仏像たちが化けたはなしのなかにも「物[もの]千載におよぶときは必ず妖をなすといふ」とあるぞ
▼鎌田一窓(1721-1804)医師、心学者。号に虚白斎など。京都で活躍した人物ぢゃ
▼売卜先生糠俵…この本では「つばき」に「山茶花」を用いているぞ
▼見間違え…はなしの前半には「長押に掛けた弓を蛇だと見間違えた」とか「腐ったなすびを蟇蛙だと思い込んだ」といった古くから知られる例もあるぞ
▼正体…◆『売卜先生糠俵』曰「実[まこと]に化物の正体見貫[みぬか]んと思はば 先[まづ]自身を見貫べし」