あやかし
「あやかし」には、船に油をいっぱい落として行く魚についてを説明した填詞[かきいれ]が添えられています。
まえへ|つぎへ石燕は、ものすごく体が細長い、巨大な魚として「あやかし」を描いています。船の上をのたのた越えて行くと何日もかかるほどの長さがあるという填詞[かきいれ]にもあるように、海に浮かんだ船の上をのたのた通って行く様子を描写しています。
船には草葺きの屋根がついており、錨[いかり]も載っています。
「あやかし」ということばは、能『船弁慶』で、源義経たちの乗った船に襲い掛かって来る平知盛をはじめとした怨霊たちにみられ、船に対しての「あやかしがつく」という言い回しの基盤になっています。
石燕は、船の上に油を落としていく長い長い体の魚のはなしに対して、船に対して何かしてくるからということから古典的な「あやかし」ということばを持って来て、呼び名に使ったものだと言えそうです。
油を落としてゆく大きな魚のはなしは、藤原行定『雑々拾遺』(巻5)などに古いかたちのものが見られ、松の大木のような体をしたものが船べりをこすって行ったとされます。このはなしでは、その魚の油が「五石ばかり」船底に溜まってしまっていたとあり、海の底にこういう大きい魚がいて、あぶらづいて体がかゆくなると出て来て、船にも体をこすりつけに来るものなんダ――としています。
こういった魚たちは、「いくち」とか「ほうず」あるいは「あぶらこき」などと呼ばれているといった内容が、19世紀の資料になるといくつも出て来ます。
石燕は、「いつまで」は「以津真天」、「さとり」は「覚」など、見出しには漢字表記を用いることが多いのですが、この「あやかし」には漢字をあてたりせずにそのままのひらがな表記を用いています。
▼あやかし
「あやかし」は、見ひらきにいっしょに描かれている「きどう」とは「海/野」を舞台とした妖怪、といったような一対で描かれているようです。また動作の対比でいえば、こちらは「おおいかぶさっている側」で、船に対して妖怪の側が「おおいかぶさって」います。
▼西国の海上に 船のかかり居る時 ながきもの船をこえて二三日もやまざる事あり
「西国」は「西海道」で九州方面のこと。
「絵」に描かれている内容をそのまま言及している箇所です。
▼油の出る事おびただし 船人[ふなびと]力をきはめて此油をくみほせば 害なし
ぼとぼと落としてゆく「あぶら」は一生懸命に船から掻き出さないといけません。
▼しからざれば 船沈む
「あぶら」をそのままに放置しておくと、その重みでやがて船は沈んでしまうとされます。
▼是 あやかしのつきたる也
「あやかしが憑く」という表現は、能『船弁慶』に「あやかしが憑いて候」とあるように、船に対して「妖怪が出た」と称しているようなもので、細分化された固有名詞ではないとも言えます。
『雑々拾遺』にある「あぶら」を落としていくものすごく大きな魚も、文中では「魚」、見出しでも「異魚」としか出て来ておらず、「あやかし」という固有名詞があるなどのはなしは出て来ていません。
『謡曲拾葉抄』にある「船弁慶」の「あやかし」の解説にも「或云 舟破んとて前表には 見知らぬ女など忽然と有もの也 船中のならひ是を見ぬふりをする也」――とあって、「あぶら」を落とす魚のようなものには触れていませんし、「あやかし」ということばについても、「怪」や「妖怪」と書くことばダということを示しているダケです。
up.2026.08.02
■あやかし…(能)船弁慶
▼船弁慶…◆能『船弁慶』曰「いかに武蔵殿 この御船[おんふね]には あやかしが憑いて候。ああ暫[しばら]く さやうの事をば船中にては申さぬ事にて候」
▼怨霊たち…◆能『船弁慶』曰「あら不思議や海上を見れば 西国にて亡びし平家の一門 各々浮かみ出でたるぞや かかる時節を窺ひて 恨みをなすも理[ことはり]なり」
▼松の木…◆藤原行定『雑々拾遺』(巻5)曰「くろき色して松の大木のごとくなる 長さ十丈もあらんもの 舟ばりをこすりて海に入る」
▼体がかゆくなると…◆藤原行定『雑々拾遺』(巻5)曰「漁人にたづぬれば 海底の魚あぶらづきて身のかゆき時 かやうの事ありと申き」
▼船人…かこ・水夫・船員たち
▼あやかし…船が急に止まってしまうことや、「こばんざめ」のようなものが船底にはりつくことも「あやかし」と称されているぞ