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ばしょうのせい

鳥山石燕百石乳|今昔百鬼拾遺

ばしょうのせい

芭蕉精

「ばしょうのせい」には、能『芭蕉』について少し触れた填詞[かきいれ]が添えられています。

まえへつぎへ

■あだにや風の破るらん

石燕は、風に破れた芭蕉の葉っぱのなかに顔が出て来たようなかたちで「ばしょうのせい」を描いています。女のひとの顔のようで、牙のような歯は鉄漿[おはぐろ]になっていますし、舌もチョロチョロ長く出されています。

芭蕉の葉っぱのみではなく、お花も描き添えられており、「芭蕉」そのものについての描写に石燕は徹してもいたようです。

背景には、ねずみ色の版がぼかしを施して摺られていますが、後摺りでは手間を省いて、ただの地つぶしで摺られているダケになっています。

■人衣のすがた

能『芭蕉』では、楚の国の小水[しょうすい]に暮らす僧侶のもとに、日頃お経を聴きつづけていた芭蕉の木の「ばしょうのせい」が人衣[にんえ]のすがた――つまり人間のすがたになって出て来たことが描写されます。曲の最後には、強い風が茫々[ぼうぼう]と吹き荒んで、寺院の庭の千草たちと共に、芭蕉の葉っぱもぼろぼろに破れてしまいます。

この曲は『湖海新聞』にある「芭蕉精」の出て来るはなしをモトにつくられたものだと言われており、「小水」という地名もそのはなしから採られているようです。

ですが石燕は能にあるような、静謐な里娘や、やわらかな天女のようなすがたで「ばしょうのせい」をデザインしておらず、植物としての芭蕉を直接そのまま化けさせた、絵草紙にありつづけた画像妖怪の素朴なつくりかたを用いているのが特徴です。

あるいは既に先行して、「芭蕉のばけもの」のようなかたちで、こういったデザインの画像妖怪があり、そのリデザインに対して石燕が「ばしょうのせい」を呼び名や填詞[かきいれ]のために採って来たダケに過ぎないことも十二分に考えられます。

▼芭蕉精
「ばしょうのせい」は、見ひらきにいっしょに描かれている「すずりのたましい」とは、壊れやすいもの・不変なものな精霊として並べられているようです。

▼もろこしにて芭蕉[ばせを]の精 人と化して物語せしことあり
生えている芭蕉[ばしょう]が人間のすがたに化けて出て来たという、大陸によくあるはなしについて触れています。

▼今の謡物[うたひもの]は これによりて作れるとぞ
「謡」[うたい]は能でうたわれる歌のことで、婚礼のときの『高砂』のように、ソレだけを独立して演じることもあります。ここでは能『芭蕉』のこと。

お習字のときなどにも広く使われていた『童子教』には「寿命如蜉蝣 朝生夕死矣」と「身体如芭蕉 随風易壊矣」という対句が見られ、はかないものとして「芭蕉」は語られており、大体みんなの知っていた言い回しです。この「風にやぶれやすい」という表現の用いられていた「えんえんら」は、顔ダケなすがたのけむりとして描かれていますが、「ばしょうのせい」も似たような顔ダケのかたちでデザインされている点は、対比を意識しつつ観察しても良いと言えます。


up.2026.08.09

■芭蕉精…(能)芭蕉




▼風に破れた…芭蕉の葉っぱがすぐ風に吹かれて破れてしまうことは、はかなさの比喩として古くから経典では「泡沫」と対で用いられて来ており、『童子教』などでも親しまれて来たぞ
▼鉄漿…お歯黒。涅歯。鉄などを用いて歯を黒く染めること「かね」や「つけがね」とも
▼人衣…◆能『芭蕉』曰「花待ち得たる芭蕉葉の 御法[みのり]の雨も豊なる 露の恵みを受くる身の 人衣の姿 御覧ぜよ」



▼やぶれやすい…「えんえんら」の填詞には「羅[うすもの]の風にやぶれやすきがごとくなるすがたなれば」とあるぞ