燭陰
「しょくいん」には、漢籍由来の内容に即した填詞[かきいれ]が添えられています。
まえへ|つぎへ石燕は、巨大な竜蛇のからだをした存在として「しょくいん」を描いています。あたりには立派な山も描き込まれていて、「しょくいん」の住んでいるとされる鍾山[しょうざん]の光景をうまく想像してつくりだしています。
「しょくいん」の身体をぐるぐるッと一度、山の峰のひとつに絡ませて描いている絵づくりがポイントで、ただ蛇体をまっすぐに描くダケではない動きのおもしろさを加えています。この描き方は、先行する日本での肉筆で描かれた「しょくいん」たちとも異なるので、独自な絵づくりなのかとも見られます。
「しょくいん」の暮らしている鍾山のある地は、北のほうにあるとされ、『山海経』(海外北経)では巻頭のほうに出て来ており、「西北」に位置する長股[ちょうこ]国から見て「東」にあるので、さらにしぼってゆくとチョットだけ東に進んだ「北西」の地にあると考えられます。
「海外北経」のほかには「大荒北経」の最後にもほぼ同様な内容をもつ「しょくりゅう」(燭竜)についてが書かれており、「西北」にある赤水という川の北にある章尾山に棲んでいるとされます。
石燕の填詞[かきいれ]は「海外北経」情報のみで構成されており、途中から先が省略されてしまっているので形状については示しているものの、基本的な性質の部分がまったく出て来ていなかったりもします。
目をとじると夜になり、目をひらくと昼になる――つまり、夜と朝のいれかわりをさせていたり、吹けば冬となり、呼べば夏となり、息は風となる――など季節のうつりかわりについても言及が出て来るように、「しょくいん」は太陽や季節の動き、あるいは同様に「きょうこう」(共工)と関係の深い存在だとむかしから考えられています。
『事林広記』(巻9・庚集)に掲載されている綺語門(いろいろな事物の異名をあつめてある部門)でも、「日」のところに「燭竜」と「羲馭」の語が確認出来ます。
『和漢三才図会』のお手本にもなった『三才図会』をはじめとした「類書」や、そこで紹介された『山海経』などに由来する存在たちを絵巻物・絵本に独立させて仕立てた『山海異形』などでも「しょくいん」は、17世紀ごろから「絵」としては描かれいましたので、『山海経』に出て来る存在のうちでは多くのひとに描かれて来ている部類にあたります。
ただし、色彩設計の面では揺れが存在していて、情報要素としては「赤色」とされているのに、そこが欠けてしまう環境では、普通の竜蛇のように「緑色」で彩色されている作品も、間々見受けられるようです。
石燕の「絵」は墨とねずみ色のみの単色で、多色摺りではないのでハッキリしませんが、お手本とする作品によっては「赤色」ではなかった、かも知れません。
「しょくいん」は紹介される書籍によっては「燭竜」とも書かれます。また、『和漢三才図会』(巻14・外夷人物)では「燭」の字が「獨」(独)となっており、「どくいん」となっています。
ただし、石燕が填詞[かきいれ]で使っている情報要素は「北海の地なり」という記載も含め、二次的な書物に部分的に引用されて来た文章のみでも成立してしまうので、石燕が『山海経』をキチンと見ているのか、見ていないのかについてはハッキリしません。
▼燭陰
「しょくいん」は、見ひらきにいっしょに描かれている「にんめんじゅ」とは大陸に伝わる存在、また「人間みたいな顔のついてるもの」同士として描かれていると言えそうです。
石燕は填詞[かきいれ]にまったく言及してないものの、「しょくいん」もまた「風」として「気」を吐く存在ではありますから、「しんきろう」とは繋がりのある連動になっています。
▼山海経[せんがいけう]に曰[いはく]鍾山[しゃうざん]の神を燭陰といふ
『和漢三才図会』(巻14・外夷人物)では「三才図会云 鍾山有神名曰独陰」とあります。『山海経』にある内容を『三才図会』が掲載しておりソレを収録しました――ということは『和漢三才図会』でも明示されているので、そこまで複雑に考えなくとも、『和漢三才図会』の内容を自動的に「山海経にいわく――」と吹き替えることは容易であったハズです。
▼身のたけ千里 そのかたち人面竜身にして赤色なり
『和漢三才図会』には『三才図会』を引用して「身長百里 其状人面竜身 赤色」――とあり、石燕がキチンと「千里」としている『山海経』の記述に修正していることが知れますが、「竜身」という表現は『山海経』の本文では「蛇身」であって、『和漢三才図会』のままになっています。
