泥田坊
「どろたぼう」には、どろたぼうということばの意味を踏まえた填詞[かきいれ]が添えられています。
まえへ|つぎへ石燕は、田んぼの泥のなかから体を出して、ひとつの大きな目の玉をギョロつかせて両手を突き出し、叫んでいるようなすがたの「どろたぼう」を描いています。
うねうねしたほそい畔道[あぜみち]の走っている田んぼの脇には、粗い竹の垣根と傍示石が立っており、田舎道な景観が描かれています。
「どろたぼう」ということばは「泥田坊」や「泥田棒」などの字があてられていたもので、構造としては「どろぼう」(泥棒・泥坊)ともほぼ同様なことばでもあります。もともとは「泥田で棒を打つ」という慣用句で、「むちゃくちゃ無分別なことをする」とか「周囲に迷惑をかける」、「益のないことをする」といった意味合いがあります。
この「迷惑」とか「乱暴」の部分が発展して「どろたぼう」は、「乱暴にぬすみを働く人間」(盗賊)や「悪所通いをする親不孝な人間」(道楽)の形容にも広く用いられていて、たとえば「どろぼう」などはそのまま「盗賊」のみを示すことばのようになってしまったとも考えられています。
ですから、『手代袖算盤』(1713)にも「胸算用は粟津[あはづ]どろ田棒となりて」――という掛けことばが飛び出て来たりもしますし、『男色木芽漬』(1702)には熊坂長範[くまさかちょうはん]みたいな悪者たちの名前のひとつに「泥田棒之介」が出て来たりもしていて、キャラクター名として「どろたぼう」を採用している例も、むかしからあったことが知れます。
ことばをモトにして、そこから連想されるデザインをつくって、ひとつの画像妖怪として仕立てる手法は、「こくりばば」や「ひまむしにゅうどう」、「はたひろ」、「じゃたい」、「けうけげん」、「きょうこつ」などなどにも用いられていて、百鬼拾遺になってから増量多されている創作手順です。
このような純粋に画像要素でしか成立していない画像妖怪たちは、現代において「妖怪」に一律に抱かれがちな「地域に伝えられていた伝承」のような内容や性質が「存在しない」わけですが、「そういうかたちの妖怪」として創造されることで成立するのが画像妖怪ですから、「伝承された内容や性質が存在しない」からといって、その存在価値に貴賎があるということではありません。
▼泥田坊
「どろたぼう」は、見ひらきにいっしょに描かれている「こくりばばあ」とはよく使われてたことばからデザインした画像妖怪たち同士として対に並べられているようです。
▼むかし北国[ほくこく]に翁[おきな]あり
田んぼの持ち主のおじいさんのはなしがはじまりますが、何に拠った話であるかなどの表示はありません。
▼寒暑風雨をさけず 時々の耕作おこたらざりしに この翁[おきな]死してより
おじいさんは、しぬまでコツコツ殖やした田地を手入れして働き者だったようです。
▼その子 酒にふけりて農業を事とせず はてには この田地を他人に うりあたへければ
おじいさんの家の子供は、こつこつ働きもせず酒に耽溺して、しまいには田地も売り払ってしまいました。
このような子供の所業こそが、一般的に使われていた「どろたぼう」にあたる箇所だと言え、「どろたぼう」ということばからデザインした画像妖怪であるからこその「納得の(安定の)展開」だということにもなるわけでしょう。
▼夜な夜な目の一つある くろきもの いでて 田かへせ 田かへせと ののしりけり
石燕が「絵」として描いたものを改めて叙述している部分。
填詞[かきいれ]は、かなり長文なのですが「どろたぼう」という妖怪が広く知られていたという事実は、いまのところ確認されていませんから、他のことばからデザインされた画像妖怪たち同様に、石燕が一般的に用いられていた「どろたぼう」ということばを素材に、画像妖怪として創り出して「絵」としたものであると考えるのが、わかりやすい解釈です。
ただし、填詞[かきいれ]を読む限りでは、これがおじいさんの霊の化したものなのか、売り払われてしまった田んぼの変じたものなのか、はたまた道楽者な子供のなれの果てなのか、ハッキリしません。
それは、この「田かえせ田かえせ」と叫ぶ「どろたぼう」が、誰によって見聞きされるべきものなのかも、描写されていないからです。
「どろたぼう」を見聞きすると想定される人間が、息子であれば「おじいさん」または「田地」の妖怪かも知れませんし、範囲として想定可能な、おばあさん・孫あるいは近所の村人であるとすれば「おじいさん」「田地」「息子」3つとも全部が対象候補に入ってしまいます。
「こくりばばあ」との対の関係を「篤実な翁/強欲な婆」と見れば、「おじいさん」の霊がなったものだと加算出来ますが、「道楽な息子/強欲な婆」と見ることも可能なので、そうすると「息子」の霊が堕ちたものだとすることも出来てしまうわけです。
up.2026.07.25
■泥田坊
▼どろぼう…「どろたぼう」の意味の「どろぼう」が盗賊の意味ダケにしぼられていってしまった、という流れの考察は三田村鳶魚などによるもの
▼悪者たち…『男色木芽漬』に泥田棒之介といっしょに出て来る悪党な登場人物たちの名前には他に、矢切雲八[やきりうんぱち]というのもあるぞ。「やきり」も家の壁などを破ってぬすみを働くわるいことぢゃ
▼名前…当時の実在人物に、泥田坊夢成[どろたぼうゆめなり]という戯作者もいますが、コレも「どろたぼう」ということばが盗賊や道楽者の代名詞として成立していたことのほうが先にあってのものであると言えるものぢゃ
▼寒暑風雨…「寒暑風雨をいとわず」や「寒暑風雨を論ぜず」など、休まずコツコツ働くことにはよく使われる決まり文句ぢゃ
▼時々の耕作…季節ごとの農作業
▼田かえせ…現代では「田かえせ」ではなく「田をかえせ」と現代語訳(?)されて紹介されることが多いのぢゃ