もどる

ひので

鳥山石燕百石乳|今昔画図続百鬼

日の出

日の出

「ひので」には、太平記についての内容も盛り込んだ填詞[かきいれ]が添えられています。目録では「日の出」の表記がありますが、本文の側では見出しがつけられてはおらず、かわりに「神亀書献 竜馬負図」としるされた印が朱で摺られており、聖代や良い君主の存在を利かせています。

まえへつぎへ

■真っ赤にひかる紅旭

石燕は、昧爽[よあけ]どきの空に輝くお日様と、その到来のひかりを浴びて消えてゆく妖怪たちの群れを描いています。画面の左から見ずに向かって進む画像妖怪たちは、いろいろなかたちにデザインされていますが、いずれもねずみ色の薄い版と濃い版とで統一されて描かれています。

空は、3羽の「からす」たちも飛んでおり、「明鴉」[あけがらす]を示しています。「からす」たちは最初の見ひらきの絵「おうまがとき」にも登場しています。

お日様には、キチンと朱の色版が入っており、その存在をハッキリと色つきで描写しています。色版は効率的に用いられており、「日」の色に用いられていると同時に、画面の手前に並んでいる松[まつ]の木たちの幹や枝の色、画中に捺された印たちの色としても用いられています。

■うっすら霜露のように消えてゆく

描き込まれている妖怪たちの群れは、特に個別に性質をもった存在たちや、本編で出て来た妖怪たちの再出ではなく、新規に別の画像妖怪たちが並べられています。

手前の列の画像妖怪たちは、薄いねずみ色の版で輪郭線を摺る形式、奥の列の画像妖怪たちは、濃いねずみ色の版で影だけをぬりつぶして摺る形式で特徴的に描写されています。

さらに手前にある松[まつ]の木たちは、キチンとした墨線と色版で摺られおり、じょじょに奥に行くほどすがたが薄くぼんやりしてゆくという木版独特の効果も施された、手間のかかった仕上げです。

手前の列の妖怪たちは体や腕などが、もくもくとした雲のような状態になっている箇所も多く、「おうまがとき」で描かれている画像妖怪たちとも共通した基本デザインのつくりかたが見受けられます。

主題としては、妖怪たちがすがたを綺麗に隠す様子を描いており、前編である『画図百鬼夜行』と、後編である『今昔画図続百鬼』のひとまずの完結の「絵」としての祝儀性が持たされており、キチンとした構成のもとでの選択になっています。

おうまがとき」とおなじく、その絵柄や構図には土佐家・狩野家などで描かれて来た『百鬼夜行絵巻』からの画像要素の影響が強く出ています。

▼日の出
「ひので」は、、見ひらきをまるごと使った画面で描かれています。

上巻の巻頭に配置された「おうまがとき」とは、「暮れ/明け」の対になっています。

▼夫[それ] 妖[よう]は徳に勝たずといへり
「妖不勝徳」(ようはとくにかたず)というのは大陸の史書などでしばしば出て来ることばで、立派な徳のあつい君主の治めている天下には妖怪は顔を出しつづけてはいられないものだ――といったもの。

『太平記』(巻30)では後村上天皇が平安京に復帰しようと移動をつづけていた途中、住吉大社の松[まつ]の大木が嵐も風もないのにドカーッと倒れてしまったことへの反応として「妖不勝徳」は登場しています。

また、その『太平記』のはなしのなかに大陸での似た故事として挿入される、殷の太戊[たいぼ]という立派な王様にまつわるはなしでも、一夜のうちに、たちまち巨大な木が生えて来てしまった異常な「怪異」に対して、大臣である伊陟[いちょく]に太戊が意見を求めたところ、「妖は徳に勝つことは出来ませぬ」と言われたので、太戊が善政をこころがけた結果、木は枯れて消えてしまい、わざわいは何も起こらずにすんだ――と語られます。

