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妖怪要説 鬼質学紺珠

鬼質時代 現代(Contemporary)

現時点の日本の妖界の様子に至る状況の重要な転換に画像への伝承の曖昧な食い込み(佃承を含む)の一般化がある。主にその変化をもたらした年代とそこで発生した(あるいは再生されていった)妖怪たちを現代の妖怪として取り扱っている。

佃承は現代のみに発生したものではなく、誣物語などをはじめとして似たようなかたちでの付会は多かれ少なかれ過去には存在していた。現代の佃承の特徴には、「伝承と画像が必ず同時に存在する」というかたち、「それが伝承として存在していた」とするかたち等が挙げられる。これは後絵巻紀(Upper Emaki period)や後絵本紀(Upper Ehon period)に生まれた画像成分のみ豊富な妖怪たちが、理論的づけられはじめた圓國紀(En-Koku period)の妖怪の上に櫓を組んでしまったために発生した歪みであり、2000年代初期に至るまで幅広く浸透していった。

いっぽう、現代でもそのまま成長をつづけている圓國紀(En-Koku period)の伝承妖怪たちも情報としての認識数は拡大しており、それらはわいら紀(Waira period)なども通じて増えている。また口裂紀(Kutisake period)を通過しつつ、文明の進展に従って発生したあらたな装いの妖怪たちなどを中心に拡大している。

現代以後に発生したあらたな妖怪たちの画像伝承の成分は、はじめから画像成分をシッカリともなったかたちで生まれる場合も多くなったことを受け、明確に分離されないかたちで存在している場合が多い。

ぬらりひょん紀(ぬらりひょんき) Nurarihyon period

江馬務や藤澤衛彦あるいは吉川観方・尾崎久弥らによる足利代(Ashikaga era)から近代(Modern era)にかけての絵巻物や絵本にみられる画像妖怪たちのまとまった蘇生・発達がつづいた頃。
圓國紀(En-Koku period)からの影響か、徳川代に発生した画像細胞のみだった妖怪たちが独自の進化へとすすんでゆくきざしがこの時代区分に散見されている。――この時点で進化をすすめたというよりも、このときの取り扱われの仕方が、現代にみられる大きな変化(画像と伝承の混淆)をもたらしたといえる。その証拠として空亡紀(Soranasi period)に入るまで画像妖怪たちの大部分はこの頃に紹介されたものが9割以上を占めていた。

▼藤澤衛彦『妖怪画談全集』日本編・上(1929)にあるぬらりひょんなどの解説が、はからずも以後の時代区分での進化の種子となっていったことが命名の由来。

びろーん紀(びろーんき) Biron period

ぬらりひょん紀(Nurarihyon period)に発達した妖怪たちが独自の進化を果たした頃。とりわけ画像妖怪が多く栄えた。1960年代中頃を起点としておもに作家たちが雑誌の妖怪特集記事などを通じて拡大させていった。その際、絵入の記事が豊富に用いられていったことが画像の認識を一挙にひろめた。

もともとの解説するような性質の存在しない画像妖怪たちには、参考資料でつけられていた文章を栄養素として、あるいはそのようなものがなかったりした場合はまったくあらたにつくられた佃承がつけられていった。注意しておくべきは、既存の画像妖怪佃承として添加されていった内容が何に由来しているかである。まったくの机上の空想である場合もあるが、その要素はさまざまな作品や伝承から摂取された要素で成り立っている場合も多い。

既存の進化以外に、あたらしくつくられた画像妖怪も多い。現代の妖怪の進化・変化・分化を考える上で画像妖怪にもあらたなものは次々と増え続けていることを忘却してはならぬ。それぞれの時代に必ず増えているのである。

海外からの移入も、おもに洋書あるいは映画などを通じて進んでいる。チョンチョンバックベアードなどが例として挙げられる。

▼佐藤有文『日本妖怪図鑑』(1972)などに見られるびろーん徳川代に描かれたと思われる設定のない画像妖怪にあらたな解説を添加することで生み出された妖怪)が命名の由来。

わいら紀(わいらき) Waira period

圓國紀(En-Koku period)に発達した伝承妖怪たちが画像の分野で独自の進化を果たした頃。前の2つの時代区分(ぬらりひょん紀、びろーん紀)で発達した画像妖怪たちも含まれているが、その多くは伝承要素を添加されたかたち――疑似伝承妖怪つまりは佃承妖怪として発達させたものが栄えた。空亡紀の直接の温床となったのは、この時代である。

1950〜1980年代にかけて、圓國紀の発達によって数多く知られるようになった伝承妖怪たちが、柳田國男や今野圓輔などを通じて知られるようになり、画像の領域ではぬらりひょん紀に紹介された画像妖怪たちと同列に描かれたりするようになっており、そこで画像伝承の混淆は激しく進み、妖怪には「伝承と画像が必ず同時に存在する」というかたちが完全なものとなった。びろーん紀との違いは、それが画像の領域から伝承の領域に伝播しだし、画像妖怪に伝承を持たせるために添加された佃承が、画像妖怪から離れても存在できうる伝承にもなりはじめてしまった点である。

▼山田野理夫『おばけ文庫』(1976)などに見られるわいらの説話(雄と雌で色が違う)が命名の由来である。
▼水木しげるの1980年代以後の妖怪図鑑などは、わいら紀の影響が高いものであるといえる。

口裂紀(くちさけき) Kutisake period

口裂女(くちさけおんな)などが代表として挙げられる。近代までに発達して来た伝承妖怪のうち、びろーん紀(Biron period)に起きた過剰な怪奇進化を経たものが多く見られるようになった頃にあたる。紫陌に唱えるところのUrban legend(都市伝説)にあたるものが増え、かつ恐怖の感情に訴えるものが主流となったのも特徴である。流言などを介して拡がる事が多いが、種類の割りに長期間にわたってそのままの状態を保って栄える数はひとにぎりであった。

こっくりさんの様相が転換したのも、口裂紀における進化にあたる。

1990年代以後は、この時期のものが題材となった作品も増え、画像要素が強いものも多くなり連鎖関係でいえば鬼・天狗・河童などのように、伝承と画像の両要素の安定を得たあたらしい妖怪の数もじょじょに拡大している。2000年代以後はインターネットなどを通じて変化・分化したもの、あたらしいものがこちらも出つづけている。

▼長期間にわたってそのままの状態を保って栄える妖怪は、主として本・雑誌や映像など画像成分を強く獲得したものに限られた。いっぽうで、呼び名も定まらないまま語られつづけている妖怪、消え去ってしまった妖怪も多く見られるはずである。

空亡紀(そらなしき) Soranasi period

2000年代以後、双方向性のある情報空間が日常生活のなかに生まれることによって伝承画像どちらも共に情報密度の加速が進んでいった頃。

近代以前に発達した妖怪たちと、現代の各紀に進化した妖怪たちが混在している中で、さらに新しい進化などが見られる。 新発生であれ、進化であれ、その様相はこれまでの鬼質時代区分のなかでは徳川代の後絵本紀(Upper Ehon period)に近い。

▼ひとつの作品で空亡(くうぼう)という名で紹介された『百鬼夜行絵巻』の巻末に登場する赤くてまるい炎のかたまり(『陰陽妖怪絵巻 絵解』)が、いくつかの情報の転々を経て、最強の妖怪であるという情報にきわめて短期間で情報定着したことが命名の由来。

page ver.1.2 2018.7.16 妖怪仝友会