箒神
「ははきがみ」には『徒然草』や『平家物語』に出て来る白楽天の漢詩に関連した戯文が填詞[かきいれ]として添えられています。
まえへ|つぎへ石燕は、箒の妖怪として「ははきがみ」を描いています。顔と髪は草箒[くさぼうき]、手は羽帚[はねぼうき]になっており、いろいろな箒の吹き寄せなデザインになっています。
草箒を持っており、それで風に吹かれて来た葉っぱたちを、木製の四角い塵拈[ちりとり]に集めています。飛び交っている葉っぱには紅葉[もみじ]の葉もあり、秋から先の景色であることが知れます。
柴垣のかげから顔を出しているすがたのみで画面には描かれているので、胸から下がどのようなかたちなのかはよくワカリマセン。
石燕は土佐系統の絵巻物の画像妖怪をリデザインして描いていますが、『百鬼夜行絵巻』に描かれている画像妖怪のなかにはおなじようなデザインをした、箒をメインにしたものは特に見受けられず、ハッキリとした素材はわかりません。
『百鬼夜行絵巻』の最後のほうに描かれている鳥の羽が生えている妖怪は、道具名がいちいち添えられている形式の作品で「はぼうき」(羽帚)と添えられていますが、あるいはこれを大きくデザイン変更したとも「ははきがみ」に「羽帚」が部品として使われていることから考えることは可能です。
(2026.06.07)――
『百鬼夜行絵巻』に描かれている笙[しょう]の画像妖怪は、肩に大きく鳥の羽を生やしていて「ははきがみ」の基本デザインとの重なりも大きくあります。
こちらを素材にして、「笙」を「箒」に吹き替えてデザインをしたものだと考えても十二分に理解は出来るようです。
葉っぱを用いた描写としては、『徒然草』54段に、法師たちが美しい稚児とたのしく野外でお弁当を食べながら遊ぶ計画を立てるはなしの中に、散った紅葉の葉っぱに風流な破子[わりご]に詰めたお弁当を隠しておいて、魔法をつかったみたいにそれを出して、稚児たちをたのしませちゃおう!! と準備する――という実にアホらしい趣向が出て来ます。
この魔法のお弁当の仕掛けは、法師たちが葉っぱに埋めて事前準備をしているのを見かけた者たちがスッカリ持ち去ってしまったので大失敗におわるのですが、ここでも法師たちが紅葉の葉っぱの山を見ながら稚児たちに発する故事めかしたせりふに「あはれ 紅葉をたかん人もがな」とあり、林間[りんかん]に紅葉[こうよう]を焚く――という白楽天による「仙遊寺」の漢詩を踏まえて多用されていた表現が使われており、注釈書でも決まって白楽天のことが説明されるものでした。
「ははきがみ」の絵の葉っぱたちに紅葉が用いられていることも、填詞に白楽天が主として用いられていることも、『徒然草」の54段がまず基盤として構成に用いられているからと見れば、よくわかります。
石燕は『画図百器徒然袋』の序文に明示されているように、「夢」のなかで見た「ぼろぼろな古御所」で遭遇した妖怪たちを描いた――という設定を一貫して用いて背景なども描いています。
乱れ散っている状態の葉っぱたちは荒れた状況を示す材料にはなっていますが、「ははきがみ」の舞台設定は戸外なので、柴垣しか描かれておらず、ぼろぼろさの描写はほぼ見られません。
▼箒神
「ぼろぼろとん」とは「半野外のもの」あるいは「あたためるもの」の対として描かれていると見えます。当初から一対のものとして描かれたものなのかどうかなのについては、やや弱い箇所のある組み合わせではありますが、填詞[かきいれ]も含めれば、その要素はハッキリと出て来てはいます。
「箒」そのものは戸外でも普通に用いられるものですが、構成の基盤として用いられている『徒然草』54段や、填詞で結びつけられている詩の内容は、野外での「飲食」についてを主題にしています。
▼野わけ はしたなく吹けるあした
『徒然草』19段にある「野分[のわき]のあしたこそ をかしけれ」という秋の良い景観の例のひとつを引いたものです。「あした」というのは「朝」のこと。
