鉦五郎・鉦五良
「しょうごろう」には、淀屋辰五郎のたからものとして名高かった「金の鶏」に関連した戯文が填詞[かきいれ]として添えられています。
まえへ|つぎへ石燕は、耳の部分に顔が生えている鉦鼓[しょうご]の画像妖怪として「しょうごろう」を描いています。這って進むようなすがたの足が生えているので、ゆかの上に置いて叩くことの出来る「伏鉦」[ふせがね]であることがわかります。
「しょうごろう」は鉦鼓にふたつある耳の部分の片方が「顔」になっており、ふちが歯のようにデザインされています。
仏壇のしたの戸棚から這い出して現れている様子が描かれており、すぐ後ろから撞木[しゅもく]を手で持つように絡めて持った数珠[じゅず]も戸棚からは顔を出しています。数珠は撞木を振り上げて、「しょうごろう」を叩いて音を出そうとしているようです。
この「数珠」は「しょうごろう」の尾のようにも見えますが、よく見ると「しょうごろう」のおしりと「数珠」は接続してはいないようです。
背景のねずみ色の版は、綺麗な摺りであるほど画面左側に向かってハッキリとした霞形にぼかされていて、仏壇のある室内をふんわりと描写しています。
石燕は土佐系統の絵巻物の画像妖怪をリデザインして描いており、鉦の妖怪であるという点から『百鬼夜行絵巻』に描かれている鰐口[わにぐち]の妖怪の画像要素が部分的に転用されたリデザインなのだろうかと見られています。
鰐口の妖怪から採られている画像要素は、「音を鳴らす金属製の仏具」が「這っている」というぐらいの重なりで、身体のつくりなどはスッカリ大幅に描き替えられているリデザインだと言えるでしょう。これは見ひらきでいっしょに並べられている「ほっすもり」にも、同程度の大改変が加えられているデザインなので、そこまで違和感はありません。
『書言字考節用集』(巻7・器財門)では「鉦鼓」[しょうご]として掲載されており、『和漢三才図会』(巻18・楽器部)でも見出しは「鉦鼓」[しょうご]で立てられていますから、「しょうご」という響きから「しょうごろう」という人名めかした呼び名を石燕は自分のつくった画像妖怪につけたと見られます。
石燕は『画図百器徒然袋』の序文に明示されているように、「夢」のなかで見た「ぼろぼろな古御所」で遭遇した妖怪たちを描いた――という設定を一貫して用いて背景なども描いています。
この絵では、仏壇のしたの戸棚に穴が空いて「しょうごろう」と「数珠」が、のそのそ這い出している様子からも、ぼろぼろ具合が明白に表現されています。
戸棚の穴のなかを見てみると、草や葉っぱも垣間見られ、そのまま床下にまで穴は達している疑惑も浮かんで来るような設計になっており、「しょうごろう」たちの巣穴としてもキチンとしたつくりになっているようです。
仏壇の上にある机の上の銅鉢[どうはち]・経巻・蓮華などはそこまで傷んでいるようには描かれていませんが、折帖状になっているお経や、ごはんなどをのせる器はバラバラと仏壇からだらしなく落ちていて、荒れ果て振りを示しています。
『徒然草』の38段には、空のうえの北斗七星に届くほどの金[こがね]を財産に持っていたとしても、生きているうちも死んだあとも心の安らぐことのなければ意味がないことで、「金は山にすて 玉は淵に投ぐべし 利にまどふはすぐれておろかなる人なり」――とあって、財産を殖やし蓄えることダケで終わってしまうような人間の一生をあわれむ内容が書かれています。
兼好法師のことばは『文選』の「捐金於山 沈珠於淵」という文句を引っぱって来て飴のようにのばしてあるものですが、「しょうごろう」が急に淀屋辰五郎のたからものと結びつけられているのは、『徒然草』のこの段の、ものすごい規模(北斗七星に届くほどの)の金と距離がごく近いことは、甘口ながら非常にわかりやすい例でしょう。
▼鉦五郎
「ほっすもり」とは「仏具なもの」な画像妖怪として対になっています。また、『徒然草』の38段にある「利欲はいらない/智識もいらない」という内容も「対」の基本に見ることは出来ます。
そのあたりを踏まえて見ても、最初から一対の存在として想定して描いたものであることはよくわかります。
▼金[こがね]の鶏[にはとり]
金ぴかの鶏。淀屋辰五郎が所持していたと語られているたからもの。
石燕の填詞[かきいれ]で「辰五郎の家のたからなりしよし」とつづけているように、淀屋のいちばんの名宝です。写本などを通じてしばしば登場した淀屋の家財没収のときの調書だとされる文書で「金の鶏」には「玄宗皇帝御所持」という由緒がつけられていることもありました。
▼淀屋辰五郎[よどやたつごろう]
大身代を築いた天下の豪商のひとり。大坂いちばんの「難波の長者」と称されていましたが、1705年にその行動が奢侈[しゃし]に過ぎるということから徳川幕府に罰せられたことで知られます。
辰五郎のはなしは、写本で広く読まれていた『護国女太平記』(柳沢吉保を中心にした御家騒動もの)の挿話のひとつとして展開されていたので、名前が出るのみでも盛衰の様子の想像しやかすった人物です。「金の鶏」も『護国女太平記』では淀屋のたからものとしては、いつも最初にその名前(黄金の鶏鳥・黄金の鶏)が登場します。
