もどる

妖怪要説 鬼質学紺珠

鬼質時代 近代(Modern era)

鬼質時代区分での現代と近代の違いは、伝承妖怪画像妖怪の乖離と混交である。

詳しく述べれば、なるべく画像妖怪ではない伝承妖怪を切り出して整頓する見方が生まれた(圓國紀)期間が近代(Modern era)であり、それとは別に画像妖怪と伝承妖怪とが並行・混交した状態があり(今までの各時代区分+開化紀・新おとぎ紀)そこに近代が影響を与えることによってさらに多くの進化が発生しはじめたのが現代である。

開化紀(かいかき) Kaika period

安政文久(1855〜1861年)の欧米に対しての開港以後、徳川代の一般社会に存在した以外の西洋の文化が多く入ってきた頃。ただし、このあたりは階層差が存在するので、徳川代中葉から蕃書を通じて入って来た妖怪たちも早い時期のものとしてこちらにあてたほうが流れは把握しやすい。

伝承妖怪の中には機関車に化けた狐狸など、画像妖怪の中には戯文に登場する鯰公などが代表的な妖怪として挙げられるほか、豆絵でも蝙蝠傘(洋傘)・ランプ・地球儀・インク壺・学校・月給取りなど新たな題材が自然と増殖していった。

こっくりさんは、明治16〜20年ころにアメリカから流入している。(参考…宮武外骨「奇事流行物語」)

▼宗教以外の要素に重きをなした海外文物の深い流入を基軸に考えるのが開化紀のおおよその区分判断となっている。いっぽう、新おとぎ紀とのハッキリした区別をどこにつけるかの境目が多少曖昧ではある。

圓國紀(えんこくき) En-Koku period

井上圓了によるScience(科学)、柳田國男によるFolklore(民俗学)による照らし出しが起きた頃。日本の各地方地方の人間の生そのままに近いの伝承が多く観測出来るのはこの時代以後のものである。伝承妖怪の流れで言えば新著聞紀(徳川代)を直接受けている側面が強く、流入発達も多い。

Folklore(民俗学)の発達による大幅な伝承妖怪の流通化や圓了の打ち出した理論との区別から、開化紀に圓了世を入れ、こちらを別に國男紀と称するべきであるとする場合もあるが、圓國紀の基本的な向きは伝承妖怪を真面目に舞台のうえにあげた、という画期である。現代にも多く見られる、伝承妖怪を基本対象とする研究や言及の流れは、この圓國紀がそのまま延長している上にあるものである。

このほか別の角度からひかりを当てようとしていた同時期の存在として、坪井正五郎たちによる「化物会」の取扱い趣意(1907年)なども確認されており、ここでは画像と伝承とを乖離させず多方面から研究をするとの旨が打ち立てられていたが、その活動が実現した記録はまだ見えていない。

▼円国紀と表記しても良い。¥国すなわちニッポンである。
▼井上圓了の示した妖怪は範囲がひろく、伝承と画像の乖離とも無関係であった。
▼柳田國男らの動きは、現代ぬらりひょん紀と時空上の年代は重なっている。ここで伝承・画像の乖離を進んだいっぽう、そこで乖離をおこなったことが逆にびろーん紀以後の混淆を深めてしまった点はふしぎな合流であった。
▼化物会の動きは内容とは別の部分での理由からか短期間で立ち消えになってしまったようである。当時の資料は、こぐろう『明治の讀賣新聞における「化物会」の活動について』に集成されている。

新おとぎ紀(しん-おとぎき) Upper Otogi period

おとぎ紀(足利代)に発生したものが新たに進化したり、世界各地から輸入されたものが流入していった頃。神話や伝説、昔話などが主であるが、伝承だけに限ったものではなく各種の理論あるいは戯曲や小説、創作を含めての噂話や俗信・迷信なども広く含まれる。

欧米からの影響が多大でもある。例を挙げればノルウェーのHellig-Olav(聖オーラフ)の話が翻案されて『大工と鬼六』になったりしている。(参考…櫻井美紀「「大工と鬼六」の周辺」)また、各国の神話伝説や、グリム童話、イソップ童話などの影響も以前の時代区分以上に濃いものとなっている。

画像方面への応用が非常に高く、妖精悪魔魔女人魚のイメージが欧米の画像妖怪のデザインを摂取して定着していった時代である。

▼FantasyやScience Fictionについて含まれる要素も強く、これは現代まで直接つづいているといっても良い。

page ver.1.2 2018.7.16 妖怪仝友会