川赤子
「かわあかご」には、川にいる妖怪だとする填詞[かきいれ]が添えられています。
まえへ|つぎへ石燕は、川のなかに生えている草花の隙間から顔を出している小さな幼児のすがたの妖怪として「かわあかご」を描いています。衣服などはつけておらず、はだかんぼのようです。
もじゃもじゃと咲いている花は「水葵」[みずあおい]などのようです。また葉っぱのなかには「沢瀉」[おもだか]のようなものも混じって描かれており、単品ではなく複数の草花が混ぜ込んであります。
「かわあかご」の向かいの川面には、細い丸木が組まれており、釣竿[つりざお]と魚篭[びく]が置き忘れられています。
山岡元隣『百物語評判』(1686)の「舟幽霊」(巻4)のはなしは「ふなゆうれい」についての能書きがおわったあとに、丹波国の「うばがび」のはなしが展開されています。
このはなしは、人買いをしていた悪い老婆が洪水でおぼれしんで、川に怪火が飛ぶようになった――という展開なのですが、その火は老婆に殺された「小児の亡魂」たちだともされています。老婆は金を子供をもらうときに生みの親から受け取る「金」のほうが目当てであって、子供はすぐに川に打ち捨てて、殺してつづけていたんだソウナ。
石燕が「ふなゆうれい」と見ひらきでいっしょに描いていることも踏まえると、『百物語評判』のおなじ項に出て来る「川」に捨てられていた子供たちの亡魂という設定が、「かわあかご」の情報要素となって、「絵」としてデザインされたのではないでしょうか。
「赤子」のような声がするというはなしは、「赤子淵」などの名で日本各地に伝承要素としても存在するわけで、そのような素材に「かわあかご」という呼び名をつけて「絵」にした――という手順も十分に考えられます。
いっぽう、そのころの江戸の小石川には「赤子橋」という小さい石の橋があり、「赤子橋通り」という川沿いの道も存在していました。住所の表示としても用いられるぐらいには、知られていた橋の名前ではあります。
石燕や門人たち、あるいは近しい関係の武士たちにとって、「赤子」と「川」と言えば、すぐ「赤子橋」は地名として結びつきやすいものだったとは言えそうで、「かわあかご」という呼び名のつけ方には、チョットは資していそうな部分があります。
▼川赤子
「かわあかご」は、見ひらきでいっしょに描かれている「ふなゆうれい」とは水に関するもの同士として描かれているようです。こちらは水のなかでも「川」のほう。
▼山川のもくずのうちに 赤子のかたちしたるものあり
「山川」は谷川などのこと。「やまがわの」は枕詞[まくらことば]だと「早し」や「音」などにかかるものです。
『百物語評判』(巻4)では「ふなゆうれい」を説明している文章のなかに「底のみくづ」ということばが出て来ます。
▼川太郎 川童の類ならんか
「かっぱ」の仲間なのかも知れないネ――と石燕はおどけているわけですが、この箇所に特に典拠となるものがあるわけではないようで、戯文調な填詞[かきいれ]でしかないようです。
up.2026.07.06
■川赤子
▼草花…「かっぱ」で描いたものと似たような構図になっているのは意図されたものだと言えそうぢゃ
▼人買い…『百物語評判』の本文には「生みの親のかたよりは金銀をとりておのれが物とし 其子は川へながせしとかや」とあるので、よそへ出してしまう子供の斡旋のための費用を、親からもらうことが目的だったことが知れるのぢゃ
▼小石川…石燕の門人である恋川春町の家があったのは小石川の春日町で、戯名の由来でもあるので、「赤子橋通り」もまんざら無関係な土地でもないわけぢゃ
▼赤子橋…『御府内備考』によると、橋の上に捨て子がいたから「赤子橋」[あかごばし]になったという語源説があるが、むかしは「御駕篭橋」[おかごばし]と呼ばれていたものが「あかご」に転訛したともよく語られてたそうぢゃ
▼川童…「川童」のほうには「童」のほうに「わらは」という傍訓があるので、ここでは「かっぱ」ではなく「かわかわらわ」というよみを想定していたらしいぞ