辰五郎が金銀を湯水のように浪費して新町で大尽遊びをしていたときの末社(とりまき)たちには幇間医者[たいこいしゃ]や鼓[つづみ]の師匠たちがいるので、「鳴らして音の出るもの」つながりにも事欠きません。
▼此[この]かねも鉦五郎といへるからは金にてやありけん
鉦[かね]の妖怪である「しょうごろう」も「たつごろう」と似ているので金ぴかな画像妖怪かも知れませんネ――と石燕はおどけているわけです。
あとにつく「金」は「かね」とよむのか「こがね」とよむのかで意味が変わって来ますが、「辰五郎」と「鉦五郎」はおなじく五郎で名前が似ているということを繋げているわけですから「こがね」と訓んだほうが、そんな繋げ方あるものか――という落差の咲いに繋げることの出来るたわむれ方ではあると言えそうです。
天下無類の宝物である「金の鶏」と、落差のあるただの「鉦」の妖怪を「五郎」という名前の近さダケで、おなじ貴重さに立たせてしまうという落差の取り方も、『画図百器徒然袋』で石燕が多用している戯文のつくり方に適った進め方です。
up.2026.05.23
■鉦五郎・鉦五良
――石燕の手による画像妖怪
▼五良…五郎と五良は書法でいえばほとんどおなじことなので、あまり気にすることはないのぢゃ
▼鉦鼓…モトモトは両側にある耳の穴に紐を通し、台あるいは首からぶらさげて鳴らすものだったが、のちに使いやすい「伏鉦」の形態も発生したぞ
▼足…伏鉦につけられている足は3本のことが多いぞ
▼伏鉦…敲鉦[たたきがね]とも
▼撞木…鉦鼓を叩くための丁字型の桴[ばち]
▼尾…「しょうごろう」のあたま・おしりはそれぞれ「鉦鼓」にもともとある「耳」の部分があてられているのぢゃ。絵としては、おしりに「数珠」が繋がっておらぬが、「しょうごろう」が尾に撞木を持って自身を叩いて音を鳴らしていると見ても十二分に理解出来る位置ではあるぞ
▼鰐口…寺社の軒先にさげられるもので、打ち鳴らして音をならすもの。上からぶら下げるための紐を通す耳がコチラも両脇についているのが特徴な器物ぢゃ
▼鰐口の妖怪…鰐口に手足のある鱗類の身体と魚尾が生えた形状をしているぞ。顔になっている鰐口には牙の並んだ口が出来ているダケで、眼はついていないのぢゃ
▼いっしょに並べられている…「ほっすもり/しょうごろう」とおなじく絵巻物の「払子の妖怪/鉦鼓の妖怪」も、となり同士でいっしょに並べて描かれていることにも注意だぞ
▼机…前机・前卓などと称されるものぢゃ
▼蓮華…仏壇のうえに並べられてある蓮華や荷葉は木で出来ている飾りのためのものぢゃ
▼ごはんなどをのせる器…仏飯や茶湯をのせる台
▼北斗七星に届くほどの…◆『徒然草』(38段)曰「身ののちには金[こがね]をして北斗をささふとも人のためにぞわづらはるべき おろかなる人の目をよろこばしむるたのしみ またあぢきなし」
▼金…黄金
▼人生…◆『徒然草』(38段)曰「名利につかはれてしづかなるいとまなく一生をくるしむこそ愚[おろか]なれ」
▼名利…名聞と利益
▼金の鶏…辰五郎のはなしにはいつも出て来るたからものなので、辰五郎を登場させた芝居でも大抵、事件のかぎを握る宝物や、紛失をして大変な事態になる宝物として「金の鶏」は重要な位置で使われつづけていたぞ
▼写本などを通じて…『摂陽奇観』(巻24上)にある淀屋から没収された家財には「玄宗皇帝所持・黄金鶏」とあるぞ。ほかにも、咸陽宮の棟瓦・未央宮の棟瓦・藤原定家の色紙などのほか、徽宗皇帝の描いた「墨絵の鶏」があり、金以外にも「鶏」なたからものがあるのぢゃ。基本は『護国女太平記』でもおなじだが、写本なので書き手ごとに「玄宗皇帝御所持」という記載有無のような細部の表現は異なるぞ
▼玄宗皇帝…唐の皇帝
▼淀屋辰五郎…『護国女太平記』曰「元来大坂は日本第一の湊[みなと]にて富貴の商人[あきうど]多き就中[なかにも]北浜に難波の長者と呼ばるる淀屋辰五郎と言ふ者あり。是[これ]日本一の分限者[ぶげんしゃ]にて」
▼奢侈…ぜいたくにおごっていることぢゃ
▼護国女太平記…18世紀のはじめごろには写本で広まっており、貸本屋を中心にひとびとに読まれ、講釈や芝居の素材としても広くつかわれていたぞ
▼柳沢吉保…『護国女太平記』では、辰五郎の所持していた莫大な金銀や名宝を、吉保が幕府に没収するために糸を引いていたという流れに物語を仕組んでいるぞ
▼幇間医者…たいこもち(幇間)のようにおしゃべりをするほうが本業のような医者のことぢゃ。辰五郎の末社としては津田玄哲[つだげんてつ]が『護国女太平記』でも常連だぞ
▼鼓の師匠…幸喜左衛門[さちきざえもん]と入海庄左衛門[いるみしょうざえもん]が、辰五郎の末社として『護国女太平記』でも常連だぞ。このふたりも実質たいこもち(幇間)のようなものぢゃ
▼辰五郎と鉦五郎…「ほっすもり」も、「狗子」と「払子」は名前が似ているからという接続のさせ方なので、ここも対になっているのぢゃ