名称の用字の差異(燭陰/独陰)と同様、『和漢三才図会』以外の「燭陰」を引用掲載している書物があれば解決してしまうことなので、石燕が『山海経』を直接参照して修正したのかどうかについてはハッキリしません。
たとえば、詩語をさがすための字書である『円機活法』でも「日」の項に「陽烏」(太陽にいる3本足のからす)の次に「燭竜」が配置されており、「山海経云 鍾山之神名曰燭陰 視為昼 瞑為夜 吹為冬 呼為夏 身長千里 人面蛇身 赤色 又名燭竜 天不足西北 無陰陽消息 故有竜銜火精 照天門」――と、『山海経』の本文と註釈の内容をミックスしたような文言で解説されています。
▼鍾山は北海の地なり
これも『和漢三才図会』には『三才図会』を引用して「北海外 鍾山」――とあり、ソコから書いているようだとも考えられます。
「北海外」という記述は、『山海経』にはない部分で、引用されて切り離された結果として「海外北経」の内容であることを示すために『三才図会』の段階で足された箇所です。
up.2026.07.21
■燭陰…山海経
▼海外北経…この巻では、北の方角の地域を西から東に順々に紹介してゆく構成になっているのぢゃ
▼長股国…足がとてもながい人々の暮らしている土地。「海外西経」の最後に記載されており、この巻は西にあるものを南から北に向かって順々に紹介しているので西北の地にあると想定出来るのぢゃ
▼西北…『淮南子』では「燭竜在雁門北」とあって「雁門」の地の北に「燭竜」がいるとされるのぢゃ
▼荒外北経…この巻では、北の方角の地域を北東から北西に向かって順々に紹介してゆく構成になっているのぢゃ
▼章尾山…当然のことながら、「鍾山」と「章尾山」はおなじ山であるという解釈もしばしば講じられているのぢゃ
▼太陽…林巳奈夫「殷周時代の鬼神の戴く 茸形の角について(『泉屋博古館紀要』9、1993)などでも、太陽の光を象徴する竜たちや古代の造形の例とあわせて「しょくいん」が講じられているのぢゃ。このような太陽の動きに結びつける解釈は、『円機活法』のような字書などでも「燭竜」が「日」の項に掲載されていることからも明確なことだぞ。対して小川琢治は『数理地理学』(1948)などで「燭竜又は燭陰なるものは極光を指すものにして」とか「幕状極光の長蛇の蟠居せるが如き形状を形容し得て妙なり」――と講じているわけぢゃが、そちらだと形状を「極光から想像した」というハナシとしてしは理解出来るが、季節のうつりかわりや、昼夜明晦をつくるという部分の説明が何もつかないことになるぞ
▼共工…天下を荒らした、おなじく太古のむかしの人面蛇体の神。『神異経』では「人面朱髪蛇身」であるとも説かれる。共工が、天地を支える天柱を1本破壊したので、補修後も世界はすこし西に傾いている、その結果として潮の干満や季節による太陽の動きに違いが出るということは古くから史書や軍談でも語られてよく知られているのぢゃ。共工と燭陰の共通性は、森安太郎『殷商祖神考』でも説かれており、『孟子』での共工の流罪先である「幽州」は『山海経』の「幽都」(北山経「西望 幽都之山 浴水出焉 是有大蛇 赤首白身 其音如牛 見則其邑大旱」海内経「北海之内有山 名曰幽都之山」)であり、共工が破壊した不周山も「北西」(大荒西経「西北海之外 大荒之隅 有山不合 名曰不周負子」)にあることを並べているぞ
▼羲馭…ぎぎょ。太陽の神である「羲和」が日輪の馬車を運転して駈ける様子を言ったことばぢゃ
▼類書…いろいろな分野の実用事項をあつめて載せた事典のような書物
▼山海異形…肉筆の絵本として製作されていたことが知られるぞ。この系統では「しょくいん」は緑色で彩色されていることが多いのぢゃ
▼赤色…◆『山海経』(海外北経)曰「人面蛇身 赤色」◆『山海経』(大荒北経)曰「人面蛇身 而赤 直目正乗」
▼山海経を見ているのか…石燕が『山海経』に描かれている存在を題材にしているのは、結局のところ「しょくいん」と「にんぎょ」にとどまっており、言及している情報要素も『和漢三才図会』で事足りてしまうので、原書そのものを見ていたのかどうかはハッキリせぬのぢゃ
▼山海経…◆『山海経』(海外北経)曰「鍾山之神 名曰燭陰 視為昼 瞑為夜 吹為冬 呼為夏 不飲不食不息 息為風 新身長千里」」◆『山海経』(大荒北経)曰「其瞑乃晦 其視乃明 不食不寝不息 風雨是謁 是燭九陰 是為燭竜」