これら「妖不勝徳」に関わるはなしは、『太平記』は当然のことですが、他の場面でも良く知られており、「妖は徳に勝てず」ということばには、大体ついてまわっていたようで、石燕の用例にも前提がソコにあります。

▼百鬼の暗夜[あんや]に横行[おうぎゃう]するは
百鬼夜行のこと。前に挙げている「妖不勝徳」の「妖」に対応させてのもの。

▼侫人[ねいじん]の闇主[あんしゅ]に媚びて時めくが如し
侫人は悪者・奸臣などのこと。闇主は暗愚な君主、ばか殿。

『太平記』(巻30)で展開されるおはなしでは、「妖不勝徳」のことばを発した者として、吉田宗房[よしだむねふさ]や伊達有雅[だてゆうが]のふたりが登場します。

宗房は、木の倒れたことなどは気にとめるような大したことではない――と、まったく意に介さない態度で「妖不勝徳」と断じており、それとは逆に有雅は、太戊[たいぼ]の故事のとおり君主に徳がないからこそ起こってしまったことで平安京にも入れないだろう――と、「妖不勝徳」に達せてないことを嘆いています。

これを踏まえると、この「侫人」は、軽くしか捉えていない吉田宗房のような態度を利かせているようです。

▼大陽のぼりて万物[ばんもつ]を照せば
「ひので」の「絵」の内容を利かせたもの。

▼君子の時を得[え] 明君の代にあへるがごとし
「明君」はまえに出した「闇主」の対義語。立派な徳のあつい聖王。

太戊が善政につとめたところ、例の巨大な木は「一夜の中[うち]に枯て霜露の如くに消失[きへうせ]たりき 斯様の聖徳を行はれてこそ妖をば除く」――とあり、太戊のような明君の前には妖怪たちはお日様にあたった霜や露のように消えてしまうということが、この「ひので」の絵で描いた内容と対応して来る部分だと言えるでしょう。


up.2026.07.19

■日の出




▼神亀書献…一般的には「神亀献書」の語順。禹王[うおう]が「洛書」を得たときの故事
▼竜馬負図…伏羲[ふっき]が「河図」を得たときの故事
▼お日様…太陽が色摺りになっているのは初摺の『画図百器徒然袋』の「たからぶね」にもある特別な処理ぢゃ
▼色版…松の木の幹や枝はねずみ色の版と朱の色版のかけあわせでつくられているようぢゃ ▼印…画中の印はすべて色板で摺られており、おなじ丁でもある「あまのざこ」の画中にもおなじ処理が用いられているぞ。画面の左下には「零陵洞」と「豊房石燕」という石燕の用いていたふたつの印が捺されているのぢゃ。「零陵洞」は石燕の号のひとつ



▼君主…妖怪たちというものは君主が、立派であるか暗愚であるかということのしるしとして出て来るものであるという大陸の考え方にのっとったものぢゃ。世に立っているのが民を思う立派な君主であればあやしげなことも奇抜な怪物も世には出て来ないものだぞ。
▼住吉…住吉に生えている神木たちは、国に何か変事が起こるぞというときに物語のなかでは大抵「怪異」として倒れるのぢゃ。将軍塚ががたがた揺れるのとおなじで、年代記では顔なじみな「怪異」なのだ
▼太戊…『太平記』では「大戊」の字で登場するぞ。太戊[たいぼ]のはなしは『太平記』にも挿入されることでよく知られているが、『十八史略』といった史書や『通俗十二朝軍談』といった軍談などにも引かれているので、「妖不勝徳」の悪いつかいかた、良いつかいかた、どちらもキチンと物語を通じて理解されつづけて来ていたのぢゃ。◆『十八史略』曰「伊陟曰 妖不勝徳 君其修徳」◆和漢百魅缶「ようそう
▼後村上天皇…南朝の陛下。後醍醐天皇の皇子
▼吉田宗房…吉田中納言宗房。後醍醐天皇の近臣のひとりぢゃ
▼伊達有雅…伊達三位有雅。「游賀」という字で別の場面でも登場している人物ぢゃ。