以津真天
「いつまで」には、『太平記』に即した填詞[かきいれ]が添えられています。
まえへ|つぎへ石燕は、たれこめる黒雲と共に、頭は人間、体は蛇、鋸[のこぎり]のような牙のある嘴[くちばし]や鋭い距[けづめ]というすがたの「いつまで」を描いています。この化鳥は内裏の上空で「いつまでいつまで」とあやしい声で鳴きつづけたと言います。
雲のあいだには、内裏の建物の屋根が描き込まれていますが、石燕は別の角度やかたちの屋根を描き込んでいて、画面が単調になりすぎないように、場面を描く際の良い絵手本になるように、という心配りがキチンとなされています。
石燕の時代以前の、絵入りの『太平記』や、絵巻物をはじめとした肉筆画、武者絵などでも、本文にある「頭は人の如くにして身は蛇の形なり…」などの描写に沿って、竜蛇のような身体の化鳥として「絵」は描かれて来ました。
しかし、「ぬえ」とは異なり、固定の呼び名らしいものが本文に存在していなかったので、石燕は特徴のある鳴き声から「いつまで」という呼び名を付与して、この絵を描いています。
「以津真天」という万葉仮名式の表記は、石燕が本書にら収録するにあたって無理矢理漢字にしたダケのもので特に字義はないようです。「で」が濁らずに「天」(て)として配されているのも「がんばりにゅうどう」での「加牟波里」とおなじですね。
▼以津真天
「いつまで」は、見ひらきにいっしょに描かれている「ぬえ」とは武士によって退治された化鳥つながりの対[つい]の絵として構成されています。
▼広有[ひろあり]いつまでいつまでと鳴[なき]し怪鳥[けてう]を射し事
隠岐広有によって「いつまでいつまで」と鳴く化鳥が弓で射落とされて退治されたはなしは、『太平記』を通じて大変よく知られていました。
『太平記』(巻12)では、「秋の比[ころ]より紫宸殿の上に怪鳥出来て いつまでいつまでとぞ鳴ける」――とあります。これは「建武」という改元とあらたな政治体制が布かれたことに対して発生した「よくないこと」として表現されており、化鳥の登場する前の本文には「今年天下に疫癘[えきれい]有て病死する者 甚[はなはだ]多し 是のみならず」とあって、「疫病」と「怪異」は並列の関係にあります。
石燕が填詞[かきいれ]で、「けちょう」を「化鳥」ではなく「怪鳥」とあてているのは『太平記』にある用字をそのまま使っているためなダケです。
▼太平記に委[くは]し
「ぬえ」にくらべると、射られた妖怪がどんなものであったかなどの描写が省略されており、いささか簡素なものになっています。しかし、コチラもよく知られていた化鳥退治の物語なので、わざわざ詳述せずとも、内容を知っているひとが当時多かったことも事実です。
up.2026.07.10
■以津真天
▼すがた…◆『参考太平記』(巻12)曰「是を御覧ずるに 頭は人の如くにして身は蛇の形なり 觜の末曲て 歯鋸の如く生違 両の足に長き距有て 利こと剣の如し 羽さきを伸て是を見るば長一丈六尺なり」
▼建武…『太平記』(巻12)では「後漢光武[こうぶ] 王莽[おうもう]が乱を治[おさめ]再[ふたたび]漢世を続し佳例なりとて漢朝の年号を摸されけるとかや」ともあるのぢゃ
▼太平記…『太平記』(巻12)の「いつまで」なはなしの次に掲載されているのが、「きょうりんりん」などにも活用されている弘法大師と守敏僧都のはなしぢゃぞ
▼是のみならず…「これのみならず」という接続から「秋のころより紫宸殿の上に怪鳥出来て」という描写に移るわけで、よくないことのかさねがけとして「化鳥」出現であることがよく知れるのぢゃ