『平家物語』(巻6)にある、仕丁さんたちが紅葉の葉っぱを焚いてお酒をあたためていた説話は、はしたなく野分が吹いた夜の翌朝の舞台設定になっており、石燕の想定の主眼は「紅葉」にあることも知れます。
▼林[りん]かんに酒をあたたむるとて
「林間[りんかん]酒をあたたむる」ということで、白楽天の漢詩にある「林間煖酒焼紅葉 石上題詩掃緑苔」――を引いたものです。散り落ちた紅葉の葉っぱたちを集めて火を焚いて、それでお酒をあたためて飲むという景色で、絵画やお芝居などでも広く用いられて、非常によく知られた言い回しでした。
▼朝きよめの仕丁の はきあつめぬるははきにや
「朝清めの仕丁」は、朝におそうじをしている仕丁さんたちのこと。
紅葉を集めてそれでお酒をあたためて飲む仕丁さんたちの使っているような箒[ははき・ほうき]が、もしかしたら箒のかたちをしている「ははきがみ」というこの画像妖怪なのかも知れないネ――と石燕はおどけています。
紅葉の葉っぱをおそうじする仕丁さんたちが、白楽天の漢詩のようにお酒をあたためて飲む様子は、画題としてもよく知られていたもので、石燕も「紅葉」の葉っぱたちを間に挟んで「ははきがみ」の絵に引寄せることで、それらの存在を強く利かせています。
up.2026.06.02
■箒神
――石燕の手による画像妖怪
▼ははきがみ…1960年代の紹介では「ほうきがみ」とされることも多いが、石燕の描いている絵そのものは「ははきがみ」としか書かれておらぬぞ
▼鳥の羽の妖怪…『百鬼夜行絵巻』の行列の末尾のほう、日あるいは陀羅尼におどろき逃げる妖怪たちの一群のなかに見られるぞ。瓢箪の妖怪や耳の長い妖怪たちの上の位置ぢゃ
▼羽帚…茶道具などとして用いられるものであるので、単に「ほうき」づくしで道具をそろえた「あそびの造形」あるいは「物づくし」としては理解出来るが、それ以外の視点から見れば、戸外で用いられる草箒とは「組み合わせ」としては場違いなのぢゃ
▼破子…破篭とも。木でつくった容器。重箱のように重ねてあるものぢゃ
▼魔法…原文では特に決まった表現はないぞ。僧侶自身の通力なので「魔法」ではないが、そのようなものぢゃ。◆『徒然草』(54段)曰「数珠おしすり 印ことごとしく結び出でなどしていらなくふるまひて 木の葉かきのけたれど つやつや物も見えず 所をたがひたるにやとて 掘らぬところもなく山をあされども なかりけり」
▼仙遊寺…「送王十八帰山寄題仙遊寺」というのが正式な題。ことあるごとに紅葉とは結びつけられている有名な漢詩ぢゃ。◆『源平盛衰記』(巻25)曰「白楽天と云ふ人は琴詩酒の三を友として中にも殊に酒を愛して諸を慰みけるに 秋紅葉の比[ころ]仙遊寺に遊ぶとて紅葉を焼て酒をあたため緑の苔を払て詩を作りけり」◆能『紅葉狩』曰「林間に酒を煖めて紅葉を焚くとかや げに面白や所から 巌の上の苔筵[こけむしろ]」
▼野分…強く吹く風、嵐
▼『徒然草』19段は各季節のいろいろなおもしろみを並べ立てている長い文章ぢゃ。「たいまつまる」にも、年の瀬の「松どもともして」という光景が19段から出て来ているぞ
▼野分のあした…嵐が過ぎ去ったあとの翌朝
▼はしたなく…◆『平家物語』(巻6)曰「紅葉の山と名づけて終日[ひねもす]に叡覧あるに猶飽き足らせ給はず 然るを或夜[あるよ]野分[のわき]はしたなう吹いて 紅葉 皆[みな]吹き散らし落葉頗る狼藉なり」
▼朝きよめ…朝の清め。早朝に庭を掃き清めることぢゃ。お芝居の『妹背山女庭訓』でも蘇我入鹿の御殿の場面で仕丁さんたちは「仕丁ども、朝清めな」と命令されるせりふが見られるぞ
▼仕丁…仕丁さんたちが紅葉を焚いている様子を描いた絵画は、『平家物語』(巻6)『源平盛衰記』(巻25)の仕丁さんたちが紅葉を焚いてお酒をあたためて飲んでしまったという説話引きながら、「三人仕丁」などの題で、しばしば描かれており、19世紀には雛人形の仕丁たちとも組み合わせるなどして色々と舞踊にもなっているぞ