雨女
「あめおんな」には、「高唐賦」の内容も盛り込んだ填詞[かきいれ]が添えられています。
まえへ|つぎへ石燕は、雨のさぁさぁ降るなかに立ちたたずんで、自身のてのひらを舌でなめているようなすがたで「あめおんな」を描いています。腰からしたはハッキリ描かれておらず、雨足のなかに消えています。髪の毛は結っておらず、長い黒髪を垂らしています。歯は鉄漿[おはぐろ]で染めています。
雨の線は、墨の線に重ねて、ねずみ色の版を白くぬいてつくった線が引かれていて、木版独自の表現も用いられています。大道具としては、雨のなかに誰哉行灯[あそやあんどん]が建てられているダケの簡素なものになっています。誰哉行灯は街灯として建てられていたもので、吉原にも古くから建てられていました。
背景一面にほどこされているねずみ色の版は、良い摺りのものだとぼかしがかけれられていますが、手間が省かれるとただの地つぶしになってしまうようです。
石燕が、現代でも語られるような「出かけるときに雨降りになることが多い」といった意味合いの「雨女」を描いているのかどうかという点は、填詞[かきいれ]のなかにもそういう表現が一切出て来ないため、ハッキリしません。
雨の路上に雨具も雨よけも何もせずに立っているような存在を画像妖怪として描いたとしか、「絵」ダケからは受け止ることは出来ず、現状の作品の持つ情報量ダケからではそれ以上のことを語ることは不可能だとも言えます。
▼雨女
「あめおんな」は、見ひらきにいっしょに描かれている「あおあんどう」とはとは女のすがたな妖怪同士としての一対で描かれているようです。
行灯が火ならば、コチラは雨で水ではありますし、道具立てで見れば互いに「室内の照明/屋外の照明」の対にもなっています。
▼もろこし 巫山[ふざん]の神女[しんぢょ]は
『文選』(巻19)にもおさめられている宋玉[そうぎょく]の「高唐賦」で描かれている、楚[そ]の襄王[じょうおう]と巫山[ふざん]の瑤姫[ようき]という女神とが愛を交わす、巫山の夢のはなしを踏まえたもの。
▼朝[あした]には雲となり 夕[ゆうべ]には雨となるとかや
「高唐賦」にある「旦為朝雲 暮為行雨」――という文句が下敷きになっている表現で、広く用いられていました。男女の逢瀬を意味する「雲雨の交わり」や「朝雲暮雨」などの慣用句もこの漢詩文に由来します。
▼雨女もかかる類[たぐゐ]のものなりや
巫山の女神は雲や雨になってやってくるわけだから、雨のなかにいる「あめおんな」も、その仲間かね知れないネ――と石燕は言っているわけですが、肝心の「あめおんな」の側がどんな性質の妖怪であるのかは「填詞」のなかにはひとつも出て来ておらず、「絵」のなかでしか表現されていません。
この点は「あおあんどん」も同様で、互いに単に「絵」としてのみでしか表現されていないため、どういう妖怪であるのかという情報量が「ほとんどないもの」だと見ることが肝要です。
up.2026.07.31
■雨女
▼鉄漿…お歯黒。涅歯。鉄などを用いて歯を黒く染めること「かね」や「つけがね」とも
▼たそや…「たそがれ」と同義
▼宋玉…『文選』にある宋玉の漢詩文を用いた填詞は「けらけらおんな」もあるぞ