人魚
「にんぎょ」には、漢籍にある内容に即した填詞[かきいれ]が添えられています。
まえへ|つぎへ石燕は身体の半身がおさかなのようになっている「にんぎょ」を荒々しい波のなかに描いています。波のかたちは非常に装飾的に描き込まれています。
基本的なデザインは大陸で描かれて来た「ていじん」などのような身体がおさかなのようになっている「人面魚身」な異国のひとたちの画像要素を持って来ています。
石燕は、身体がおさかなのようになっている「にんぎょ」を描いているわけですが、他にも「人魚」と呼ばれるものには色々なものが存在しており、「さんしょううお」とか「いるか」のようなものについても「人魚」という熟語や形容は古代から使われています。
『書言字考節用集』(巻5・気形門)では「人魚」の割注では『本草綱目』や『異物志』にもとづいた説明がつけられていますが、文章としてはつるつるした身体を持っている鱗類(無鱗)の仲間な存在寄りのもので、身体の半身がおさかな――みたいなかたちの存在についてのものとは、ややギャップがあります。
これは「人魚」という熟語ダケを通じての状況ではよくあることで、実際は別々な個体の「人魚」が、字がたまたまおなじになってしまう結果、いろいろと混線しあっている様子は古くからあります。
石燕は『山海経』の名を填詞[かきいれ]で出していますが、実際のトコロ『山海経』の本文に「人魚」として出て来る例は、ほとんど「川の名前」が挙げられたあと「人魚がいる」としか述べられていないようなものが多く、かたち自体がハッキリしていないことが多いです。
「丹水出焉 東南流注于洛水 其中多水玉 多人魚」(『西山経』)
「浮濠之水出焉 而西流注于洛 其中多水玉 多人魚」(『中山経』)
「楊水出焉 而西南流注于洛 其中多人魚」(『中山経』)
「視水出焉 東南流注于汝水 其中多人魚」(『中山経』)
こういった「人魚」たちの例ではなく「建木[けんぼく]のとなり」――と限定していることからも、石燕の「にんぎょ」は実質「ていじん」を描いているのはよくわかります。
▼人魚
「にんぎょ」は、見ひらきにいっしょに描かれている「はんごんこう」とは大陸に伝わる存在同士として描かれています。
▼建木[けんぼく]の西にあり
『山海経』(海内南経)にある文章に由来するもので、「人面魚身」のひとたちが暮らしているという「ていじん」たちの国のある位置を示しています。石燕は、『和漢三才図会』(巻14・外夷人物)の「ていじん」にある文章を直接の下敷きにしていることが「しょくいん」や「にんめんじゅ」につづいている構成順からもわかります。
「建木」[けんぼく]は、地上のまんなからへんに位置する都広[とこう]という地にあるとされる巨樹のひとつ。太古のむかしには天地の往来に用いられていたと『淮南子』などでは示されています。
『山海経』では、「海内南経」では大きく葉は羅[うすぎぬ]・実は欒[おうち]のようで木の皮は黄蛇のようだとされていますが、「海内経」での建木は青い葉・紫の茎・黒い花・黄の実をもつとあります。
▼人面にして魚身 足なし 胸より上は人にして下は魚[うほ]に似たり
「人面魚身 無足 胸已上似人 下似魚也」――という『和漢三才図会』(巻14)の「ていじん」にある解説の順序にもとづいている記述になっています。
石燕はこのあと「にんぎょ」というのは「ていじん」たちのことでもあるということを述べており、両者を同一のものとして提示しています。
up.2026.07.22
■人魚…和漢三才図会、書言字考節用集
▼さんしょううお…『山海経』に出て来る「人魚」はドチラかと言えばコチラをさしている「人魚」が多いのぢゃ。本草書では孩児魚[がいじぎょ]娃々魚[あいあいぎょ]なども呼ばれるぞ
▼異物志…『異物志』にある「人魚」は、あたまのうえに空気を呼吸する小さいあながあるとしているぞ。◆『書言字考節用集』(巻5「人魚」)曰「『異物志』似人長尺余 頂上有小穿 気従中出」
▼山海経…石燕が『山海経』の本文を直接ひろく読んでいるのかどうかという問題について考える上では、「にんぎょ」が「ていじん」(『和漢三才図会』巻14)の情報でまとめられて処理されている点も大きく考慮すべき部分ぢゃ
▼建木…◆『淮南子』(墜形訓)曰「建木 在都広 衆帝所自上下 日中無景 呼而無響 蓋天地之中也」
▼茎…木の幹のことぢゃ